2009年12月20日

地域研究と日本について4

この論文は明日で終わるので,次のテーマを考えている。再びGlobal Researchから論文を引用しようと思っている。次回も興味を引くテーマを選んだ。ウィキペディアは内容が難しいので,しばらくはお休みだ。次回からのテーマは最もホットなアフガニスタンをテーマに取り上げよう。

「偉大なゲーム:アフガニスタンにおけるアメリカとNATOの戦争 一国の戦争地域の中の50もしくはそれ以上の国々」
The Great Game: U.S., NATO War In Afghanistan
Fifty or more countries in a single war theater
by Rick Rozoff December 5, 2009
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=16422

さて、まだこのテーマは2日間は続くので,早速始めよう。歌劇とかが出てくるがシナリオは各自調べてほしい。意外な内容だ。ここでは引用しない。

Saidの議論は西洋人はイスラム世界を彼らを満足させるように定義し、しかし、その文化を侮辱した。例えば、我々はモーツアルトの歌劇「後宮からの逃走」があるが、これは危険なトルコ人が西洋の女性を捕まえて、性的に酷使しようとするはなしである。もしくはロッシーニの「アルジェのイタリア人」も同じだ。Saidは確かに正しいと思う。しかし、同時に、また、彼が東洋の考えを植え付けようとして「オリエンタリズム」の重要性を評価しようとしているとは思わない。

東洋は確かに、かなり魅力的であり、例えば、偉大なロシア・バレー 「ラ・バヤデール」がある。同様に、Saidの固定観念に適合した東アジアの芸術作品の大きな領域がある。プッチーニの「マダム・バタフライ」もしくは 「トゥーランドット」がある。ここでは明らかに西洋人の固定観念と西洋人の価値観が日本もしくは中国の社会の中に無理に押し込まれているとあなたは言うかも知れない。同時に、プッシーニはアジアの文化の多くの要素を再現し、それが害毒を及ぼしたり、観念論的であるとは決して思わない。

しかしながら、Saidは大量の証拠を提供していて、特にフランスとイギリスの情報源だが、人種差別を示唆した中近東に向けての態度についてである。このことはまた今日の東アジアとアメリカとの関係の重要な要素でもあると思うが、十分にカバーされていない。すなわち、アメリカの大衆は特に女性に対する暴行に対して、沖縄のような場所において、アメリカ軍によって作り出されたおびえた状況を完全に理解していない。沖縄に関してのアメリカの古典的な戦後のフィルムの一つに「八月十五夜の茶屋」 The Teahouse of the August Moon (1956)があり、Marlon Brandoが沖縄で出演している。

昔に戻って、そのフィルムを今見てみるとあなたがアメリカ人であるならば、顔をしかめさせる事がある。そこで、文化的な偏見にこうして気づく事はアメリカの大学の中では特に、人類学において、きわめて、大きな影響を与えている。これらは経済学とか政治科学ではないけれども。しかし、この文化研究においては、Saidの作品のあとのオリエンタリズムと呼ばれるようなものへの危険に対してきわめて神経過敏である。

地域研究に対するより重要な挑戦とは、---それと戦って深く関わって来たし,とりわけ、私自身の政治科学のに影響を与えて来たのだが,---それは計量経済学の影響である。 地域研究は理論的ではないとか,理論の壮大な体系を分かち合うとか言うものではないと言う非難がある。さらに、中国語や日本語のようば言語を勉強するのは時間の無駄だと言う議論がある。こうした気難し屋に従えば,良い学者に必要なものは抽象理論における知識になってしまう。

もし彼が理論を理解するならば,彼はいかなる場所も研究することが出来ることになる。彼が東アフリカに行こうが,イラクに行こうが。なぜ今日第二次大戦と比較して著しい差異がある理由の一つである。この戦争の時にはアメリカ合衆国は少なくとも日本のことはあまり知らなかったと言う認識を持っていた。 我々は戦争を遂行するために日本語を読めるより多くの人材を必要としたことは認識していた。我々は本質的に中近東にはメクラである。

今日,政治科学部門は極めて複雑なモデルを持っていて,しばしば,計量的であるが,我々が多分成果を推論することが出来る公式なものだ。現在,これがどうして生じたのか説明する数多くの様々な方法がある。しかし、ノーベル賞はある程度は,責任があると思う。ノーベル賞の受賞者は名声があるので,教授クラブとか研究機関を支配し,ノーベル賞科学と呼ばれるものに向けて,すべての基礎研究を牛耳っている。私の意見ではこのようにして,一つの分野として,経済学をだめにしている物事の一つに経済学にノーベル賞を与えると言う決定がある。

経済学はもともと実地経験に基づいた社会科学であった。そこで、学者は人々がどのように生計を立てているのか、完全雇用、労働の移動に関心を持っていた。今や,経済学は応用数学の形態をとっていて,そこでは経済的な関係は連立方程式で表現されている。この経済学はいかなる制度をも包含せず、地球上のいかなる地域社会にも適用しない。そして、このことは誤解を招くばかりではなく,究極的には価値のないものだと思う。

それにもかかわらず、経済学のノーベル賞は政治科学において,多くの嫉妬を造り出している。政治科学で起っていることは、思うに,経済学で起ったことを間違って,そっくりまねる試みであった。経済学で起ったことはアメリカの経済をモデルとして考え,それを数値化し,すべての経済学がそうあるべきだと言う状 況として具体化することであった。合理的な選択の理論ではアメリカの民主主義にそのようなものを行う試みであった。政治科学の博士は今日、合理的な選択の理論、ゲームの理論、経済モデルの操作、帰納的よりかは演繹的な分析方法によるモデルの公式の創造における能力の見地から学位を取る人が増えて来ている。

今日,地域研究はアメリカの大学では追求することが難しいと言わなければならない。事実,地域研究を行いたいと本当に思っている人がいれば,それは密かにやるべきであり,あなたが,大学での地位が保証されるまではあなたが言っていることについては極めて注意深くしなければならない。あなたが大学での地位が得られたならば、あなたはあなた自身の研究に関心のあることを決めることが出来,あなたが選択することが出来る。ということはあなたがどんなに有名になろうとも正教授に昇進することは決してない。

西欧人の東洋人に対する理解はまだまだ偏見があると言うこと。最近のアフガニスタン、イラクでの戦争では第二次大戦と違うのはそこの文化を知っている人がいないと言うこと。ノーベル賞が地域研究を阻害していると言うこと。なるほどと思う。今日はここまで。










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海野 恵一
1948年1月14日生

学歴:東京大学経済学部卒業

スウィングバイ株式会社
代表取締役社長

アクセンチュア株式会社代表取締役(2001-2002)
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海野塾のイベントはFacebookのTeamSwingbyを参照ください。 またスウィングバイは以下のところに引っ越しました。 スウィングバイ株式会社 〒108-0023 東京都港区芝浦4丁目2−22東京ベイビュウ803号 Tel: 080-9558-4352 Fax: 03-3452-6690 E-mail: clyde.unno@swingby.jp Facebook: https://www.facebook.com/clyde.unno 海野塾: https://www.facebook.com TeamSwingby
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