2010年01月23日
アメリカが新しい現実を認めるとき
日米の同盟関係 アメリカが新しい現実を認めるとき
ニューヨークタイムズのヘレン・クーパーによると,「1990年代の貿易戦争以来、日本とアメリカの関係は最も議論が多い時であり、その時にオバマ大統領は東京に訪問した。」
それから、クーパーは民主党への変転がより議論の多い関係をもたらして来た一連の道のりの明細一覧表に話を進めた。この一連の明細書には鳩山政権が決めたインド洋から海上自衛隊の給油艦の撤収、日本に於ける米軍の再配置のロードマップを再評価するために意思決定、アメリカの役人に対して,公的に議論を吹っかける恥じらいのなさ(アメリカ大使のこと),二国間の地位協定(沖縄基地での人権問題)を再評価する計画がある。
これらに加えて,彼女は暗に,鳩山首相を批判して,ニューヨークとピッツバークを訪問したとき、彼が通常の外交上の気難しそうな対応の彼のデビューでの失態、さらに、ピッツバークでのG20の晩餐会での遅刻をあげた。
この論文を読んで,日米同盟関係は9月に民主党が政権を取るまでは完璧な形であったと言う印象を与えた。責任は明らかに,完全に民主党にあり,合意しないとか,議論が多いとか,日本政府がするべきだとかするべきではないと言ったことを命令しようとした時に,アメリカの役人と口論するとかである。この論文は 一つのヒントを与えているが,両国の高級官僚を巻き込んだドラマを飛び越えて,鳩山の遅刻を飛び越え,また、東京でのGatesの防衛大臣に対する冷たい 態度を飛び越えて,同盟関係を引っ張る構造上の力があるのかもしれない。
現在の緊張ー緊張と言う言葉が正しいならば,ー2つの領域に於ける構造上の所産であり,この双方ともアメリカにとっては好ましいことではない。
その第一は民主党が力をもったこと自体が日本の中で起きた重大な変化の指標だ。大衆がマニフェストの中のこの提案とかあの提案とかを好むかどうかについ て, そして、大衆が実際に鳩山政権に約束通りに出来るかどうかを期待するかについてのアナリストがどんな予測をしようとも,民主党の勝利は政府の旧システムの 終わりを意味する。
新しいシステムはまだ連立しているが,自民党の議員と官僚の間にあった癒着の古い体制に戻るようなことはよもやあるまい。古いシステムが意味することは同盟関係が自民党の同盟関係の管理者と海上自衛隊,最近になって,防衛庁と自衛隊のごく少数の手中にあったということだ。ワシントンポストのJim Hoaglandのようなアナリストのように,8月の選挙後に,日本の防衛官僚のところに飛んで行って,理解することが出来たが,アメリカはこのシステム によって大いに,便益を得ることが出来た。同盟関係の提携はアメリカの政府が日本により貢献することを望んだとしても予測することがで来た。
しかしながら、日本に於ける米軍の配置を徹底的に変革しようと言うようなことになって、日本政府が国民の承諾を得るような場合にはこのシステムは極めて難しい。実際には1960年の条約改定の失敗の後で,アメリカとの同盟関係の提携になった時に国民とその代表者は殆どアメリカに相談されることはなかっ た。(相談したら,成立しなかったから。)そして、アメリカ政府はこれに反対する理由も殆どなかった。じっさいに、オバマ政権は自民党と1955年体制を アメリカが支えて来た役割を忘れてしまったのか,評価していないのかもしれないが一方で,民主党と日本国民はそんなことはない。
古いシステムはまた,不十分に設計されていたので,同盟関係の本質の中に大変革を持ち込むことは出来なかった。双方の同盟関係の管理者達は明らかに,1966年以降にそれを試そうとして,彼等が考えたのは同盟関係をグローバルな安全保障のパートナーシップにすることが出来ると考え,日本国民に相談することなしに,自衛隊を日本の沿岸からはなれたアメリカ主導の戦争に参加させようとすることであった。国民が最後に相談された時には「日本がアジアのイギリス」と言うモデルはもはや国民は関心を持っていなかった。大衆は大きな防衛費によって,増強された頑強な軍隊に関心を持っていなかった。もしくは憲法改正にも関心を持っていなかった。
双方の官僚は日米のより大きな防衛連携にはこの憲法改正が避け難い所産であろうと考えていた。憲法を維持するか,海外のアメリカと連携するかと言う選択があるとすれば,日本国民は前者を選ぶだろう。民主党の勝利は 外交政策の直接的な結果ではなが,自民党政権への不満の帰結であり,その密室の背後で、国民は後から相談を受け,それは同盟関係もそうであり,特にその関 係上の出来事に於いてもそうであった。
排除されたが、より強固なグローバル安全保障のパートナーシップの選択肢とともに,この議論は同盟関係がその代わりになんであるべきかと言うことになっていて,その議論は双方の政府がお互いにより誠実であれば,延び延びになっていたが,やがて始まるかもしれない。
クー パーは民主党が実権を握ったことから来る緊張のサインだと見ていることは私から見ると,双方の政府の誠実な対話の最初の萌芽だと見ている。沖縄はこのプロ セスのただ一つの兆候である。アメリカは軍の配置の受益者であり,それによって、日本の中に大量の米軍を遠い沖縄に押し込めることによって、自民党は自らの政治生命を容易にした。民主党は沖縄県民に対して,可能なベストの取引をしようとして,いま、その価格を支払おうとしている。
勿論,民主党が米国との同盟関係を再考しようとしていることはもう一つの構造的な変化によって,形が作られている。それは東アジアの変革だ。ある範囲 で,1996年の同盟関係のビジョンは実行されなかった。だからこそ、2つの政府が同盟関係がこの地域の中で出来るかつ果たすべき役割が何であるのか意思決定することが出来なかった。ここでは成長する中国の影響力と相互依存関係が避け難い事実としてあった。
ブッシュ政権と小泉,安倍政権によってもたらされた答えは「共通の価値観」であり、民主主義国間の協力であり,このアプローチは安倍政権を存続させなかった。そして、価値観外交にもかかわらず,安倍晋三でさえ,中国の目に靖国の棒をつつくのは中国政策に対して貧弱な代物であると認識していた。
価値観外交とは、“民主主義や人権の尊重などを価値として共有する”国家との関係を強化しようという外交方針。「価値の外交」とも。日本において、この「価値観外交」という考え方を具体化し政策化する動きが現れる。この政策を自由と繁栄の弧と言う。
2006年11月、安倍内閣の外務大臣であった麻生が講演の席で提唱したのが初出であると言われる。当時外務事務次官であった谷内正太郎を中心に企画・立案されたとされる。この「価値観外交」―「自由と繁栄の弧」は、安倍内閣の基本的な外交方針となった。
具体的に解説すると、「自由と繁栄の弧」の指す地域は、地理的には『北欧諸国から始まって、バルト諸国、中・東欧、中央アジア・コーカサス、中東、インド亜 大陸、さらに東南アジアを通って北東アジアにつながる地域』。この地域に物心の協力などを通して上述の「普遍的価値」を根付かせ、地域の政治・経済の安定を実現し、テロの温床を無くして平和を構築しようとする試みである。その目的を達するため、先進各国及び域内の民主主義市場経済体制の国々と積極的に協調すべきとした。特にインドとの関係を強化しようとし、首脳・閣僚会談、貿易・投資や政府開発援助の拡大政策などを行った。
しかし、これらの外交は「価値観が異なる」中国やロシアに対する包囲網ともとれ、(日本に対する)疑念や警戒心を与えるものとして批判する意見も一部にあった。また、インドは環境問題において「途上国の代表同士」として中国と連携することもあった。
2007年9月に安倍内閣が倒れると、後継となった福田康夫内閣は中国・韓国を中心とするアジア外交に軸足を移すことになり、「自由と繁栄の弧」政策は後退、2008年1月に同政策の強力な推進者であった谷内外務次官の退任で一旦眠りに付くこととなる。その後、2008年9月に成立した麻生内閣では、首相・麻生太郎は就任直後に行われた国連総会の演説にて価値観外交について言及するなど、価値観外交の復活を印象付けている。http://ja.wikipedia.org/wiki/価値観外交
今日はこれぐらいにしよう。まだ続きがある。明日はこの後半だ。東アジア共同体はこうした背景からでて来たのかもしれない。