2009年12月24日
アフガニスタンでの戦争2
休みは一 週間あるので、何かまとまったテーマを扱いたい。このアフガニスタンはこの週末までで,出来れば,当初の予定通り,お今しばらくは地政学を離れて,アメリカの企業を見てみたい。グーグルが良いと思っている。では昨日の続きを始めよう。
カブールを失ってから,1999年まで,マスードの軍隊は首都を攻撃できる射程の中にいて、定期的に攻撃していた。また、カブールから撤退した後はマスード はロシアとイランから軍事援助を受け始めた。双方の国はタリバンの力が増大することを恐れていた。ロシアは自国内のチェチェン地域で,そしてまた、タジキスタン政府のためにイスラムの反乱軍と戦って来ていた。
モスクワはタリバンを恐れていて,彼等はチェチェンやタジキスタンで戦ってきたこの反乱軍への援助と支持をしている。シーア派イスラム原理主義者(Shiite Islamic fundamentalist)が多数を占めるイランは、主としてハザリと呼ばれるアフガニスタンのスンニ派少数派の扱いについて、スンニ派イスラム教のタリバンと対立している。
1997年までに、パキスタン,サウジアラビア、アラブ首長国連邦はアフガニスタンの合法政府としてタリバンを認めた。タリバンの成功に於けるパキスタンの役割については賛否が分かれているが、幾度かのタリバンの軍事の勝利はパキスタン軍の直接介入のせいだと一般的には信じられている。
マザーリシャリーフ(Mazar-i Sharif) を制圧した後,タリバンはこの地域のハザリ少数派の対立を引き起こした。彼等はタリバンの厳格な宗教規範に合わなかった。そして、豪族マリク将軍とタリバ ンとの蜜月は終わった。結果はマリクとハザリによって少なくともタリバンの3,000人以上の捕虜が処刑された。1998年8月になって、タリバンがマザーリシャリーフを再び奪回した時には即座に,少なくとも2,000人のハザリ人を虐殺した。
ま た、外交官も含めた幾人かのイラン人も殺した。もう少しで,イランータリバン戦争が始まるところであった。この危機が高まった時にイランはアフガニスタンの国境に25万人の軍隊を集結させた。タリバンが支配している時に一貫して、イランはタリバンと交戦している北部アフガニスタンの「統一戦線/北部連盟」 に対して武器と軍事訓練を提供して来た。北部連盟はドスタム(Dostum)将軍のウズベク軍、前大統領のラバーニのタジク軍、ハージ・モハメッド・モハキーク(Haji Mohammed Mohaqiq)率いるスンニ派ハザリ軍である。
1998年に,アフリカのアメリカ大使館のテロによる爆破の後で,アメリカはアフガニスタンのビンラデンのアルカイダ組織に所属する訓練施設を巡航ミサイルで攻撃した。2001年の秋にタリバンは、しばしば、オサマビンラデンと彼のアラブ軍からの支援を受けて,北部同盟に圧力をかけ続けた。2001年9月9日に北部同盟の指導者アフマド・シャー・マスードはジャーナリストのふりをした2人のアラブ人の暗殺の企てによって,瀕死の重傷を負った。この攻撃は9.11の 米国の飛行機のハイジャックとテロへの予定された序曲として,ビンラデンの組織によって行われた。北部同盟はマスードが殺されたので,9月11日の夜間にカブールに空爆を行った。
マスードの殺害は9月11日に起ったアメリカでのテロ攻撃と同期していることはよく知られている。アメリカはビンラデンとアルカイダのこの攻撃を非難し、ア ルカイダとスポンサーであるタリバンとの戦いを計画し始めた。これがテロの世界戦争として知られるようになった第一フェーズである。
戦争の説明
アフガニスタンの戦争はタリバンとアルカイダを目標にした連合軍の空爆で2001年10月7日に始まった。地上ではアメリカ、イギリスその他の連合特殊部隊が北部同盟とともにタリバンを打倒するための軍事攻撃を始めた。北部同盟と連合軍との協力によって,協同の空爆と北部同盟による地上攻撃を行った。これらの攻撃によって,2001年11月13日にカブールは陥落し,タリバンは北部アフガニスタンの殆どから撤退した。多くの連合軍が戦争に加わり,北部同盟は南方に向かって戦ったので,タリバンとアルカイダはアフガニスタンとパキスタンとの国境の山岳地帯に撤退した。
2002年からはタリバンは生存をかけて,軍の再編成を謀った。2005年から2007年の冬まで,タリバンは攻撃を増やして来て,イラク戦争での経験から自爆テロとかその他の戦術を利用して来ている。
2007年2月27日にアフガニスタンへの外交訪問の時に明らかに暗殺計画がタリバンの反乱軍によって行われ,彼等はチェイニーを攻撃目標と考えていた。自爆テロはカブールから20km離れたバグラム空軍基地の検問所で爆発し,一人のアメリカ兵士が巻き込まれたが,チェイニーに怪我はなかった。
2008年の春と夏には,アフガニスタンでの武力衝突による連合軍の死者は、同時に起っているイラク戦争より上回った。タリバンはパキスタンでの強力な基地があるので、蘇生可能で,連合軍とアフガニスタン軍に対して,大規模で,組織的で,効率的な攻撃行うことが出来ることが明らかとなった。最も致命的な攻撃の一つに 8月中旬に、100人近くのタリバン軍がカブールの近くでフランス軍を待ち伏せした。10名が殺され,21名が負傷した。同日にパキスタン国境近くのアメリカ軍基地に自爆テロの一団が攻撃した。
次期のオバマ政権はアフガニスタンに於けるアメリカ軍の規模を大幅に増加させようとしている。ヨーロッパの連合国はオバマ大統領に同様に増派する圧力をかけることを期待している。
2009年7月15日現在の死傷者
アルカイダ 少なくとも2,500
タリバン 少なくとも23,000
アフガニスタン政府
警察官 3,606
兵士 1,087
民間警護 304
アフガニスタン市民 31,000+
2009年10月2日現在の国別連合軍死者
総数(アフガニスタン人以外):1182
アメリカ:774
イギリス:125
ドイツ:38
スペイン:25
フランス:28
デンマーク:26
オランダ:19
イタリア:15

以上でアフガニスタンの戦争の状況のレポートを終えるが,明日はこの戦争が果たして終わるのかと言ったテーマを翻訳したい。さらに最後に,アメリカの学校の生徒にこの戦争をどう説明しているのかを翻訳して,このアフガニスタンの戦争をひとまず締めくくりたい。これは今週末までで,その後は方向のを当初計画した通り,アメリカのコングロマリットのグローバリゼーションを扱いたい。この冬休みはグローバリゼーションの本命だ。今日はここまで。