2009年11月30日
ゲオポリティク8
あっという間の週末だった。そして、冬がそこまで来ている。今週の木曜日は忘年会でこれが終わるとすぐに年末だ。時間の流れは早い。この地政学も難しと言いながら,なんとか半ばまで来てしまった。勿論これはドイツの地政学だから,その続きは英米がある。それはそれとしても、なんとかたどり着いたと言う感がある。がんばろう。以下の文章も難解で,翻訳していて,読む人のことを考えると大変だなあと思う。ドイツ人らしく,哲学的だ。歴史の重さを感じる。ではよろしく。
ハウスホーファーKarl Haushofer(1869―1946)の貢献
ハウスホーファー:ド イツの軍人、地政学者。軍人として育ち、第一次世界大戦中、陸軍少将になる。1921年ミュンヘン大学の地理学教授となり、地政学を提唱し、自然地理的環境と政治との相互関連を強調した。同年ヒトラーに会い、学生のなかにヘス(のちにナチスの指導者)がいたこともあって、ナチス党の理論家たちと接触し、「生存圏」の概念などによりナチズムの対外侵略を合理化した。だが38年ごろには、妻がユダヤ系であったこともあり、ナチズムに幻滅していたといわれる。子息の アルブレヒトAlbrecht(ベルリン大学地政学教授)が反ヒトラー抵抗運動のかどで逮捕されたとき、彼も逮捕された。アルブレヒトは敗戦直前の45年 4月に射殺されたが、これを深く悲しみ、自殺した。ja.wikipedia.org/wiki/ハウスホーファー
さて、彼の解説は日本語ではこれくらいしかないので,ここの翻訳の方が遥かに詳しい。私注。
ハウスホーファーの地政学はラッツェルとチェレンのそれを拡張している。後者の2人が地政学で、空間に於ける国家有機体論として国家を位置づけ,そうして、 指導者に貢献しようとしたのにたいし、ハウスホーファーのミュンヘン大学では特に地理学を戦争と帝国の設計に関連づける研究を行った。この以前の政治地政学の行動規範はこのようにして,生存圏と世界の権力に向けての行動としてのダイナミックな規範教義(政策上の原則などを示した教書)へと変化していった。
ハウスホーファーは1935年に地政学を以下のように定義した。「土地に対する権利を保護するための義務、最も広義の意味での土地に対してであり, 帝国の国境地域に行ける土地ばかりではなく,より広範な「民衆」Volk (20世紀始めの頃の歴史的な言葉で,帝国の外に住んでいるドイツ人のことを指している。私注)に対して,また文化的な土地(この意味も同様で,帝国の外 にあるドイツ文化を持った土地と言う意味である。私注)に対する権利である。」
文化それ自体はダイナミックな特別の拡張に対する最も貢献している要素として考えられていた。それは拡張のための最善の地域にたいする手引きを提供し、そうすれば、拡張を安全に行うことが出来、そういうことなので、想定される軍隊とか通商による権力は必要なかった。ハウスホーファーは都市化は国家の衰退の兆候であり,土地の管理,出生率、中央集権の効果を減退させる証拠だとさえ考えていた。
ハウスホーファーにとって、国家の存在は生存空間に依存し,その追求がすべての政策の基礎でなければならなかった。ドイツは人口密度が高かったのであるが, 旧宗主国(過去に植民地を所有していた列強)はより人口密度が低かったので、資源豊かな地域にドイツが拡張するための事実上の委任統治の植民地の目標となった。空間は長距離の武器による近隣の敵対国からの最初の攻撃に対して軍事上の防衛になると考えられていた。
領土の緩衝地帯もしくは国境地帯の重要でない国々はドイツを守ることになる。こうした必要性に深く結びついていた主張がハウスホーファーであり、小さな国家の存在は政治上の退化の証拠であり,国際的な組織に於ける秩序の混乱であると主張した。(要するにドイツが吸収併合するべきであると言う意味。私注。)
ドイツを取り巻く小さな国々は活気あるドイツの秩序の中に取り込まれるべきである。これらの国家は小さすぎて,自治国家として維持できないし,仮に大きな植民地を持っていたとしてもであり,ドイツの中で、保護され,組織化された方が良い。ヨーロッパに於いては彼が主張しているのはBelgium, the Netherlands, Portugal, Denmark, Switzerland, Greeceと、オーストリアーハンガリーの「不完全な同盟」であった。
ハウスホーファーの自給自足の考えはマルサス主義のような考え方に基づいていて,地球は人でいっぱいになり,すべての人に食物を提供することが出来なくなるだろうと言う考え方である。本質的には生産力の増加は期待できないだろう。
ハウスホーファーとミュンヘンの地政学の大学は結局は生存圏と自給自足の概念を拡張し,1914年の国境を遥かに通り越し,「太陽の中の場所」を新しいヨーロッパの秩序に求め,,更には新しいアフリカーヨーロッパの秩序、そして、ついにはユーラシアの秩序となった。
この概念はパン・リージョンとして知られるようになり,アメリカのモンロー主義から採用され、それと国家と大陸の自給自足の考えとなった。これは植民地に対する推進力の前向きの作り直しであり,地政学者が経済的に必要でないと思っていたものであるが、より威信に関わる問題として思っていたものであり,旧宗主国に対して圧力をかけるものでもあった。この基本的な原動力は経済的なものではなく,文化的、精神的なものであった。
経済的な概念を超えて,パン・リージョンはその上,戦略的な概念でもあった。ハウスホーファーは英国の地政学者Halford Mackinderのハートランドの概念を認めている。
サー・ハルフォード・ジョン・マッキンダー(Sir Halford John Mackinder, 1861 - 1947):イギリスの地理学者、政治家である。ハートランド理論を提唱し、この概念は地政学の基礎的な理論付けとなった。事実上の現代地政学の開祖ともいえる。ja.wikipedia.org/wiki/ハルフォード・マッキンダー
ハートランド (Heartland) :地政学の用語。ハルフォード・マッキンダーが『民主主義の理想と現実』の中でユーラシア大陸の中核地域を中軸地帯と呼んだことに始まり、後にハートランドと改められた。
マッキンダーは20世紀初頭の世界情勢をとらえ、これからはランドパワーの時代と唱えた。とりわけ、それまでの歴史が海軍大国(海洋国家)優位の歴史であったのに対し、鉄道の整備などにより大陸国家の移動や物資の輸送などが容易となったことで、ハートランドを支配する勢力による脅威が増しているとし、海洋国家同士の連携を主張した。
マッ キンダーは1900年代初頭の世界地図をユーラシア内陸部を中軸地帯(ハートランド)、内側の三日月地帯、外側の三日月地帯とに分け、「東欧を支配するものが、ハートランドを支配し、ハートランドを支配するものが世界島(ワールド・アイランド)を支配し、世界島を支配するものが世界を支配する」と説き反響を呼んだ。また、マッキンダーはユーラシアに存する大国群をシーパワーとランドパワーとにわけてそれぞれが対立する関係にあると論じ、大陸国家がヨーロッ パを中心として熾烈な戦争をはじめ、戦線を拡大していくに違いないと予見した(事実、独ソ両国は熾烈な覇権争いを行った)。ja.wikipedia.org/wiki/ハートランド
ド イツが東ヨーロッパとそれに続いて,ロシアの領域を支配できるのであれば,敵対しているシー・パワーが否定しているところの戦略的な地域を支配できることになる。イタリアと日本との同盟はドイツのユーラシアへの戦略的な支配の更に進んだ拡大であり,これらの国々とともにドイツの「島嶼的 insular 位置づけ」を守るための海軍武装となる。
島嶼的位置づけ:ヨーロッパ全体は「世界島」の中の一つの半島にすぎないと言う見方で,ドイツを島嶼と言っている。
世界島:専門用語でアフロ・ユーラシア大陸の本体のことであり、周辺の島々(特にイギリスと日本)は含まない。世界本島とも訳される。地政学者ハルフォー ド・マッキンダーによる造語である。マッキンダーはイギリスを中心とした海軍大国(海洋国家)が陸軍大国(大陸国家)であるドイツやソビエト連邦などの世 界島支配に向けた勢力拡大を阻止すべきであると主張した。とりわけ、世界島の心臓部を意味するハートランドを占領する列強は、本来膨張志向を有していると指摘している。
Hitlerまでたどり着こうと思たが,今日はその前で終わった。こうした視点からの歴史と地理を勉強することは大事だ。企業を経営していると,こうした機会はまずない。毎日少しずつではなるが,蓄積されれば,大きな力となる。是非日本人が世界の人と対等に会話が出来るようになりたい。勿論日々の生活の中では外国人との接触と友人関係は出来る。ここでは公式な場での日本人の欧米人に対する中身の問題だ。是非あの日本人と議論をしたいと言う日本人を目指している。だから、フランス人と毎週スケートをしているが、そこでは彼らとの会話では何ら問題はない。そうした議論にはならないからだ。ただ、このブログで勉強した中で,フランス人を「ゴロワ」と言うことを知ったが,そう言う些細なことではあるが,彼との会話では弾みがつくこともある。