2010年05月28日

フェアな貿易と自由貿易17

今朝は6時から経営会議があるので、その前までだが、このディベートはもう少しだ。もう少し時間が欲しいが、なかなかとれないのが残念だ。

さて、昨日は Woods女史のクロージング・リマークであった。今日はそれに対して、 Bhagwati教授の反論である。すんなりと読めない内容なので、心してほしい。しかも長い。では始めよう。




Jagdish Bhagwati
反対側のクロージ ング・リマーク
The opposition's closing remarks
May 12th 2010 | Jagdish Bhagwati  

私はフェアな貿易の幾つかの考えに関した主要な点を要約することから始めよう。読者はこのディベートでフェアな貿易が議論されて来たが、我々はそれに対して6つの異なった意味を持ったことを知っておく必要がある。

それゆえ、どの意味がどのフェアな貿易のことを言っているのかを定義していないと如何なる議論も意味のないものになってしまうだろう。始めの3つは私の考えを載せているが以下の通りである。:

I will begin by recapping some key points concerning alternative notions of fair trade. The audience should know now that we have as many as six different senses in which fair trade has been discussed in the debate, so that any discussion would be meaningless unless we define which sense is the one at issue. These are, listing my three first, as follows:

1フェアな貿易は開放の互恵主義を意味する。他の国々が我々よりかはオープンでない時にこのフェアな貿易は欠如している。そのようなアンフェアな貿易での自由貿易は自らを害することが議論となっている。

1. Fair trade means reciprocity of openness. It is lacking when others are less open than we are. It is contended that free trade in the presence of such unfair trade harms oneself.


2 フェアな貿易は他の国々が我々が持っているような同じ労働標準を使わなければならないことを意味する。(そして自国の環境標準並びに容器の中に我々が何を入れようが。)そうでないならば我々はそのような他国と貿易を自由化してしまうと我々自身が害を受けてしまうことを議論する。

(ここで言っている環境標準と言う意味は環境のこと。容器云々は他の基準が何であってもと言う意味だと思う。)

2. Fair trade means that others must have the same labour standards (and domestic environmental standards and whatever we decide to put into the pot) as we have. It is argued that if this is not the case, we harm ourselves by freeing trade with such other nations.

3  フェアな貿易は我々が自由貿易の中で、(主に貧しい)国家から買うとき市場価格ではなく、適正な代価を支払うべきだと言うことを意味する。もし我々が貿易に於いて市場価格だけを支払うのであれば我々は貧しい生産者を搾取していることになる。;そのような自由貿易は拒絶され、市場以上の価格での貿易によってのみ置き換えられねばならない。

3. Fair trade means that we should pay a just, not the market, price when we buy from other (chiefly poor) nations in free trade. If we pay only the market price in trade, we are exploiting the poor producers; such free trade must be rejected and replaced by trade only at market-plus prices.

4 フェアな貿易は貿易からの利益の配賦は国家間、国家内において、フェアであることを要求する。そうでないのであれば、それゆえ、自由貿易は認めることは出来ない。

4. Fair trade requires that the distribution of the gains from trade be fair, between and within nations. It is not, and therefore free trade is not acceptable.

5 フェアな貿易は貧しい国々も含めたすべての国家は貿易の規定を取り決めるWTOにおいてその管理に参画することを意味する。こうした実例はない。

5. Fair trade means that all nations, including the poor nations, have a voice in governance at the WTO which sets the rules for trade. This is not the case.

6 自由貿易は我々が今日、自由貿易を支配している不正に操作された規定を拒絶しなければならないことを意味する。貧しい国家の利益に対しての偽善と軽視が行われ、自由貿易の結果がアンフェアになっている。

6. Fair trade means that we must reject the rigged rules that govern free trade today. Hypocrisy and disregard for the interests of the poor nations follow, making free trade's outcomes unfair.

私が以前書いたもの、私のこのリストの最初の3つの扱い、そして後半の3つのNgaire Woodsの主張に対する私の返答はアンフェアな貿易のすべての6つの批判とともに明確な異なった問題を述べて来ていて、そして、真偽のほどはわからないが、自由貿易とは反対の結果になっている。

もちろん、それぞれの課題に於いて貿易の文献は数多くある。そして、私がここで議論しているの はアンフェアな貿易が自由貿易のための実例の土台を壊していると言う主張にたいして、批判的に検査し、しばしば反論するためであり、巨大な氷山の先端でしかない。:我々読者はこれら6つの領域のどれかもしくはすべての中に入りたいのであれば、かぶりつくような過度に豪華なバイキング料理、実にバベットの晩餐会を持つことが出来る。

そこで、私の好きなような限定した領域を使わせてほしい。Woods教授のいくつかの応答に答えるためのこの一連の課題以上のことを言うのではないが、む しろ、その代わりに、Woods教授が間違えて、自由貿易自身に対する実例に反対してなされた追加の主張に対して、私が反論したいと思っている他の細目に集中したい。

(ここの表現はわかりにくいが、次の段落で解説されている。)

Both my earlier statements, the first dealing with my list of three, and my response to Ngaire Woods' claims on the latter three, have stated clearly the different problems with all six charges of unfair trade, and their allegedly adverse implications for free trade. There is much in the trade literature on each of these topics, of course, and what I have argued here by way of examining critically and often refuting the claims that unfair trade undermines the case for free trade, is only the tip of an enormous iceberg: our audience, if they wish to get into any or all of these six areas, has an excessively rich smorgasbord, indeed Babette's Feast, to bite into. So, let me use the limited space I have at my disposal, not to say more on this set of issues to answer some of Professor Woods' responses, but rather to concentrate instead on other specifics where I would like to dispute the added claims that Professor Woods makes mistakenly against the case for free trade itself. 

第一に、彼女が信じているのは私が自由貿易は銀の弾丸だと信じていて、それが曖昧でなく、(すなわち、変わること無く、)国家に利益をもたらし、そして、「他の政策を必要としているようには思えない。」と言うことだ。

自由貿易のいかなる真剣な支持者であってもこのいずれの記述を信じているかどうかは疑わしい。以前の記述に於いて、例えば、私自身の早い時期の作品で示してるのだが、経済成長の結果である貿易の観点から、経済の減退が経済成長からの直接の利益を越えて損失を造り出したのであるとすれば、自由貿易のもとで人は「国を貧しくさせる経済成長」となりえる。

しかしながら、いつもこれに関連した質問はこのモデルが政策を作成するために使うものとして正しいものかどうかである。ここで、(私が反対して来た)普及している「輸出の悲観主義」は自由貿易から著しい離脱を正当化しているが、今日、正当化されていないと信じている人は殆どいない。(もちろんBhagawatiはこの意見に賛成していない。解説は下段にある。)

等しく重要なことであるが、重要な「中心国」(下記注)の傾向としてそのような害を及ぼす結果を規定さえしているので、自由貿易業者は常に生産と消費が硬直的であると、貿易からの利益はないに等しいとはっきり言って来ている。:利益は直接的に再配賦に比例する。(彼はあとで、インドの例を出している。)



輸出悲観論:途上国は政治的に独立。 経済的には依然として旧宗主国に従属。南北貿易は途上国にどのような影響を与えているのか?国際貿易=途上国に対する投資の利益を先進国へ吸い上げるためのメカニズム。一次産品輸出依存型の経済発展は利益をもたらさない。 www.eco.nihon-u.ac.jp/~tsuji/Lecture%208.pdf


これを補足する理論として、以下の命題が有名。

プ レビッシュ‐シンガー命題:一次産品の工業製品に対する交易条件の長期的悪化に関する学説で、国連貿易開発会議(UNCTAD)の初代事務局長を務めたアルゼンチン出身のR.プレビッシュが発表した。従来、工業品と一次産品との国際貿易は比較優位の原理にかなうものであり、自由貿易に参加するすべての国は貿易利益を享受しうる、という伝統的貿易理論が支配的であった。これに対してプレビッシュは、世界経済の基本構造を一次産品を輸出する周辺国と工業品を輸出する中心国から成る1つのシステムとして把握すると共に、一次産品の需要の所得弾力性が工業品に比べて低いために、一次産品の輸出価格が 相対的に安価になって(交易条件 の悪化)、周辺国は国際貿易において不利益を受けると主張した。こうした命題を背後に、プレビッシュは、周辺国は保護 関税主義の下で工業化を推進し、一次産品の輸出に依存するモノカルチャー経済を変革すべきであるという政策提言を行った。なお、ドイツ生まれのH.シン ガーもプレビッシュとほぼ同内容の論文を発表したので、この学説は、両者の名前を付してプレビッシュ‐シンガー命題と呼ばれている。 http://kotobank.jp/word/プレビッシュ‐シンガー命題

First, she believes that I believe that free trade is a silver bullet that unambiguously (i.e. invariably) works to benefit a country and that "It does not seem to require other policies". I doubt if any serious proponent of free trade believes either proposition. On the former issue, my own early work showed, for instance, that one could have "immiserising growth" under free trade if the decline in the terms of trade resulting from growth created losses that outweighed the primary gain from growth. The relevant question always is, however, whether this model is the correct one to use to make policy. Here, few believe today that the widespread export pessimism (to which I was reacting) which would justify a significant departure from free trade was unjustified. Equally important, even ruling out such malign outcomes as an important central tendency, free traders have always been clear that the gains from trade may be negligible if there are inflexibilities in production and consumption: the gains are directly proportional to reallocation.

また、理論的なモデルは経済成長と開放との間の安定した関係を確立してはいないが、Arvind Panagariya教授は著名な国際的な経済学者で、The World Economy紙の論文の中でほぼ30年の期間の間で、高い成長をして来た国家は貿易で、更に解放して来ていると言うことを書いているように、そう言う事実もある。

同時に、実際上、自給自足で、一貫して、惨憺たる経済実績しか維持できない閉鎖国家の例はない。

Also, while theoretical models do not establish a firm relationship between growth and openness, the fact is that, as Professor Arvind Panagariya, a noted international economist has shown in an article in The World Economy, for a period of nearly 30 years countries that have had high growth rates have also had greater openness in trade. At the same time, there is practically no example of a closed country having anything except a dismal economic performance on a sustained basis when it has been autarkic.

もう一度、彼女が主張していることで、アフリカの経済に関して、 経済を開放しているにもかかわらず、製造が1975年以来その期間で、GDPの割合が落ちて来ていると言っている。アフリカの国家の分析はこの主張を裏付けていない。:南アフリカ、ボツワナ、マラウィ、象牙海岸、これらの間で、1975年以降その比率は上昇して来ている。(それ以前のデータは多くの場合利用できないが。)

いずれにしても、農業や主要な資源の貿易を通じて成長して来ている。;工業化は我々がペロン政権下のアルゼンチンから大分前に学んだように、この例に於いては正しい手段ではない。

ペロンのアルゼンチン:アルゼンチンはそういう統一的な対策(特に工業化政策、輸出競争力強化策)を国の政策として推進することに失敗してきた。1946年にペロン大統領は工業化に着手したが、これを地主階級は好まなかった。上流階級の地主層が農業生産を控えたため産物の輸出が減り、外貨の枯渇や財政の窮迫が生じた。このためペロンはあきらめ農業重視に戻らざるを得なかった。www.biz.u-hyogo.ac.jp/society/jsie200810pdf/20081012_08_C_A.pdf

Again, she claims that across African economies, manufacturing has dropped as a share of GDP in the period since 1975, despite opening their economies. Analysis of African countries does not corroborate this assertion: South Africa, Botswana, Malawi and Ivory Coast, among others, appear to show a rise in the ratio after 1975 (the earlier data being often unavailable). In any event, growth can arise through agriculture and primary resource trade; industrialisation is not a correct measure in this instance, as we learnt long ago from Argentina under Peron.

後者の課題で、 Woods教授はより間違っていると言うことではない。あなたは貿易を自由化するかも知れないが、もしあなたが、インドで実際にやったように、企業による産出量の増減をさせないように厳格な許認可を行うとなると、貿易からの利益はほぼ無いに等しい。

インドは1991 年以降の顕著な貿易の自由化によって利益を得ていて、特にそれは、産業の許認可が廃止されたからであった。GATT自身は貿易の許認可が非貿易政策によっ て、間接的にどのように無効化されるか認識している。:いわゆる侵害行為で無いが侵害である。

だから、もしあなたがあなたの城の城門を開けることに合意して、開けても、あなたはその回りに堀を作って、その上、そこにワニを放ってしまう。あなたは効率よく、その城門の開放を相殺してしまう。私はそのような数多くの例を続けることが出来るが、しかしそれらは今までに、明らかであるべきことを説明しているだけだ。

(ここのところは彼が今までに何度か生産と消費が硬直的であると言う意味をここで説明している。)

On the latter issue, Professor Woods could not be more wrong. You may liberalise trade, but if you have strict licensing which prevents expansion and reduction of output by firms, as we in India did, there will be negligible gains from trade. India profited from significant trade liberalisation after 1991 in particular because industrial licensing was also removed. GATT itself recognises how a trade concession could be nullified indirectly by non-trade policies: the so-called non-violation violation. So, if you agree to open the door to your castle and do so, but you build a moat round it with alligators thrown in to boot, you have effectively offset the opening of the door. I could go on with masses of such examples, but they would only illustrate what should be obvious by now.

Bhagwati教授のクロージング・リマークは以上で終わったが、今回の彼の意見は理解が難しい。かなり長い上に、話があちこちで省 略されているので、意識を集中していないと、内容を追って行くのが大変だ。また経済用語がいくつか出ているので、それは解説しておいた。

彼が最後に言った、かってのインドのようながんじがらめの規制を設けた自由貿易は自由貿易では無いと言っている。確かに、こうした硬直した自由貿易は自由貿易ではない。自由貿易そのものはアフリカの過去30年を見てもわかるように、経済成長を伴ってきていると言っている。

さて、明日はWatkins氏の話だ。彼はカーネギーメロン大学のコンピュータ科学の博士候補で、同期ロジカルフレームワークの開発が本業のようで、システムエンジニア。

明日の朝までにはWatkins氏の意見をなんとかしよう。結論まではたどり着けないかもしれないが、土曜日の議論がその延長線上にあれば良い。今日はこれまで。もう時間だ。







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海野 恵一
1948年1月14日生

学歴:東京大学経済学部卒業

スウィングバイ株式会社
代表取締役社長

アクセンチュア株式会社代表取締役(2001-2002)
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海野塾のイベントはFacebookのTeamSwingbyを参照ください。 またスウィングバイは以下のところに引っ越しました。 スウィングバイ株式会社 〒108-0023 東京都港区芝浦4丁目2−22東京ベイビュウ803号 Tel: 080-9558-4352 Fax: 03-3452-6690 E-mail: clyde.unno@swingby.jp Facebook: https://www.facebook.com/clyde.unno 海野塾: https://www.facebook.com TeamSwingby
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