2008年12月31日
「知的財産権の保護、模倣品の問題」
年末にこのようにブログを書く事はちょっと気が引けているが、中国ではこの年末年始は正月ではない。我が社も大連、上海は営業している。勿論日本企業向けの現場はもうお休みだが。私もそうした影響を受けで、テレビ番組のように浮かれてはいない。今こそ、中国の事を整理して、勉強する良い機会だ。BPOがなぜ日本企業に必要か。なぜ中国がグローバル化を理解してほしい。今日も知財だ。2日までこうした課題の話をしたい。
昨日、ルイ·ヴィトンの商標権の話をしたが、中国法院網(2008年12月1日)のニュースで、ようやく判決が出て、王氏が「路易威登」といった商標権を使用することを禁止した。王氏が商標登録したのが、2002年だから、丸6年の歳月がかかってしまった。(JETRO)王氏にしてみればこの期間で、衣料品のポケット、タグ、生地に使用していた意匠を使えたので、彼の事業を立ち上げることができたわけだ。
6年間もルイ·ヴィトンが彼の起業を後押ししたって事になる。中国は法の「公正と正義と自由な競争」になっていない。判決が出ても、処罰の対象にならないと言う事はいかにもおかしい。また、こうした企業がいくらでも出てくると言う事だ。ましてや、この中国では資本主義と自由主義すら十分に浸透せずに、市場経済が発展して来てしまった。
市場経済に移行してから20年もたっていない。国の法整備とその体制が追いつかないのは当然と言える。さらにこの国は中央政府、地方、個人の3者の関係が複雑に絡み合い、昔から、どうお上の「政策」に対して、「対策」するかと言う事を国民はいつでも考えている。日本人のように問題が起こってからどうしようかと言う「対策」ではない。
いつでもどう対策しようか考えている。日本人はこうした事をいつでも考えている習慣がないから出来ない。こうした習慣は一見疲れそうだが、産まれた時からそう言う習慣なので疲れない。こうすればああする。ああしてくればこう対応する。ということを何手もお互いに読んでると言う習慣の事だ。4手、5手先まで読むと言う事は大変な事のようだが、この中国人には朝飯前だ。だから囲碁が強い。
日本が本格的に中国に工場を出して来たのは天安門事件のあった1989年以降だ。この十数年の間にあっという間にGDPが3位になってしまったし、購買力平価で換算すると、5000万人が日本と同じレベルで生活していることになる。日本が戦後60余年で構築して来たものをその4分の一の期間で達成したことになる。そこには環境問題もあれば、地域格差もひどい。こうした状況の中での一つの課題が知識財産権の問題だ。
日本企業が中国に進出して来て、未だ日が浅いが、このビジネスにおいても、膨大な研究開発費を使って来た日本の製品が安易に大量にコピーされてしまった。そのコピーされた商品も訴訟している間に十分に競合できるようになってしまった商品がたくさんある。そうした商品は数え上げたらきりがない。被害額については10億円とも10兆円とも言われているが、政府機関はその数字を控えている。いくらだか出せないのだろう。
そうしたなかで、テックフェイスのよう会社が雲霞のごとく躍進して来た。携帯電話の開発企業で、携帯電話は日本で開発すれば50億円から100億円かかる。こうような中国企業に開発を依頼すれば、10億円ですむ。うまくすれば10分の一で開発できることになる。テックフェイスがこうした犯罪を犯して来たわけではない。一方で、今の中国ではこうした機会が数多くあり、こうした企業が数多くあると言う事だ。
いつの間にか日本の技術に拮抗して来ている企業が出て来た。保守的で、スピードの緩慢な日本がこのままでは躍進する中国に追い越されてしまう。中国を一つの国家と見ては行けない。GDPで見ては行けない。年間成長率で見ては行けない。この国に平均でものを見る事は意味がないからだ。知的財産権もそうした見方をしなければ行けない。
日中の知財の関係はというと、中日知的財産権交流発足30周年を記念するイベントが2008年12月8日、東京で開催された。中国国家知識産権局の田力普局長、高盧麟元局長、日本特許庁の鈴木隆史長官をはじめ、180人以上が出席した。中国国家知識産権局(SIPO)と日本国特許庁(JPO)による第十五回長官会合で、双方が両庁人材育成機関における協力の強化、工業所有権情報のデータ交換に関する合意文書に調印した。(国家知識産権局網 2008年12月12日)(JETRO北京)
この30周年と言うところが傑作だ。1978 年は中国経済は厳格な計画経済から市場経済へ転換が始まった年だ。2007年とこの1978年のGDPを比較すると中国は68倍にもなった。文化大革命は1976年の毛沢東死去に伴って終了した。 そんな時代から知的財産権交流が始まっていたと言うのだから、驚きだ。その当時の北京にはネオンサインがない時代だ。みんな人民服を着ている時代だった。この年に日中平和友好条約が調印された。日本では新東京国際空港が三里塚で有名な新左翼各派も加わった激烈な反対運動を押し切っての開港だった。
さて、日本の自動車メーカーは中国では組み立て以外の部品加工技術は中国には持って行かないと言って来ているが、もうすでに精密機械加工のマシニングセンターが中国に移行されて来ている。そこの下請けメーカーの経営者はそうでもしなければ、こうした精密機器のオペレーターが日本ではもう確保できないと言っていた。制度を計測する最小単位がマイクロメートルと言っていたが、そこまでの精度を要求されるそうだ。そうなると何百台ものマシニングセンターをオペレーションできる人材が日本でもう確保できないそうだ。
そうなると、このオペレーターが辞めて、違うところに行けば、そうした精密機器のオペレーションは出来てしまう。こうした技術の流出は明日のテーマなのでこれ以上話はしない。どこまで模倣、盗用を阻止するのかはすべて例外なく阻止するべきであると昨日言った。昨日はCDのような安易にコピーできるものは阻止しようがないと言ったが、コピーできない技術を開発すれば良いのであって、今のように簡単に解除できない技術を開発するしかない。そうすれば、この問題は解決できる。そうしない限りこうした問題は中国では決して解決できない。
日本が中国の法律を知らないが故に訴訟で負けてしまうケースもあったし、また、訴訟を起こして勝訴をしても、その勝訴までの期間が長過ぎる。そうしたゆゆしき問題に対する外交政策が日本はへただ。「クレヨンしんちゃん」はまけても諦めるべきではないし、ルイビトンは日本の企業ではないから、世界中の企業と政府がこの6年は長すぎると考えている。
日本人はこうした時のリーダーシップがとれないし、世界各国と連携して主導的な立場をとることができない。最も得意な環境問題でも日本は主導権をとれない。環境のCOP(気候変動枠組条約における締約国会議(Conference of Parties))の会議で日本人は意見を言えない。そこに問題がある。2008年11月に開催されたG20緊急首脳会合の記念写真を見ればよくわかる。胡 錦濤はブッシュの隣だが、麻生さんは端っこだ。(日経新聞 小宮隆太郎 私の履歴書)最近どれもこんな調子だ。これは言葉の問題ではない。相手を理解していないからだ。
対中国政府に対して、EUとかアメリカが動いてくれるのを待っている。中国は2006年にWTO加盟後の保護期間は終了している。知的財産保護に対する圧力は日本からだけの問題ではない。「中国は発展途上国ですから」という文言に騙されては行けない。いまや、日米欧と同じ先進国家だ。環境問題では中国はいつでもインドと同様な発展途上国であり、日本もそうした事を認めて来ている。それ自体がおかしい。
たしかに、中国の急成長ですべての事が錯綜し、法律も不整備だが、それどころではない。環境、人口、食料、燃料、貧困すべてどれをとっても、解決すべき課題ばかりだ。しかも拝金主義の中国だ。仕方がないとか、多めに見ようと言うのはおかしい。こうしたことは中国が世界から国際的な信頼を得る上での必須の緊急課題だ。彼らもそう思っている。
中央政府はこの知的財産権の保護に対しては日米欧に対してのフェアな認識は十分にもっている。しかしながら、中国もミニワールドだ。日本のように法律をたてに統治は出来ない国だ。中国では税金をごまかすことはどこの企業でもやっている。だから取り締まりようがないので、増値税のような間接税が7割を占めている国だ。先ほど言ったように、国の「政策」に対して「対策」は国民のお手の物だ。知財も取り締まりようがない。
海賊版のCDはコピーできないようにするしかない。中国では海賊版でないと欲しいものが手に入らない社会になってしまっている。中国人のモラルに訴えても意味がない。こうした模造品に対するモラルは日本人とは違う。中国政府はこうした模造品に対する取り締まりを自ら行うだけでなく、地方政府にもこうした取り締まりを行わせてはいる。彼らはやっているのだが、本音ではない。取り締まれないと思っているからだ。
日本政府、日本の団体がいくら抗議しても言っている事は正しいがその効果はきわめて疑わしい。中国人もコピーは悪いと思っている。税金をごまかす事は悪いと思っている。たぶん、これは宗教観から来るのかも知れない。仏教、キリスト教は人が見ていなくても悪い事をしては行けない。道教は人が見ていなければ、悪いことをしてもとがめられない。違ったかな?確証はないがそうだと思う。もし道教でなければ、中国人の価値観だ。
アメリカ人は人権問題で、いつも中国政府を責めている。中国には確かに言論、報道、信仰、表現、居住、裁判の自由がないか制約している国だ。アメリカはこうした事にたしては執拗なまでにフェアだ。知的財産権についても同様なアクションをしてきている。日本はこうしたアメリカのやり方を学ぶ必要がある。私はアメリカは偉大なローカルな国だと言って来ているが、このようにフェアなところもある。
海賊版の製造は最も重い刑で、無期懲役だそうだ。仮に死刑になってもきっとこの中国ではなくならない。模倣品は金になるからだ。収賄がなくならないのと一緒の論理だ。中国では死刑になっても収賄はなくならない。だから、こうしたCDの製造もなくならない。こう言う事に国民は寛容だ。こうした問題には問題が起こらないような対策しか方法はない。コピーは出来ないような技術を開発するしか方法がない。
JETRO北京知的財産権部に偽物写真館と言うのがあって、(http://www.jetro-pkip.org/photo.htm)とんでもない数の模倣品が展示されているので、一度見てみると面白い。裁判をして、勝訴しても、大した成果を得られない。さらに次から次へと模倣品が出てくる。地方保護主義の話もしてきた。日本は日本人の感性で、日本人の感覚で、こうした知財の問題を扱ってしまうといつまでも解決できないと言う事を我々は理解しなければならない。中国人の目線がどうあれ我々は理解しなければならない。
明日は今日の続きで「技術・ノウハウの流出」だ。大晦日になってしまった。明日は正月だ。相変わらず、この正月は知財だな。中国人を理解する事は大変な事だが、日本人にとっては必須科目だ。だから、BPOをやっている。そうしなければ、いつまでたってもこうした課題は解決できない。中国人の深層心理まで入り込まなければ、こうした課題は解決できない。
お屠蘇気分で、中国人はどういう人たちかを考えてみるのも面白い。彼らは日本人とは違うところはグローバルな環境に揉まれも揉まれて来ていると言う事だ。いま、映画ではやっている「レッドクリフ」は三国志だ。三国志は、中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃 - 280年頃)の興亡史である。こんな昔の話だが、中国人の孔子の教えは2500年たっても変わらない。不思議な国だと言うほかない。
古事記は、和銅5年(712年)太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ)、太安万侶(おおのやすまろ)によって献上された日本最古の歴史書だそうだが、誰も読まないし、高校受験で終わりだ。そう言う中国と我々は縁を切ることはできない。だとすれば、徹底的に関与するしかない。少なくとも、徹底して理解する必要がある。日本はこうした分析はあまり得意ではない。日本の政府はアメリカ政府のように調査していない。中国だけと言うわけではないが、ランド研究所が有名だ。
今日は休みのせいもあって、大分書いてしまったが、この正月も書くつもりだ。仕事が始まると、あまり勉強ができない。今しかないと思っているので、是非つきあってほしい。40歳から中国語を始めた。言葉よりもこうした中国人の価値観が歴史に依存している事から、その奥が深い。13億の国が一つの国家を昔から形成して分解しない事が不思議でしょうがない。そうした国は世界中何処にもない。インドは有名なタージマハールを作ったムガール帝国ですらわずかに100年で、1612年にはオランダ東インド会社がチェンナイの北プリカットに商館を構えて以降、没落して行った。今のインドは各州の人的な交流はなく、国として統一されているが、中国のような人の移動はない。
昨日、ルイ·ヴィトンの商標権の話をしたが、中国法院網(2008年12月1日)のニュースで、ようやく判決が出て、王氏が「路易威登」といった商標権を使用することを禁止した。王氏が商標登録したのが、2002年だから、丸6年の歳月がかかってしまった。(JETRO)王氏にしてみればこの期間で、衣料品のポケット、タグ、生地に使用していた意匠を使えたので、彼の事業を立ち上げることができたわけだ。
6年間もルイ·ヴィトンが彼の起業を後押ししたって事になる。中国は法の「公正と正義と自由な競争」になっていない。判決が出ても、処罰の対象にならないと言う事はいかにもおかしい。また、こうした企業がいくらでも出てくると言う事だ。ましてや、この中国では資本主義と自由主義すら十分に浸透せずに、市場経済が発展して来てしまった。
市場経済に移行してから20年もたっていない。国の法整備とその体制が追いつかないのは当然と言える。さらにこの国は中央政府、地方、個人の3者の関係が複雑に絡み合い、昔から、どうお上の「政策」に対して、「対策」するかと言う事を国民はいつでも考えている。日本人のように問題が起こってからどうしようかと言う「対策」ではない。
いつでもどう対策しようか考えている。日本人はこうした事をいつでも考えている習慣がないから出来ない。こうした習慣は一見疲れそうだが、産まれた時からそう言う習慣なので疲れない。こうすればああする。ああしてくればこう対応する。ということを何手もお互いに読んでると言う習慣の事だ。4手、5手先まで読むと言う事は大変な事のようだが、この中国人には朝飯前だ。だから囲碁が強い。
日本が本格的に中国に工場を出して来たのは天安門事件のあった1989年以降だ。この十数年の間にあっという間にGDPが3位になってしまったし、購買力平価で換算すると、5000万人が日本と同じレベルで生活していることになる。日本が戦後60余年で構築して来たものをその4分の一の期間で達成したことになる。そこには環境問題もあれば、地域格差もひどい。こうした状況の中での一つの課題が知識財産権の問題だ。
日本企業が中国に進出して来て、未だ日が浅いが、このビジネスにおいても、膨大な研究開発費を使って来た日本の製品が安易に大量にコピーされてしまった。そのコピーされた商品も訴訟している間に十分に競合できるようになってしまった商品がたくさんある。そうした商品は数え上げたらきりがない。被害額については10億円とも10兆円とも言われているが、政府機関はその数字を控えている。いくらだか出せないのだろう。
そうしたなかで、テックフェイスのよう会社が雲霞のごとく躍進して来た。携帯電話の開発企業で、携帯電話は日本で開発すれば50億円から100億円かかる。こうような中国企業に開発を依頼すれば、10億円ですむ。うまくすれば10分の一で開発できることになる。テックフェイスがこうした犯罪を犯して来たわけではない。一方で、今の中国ではこうした機会が数多くあり、こうした企業が数多くあると言う事だ。
いつの間にか日本の技術に拮抗して来ている企業が出て来た。保守的で、スピードの緩慢な日本がこのままでは躍進する中国に追い越されてしまう。中国を一つの国家と見ては行けない。GDPで見ては行けない。年間成長率で見ては行けない。この国に平均でものを見る事は意味がないからだ。知的財産権もそうした見方をしなければ行けない。
日中の知財の関係はというと、中日知的財産権交流発足30周年を記念するイベントが2008年12月8日、東京で開催された。中国国家知識産権局の田力普局長、高盧麟元局長、日本特許庁の鈴木隆史長官をはじめ、180人以上が出席した。中国国家知識産権局(SIPO)と日本国特許庁(JPO)による第十五回長官会合で、双方が両庁人材育成機関における協力の強化、工業所有権情報のデータ交換に関する合意文書に調印した。(国家知識産権局網 2008年12月12日)(JETRO北京)
この30周年と言うところが傑作だ。1978 年は中国経済は厳格な計画経済から市場経済へ転換が始まった年だ。2007年とこの1978年のGDPを比較すると中国は68倍にもなった。文化大革命は1976年の毛沢東死去に伴って終了した。 そんな時代から知的財産権交流が始まっていたと言うのだから、驚きだ。その当時の北京にはネオンサインがない時代だ。みんな人民服を着ている時代だった。この年に日中平和友好条約が調印された。日本では新東京国際空港が三里塚で有名な新左翼各派も加わった激烈な反対運動を押し切っての開港だった。
さて、日本の自動車メーカーは中国では組み立て以外の部品加工技術は中国には持って行かないと言って来ているが、もうすでに精密機械加工のマシニングセンターが中国に移行されて来ている。そこの下請けメーカーの経営者はそうでもしなければ、こうした精密機器のオペレーターが日本ではもう確保できないと言っていた。制度を計測する最小単位がマイクロメートルと言っていたが、そこまでの精度を要求されるそうだ。そうなると何百台ものマシニングセンターをオペレーションできる人材が日本でもう確保できないそうだ。
そうなると、このオペレーターが辞めて、違うところに行けば、そうした精密機器のオペレーションは出来てしまう。こうした技術の流出は明日のテーマなのでこれ以上話はしない。どこまで模倣、盗用を阻止するのかはすべて例外なく阻止するべきであると昨日言った。昨日はCDのような安易にコピーできるものは阻止しようがないと言ったが、コピーできない技術を開発すれば良いのであって、今のように簡単に解除できない技術を開発するしかない。そうすれば、この問題は解決できる。そうしない限りこうした問題は中国では決して解決できない。
日本が中国の法律を知らないが故に訴訟で負けてしまうケースもあったし、また、訴訟を起こして勝訴をしても、その勝訴までの期間が長過ぎる。そうしたゆゆしき問題に対する外交政策が日本はへただ。「クレヨンしんちゃん」はまけても諦めるべきではないし、ルイビトンは日本の企業ではないから、世界中の企業と政府がこの6年は長すぎると考えている。
日本人はこうした時のリーダーシップがとれないし、世界各国と連携して主導的な立場をとることができない。最も得意な環境問題でも日本は主導権をとれない。環境のCOP(気候変動枠組条約における締約国会議(Conference of Parties))の会議で日本人は意見を言えない。そこに問題がある。2008年11月に開催されたG20緊急首脳会合の記念写真を見ればよくわかる。胡 錦濤はブッシュの隣だが、麻生さんは端っこだ。(日経新聞 小宮隆太郎 私の履歴書)最近どれもこんな調子だ。これは言葉の問題ではない。相手を理解していないからだ。
対中国政府に対して、EUとかアメリカが動いてくれるのを待っている。中国は2006年にWTO加盟後の保護期間は終了している。知的財産保護に対する圧力は日本からだけの問題ではない。「中国は発展途上国ですから」という文言に騙されては行けない。いまや、日米欧と同じ先進国家だ。環境問題では中国はいつでもインドと同様な発展途上国であり、日本もそうした事を認めて来ている。それ自体がおかしい。
たしかに、中国の急成長ですべての事が錯綜し、法律も不整備だが、それどころではない。環境、人口、食料、燃料、貧困すべてどれをとっても、解決すべき課題ばかりだ。しかも拝金主義の中国だ。仕方がないとか、多めに見ようと言うのはおかしい。こうしたことは中国が世界から国際的な信頼を得る上での必須の緊急課題だ。彼らもそう思っている。
中央政府はこの知的財産権の保護に対しては日米欧に対してのフェアな認識は十分にもっている。しかしながら、中国もミニワールドだ。日本のように法律をたてに統治は出来ない国だ。中国では税金をごまかすことはどこの企業でもやっている。だから取り締まりようがないので、増値税のような間接税が7割を占めている国だ。先ほど言ったように、国の「政策」に対して「対策」は国民のお手の物だ。知財も取り締まりようがない。
海賊版のCDはコピーできないようにするしかない。中国では海賊版でないと欲しいものが手に入らない社会になってしまっている。中国人のモラルに訴えても意味がない。こうした模造品に対するモラルは日本人とは違う。中国政府はこうした模造品に対する取り締まりを自ら行うだけでなく、地方政府にもこうした取り締まりを行わせてはいる。彼らはやっているのだが、本音ではない。取り締まれないと思っているからだ。
日本政府、日本の団体がいくら抗議しても言っている事は正しいがその効果はきわめて疑わしい。中国人もコピーは悪いと思っている。税金をごまかす事は悪いと思っている。たぶん、これは宗教観から来るのかも知れない。仏教、キリスト教は人が見ていなくても悪い事をしては行けない。道教は人が見ていなければ、悪いことをしてもとがめられない。違ったかな?確証はないがそうだと思う。もし道教でなければ、中国人の価値観だ。
アメリカ人は人権問題で、いつも中国政府を責めている。中国には確かに言論、報道、信仰、表現、居住、裁判の自由がないか制約している国だ。アメリカはこうした事にたしては執拗なまでにフェアだ。知的財産権についても同様なアクションをしてきている。日本はこうしたアメリカのやり方を学ぶ必要がある。私はアメリカは偉大なローカルな国だと言って来ているが、このようにフェアなところもある。
海賊版の製造は最も重い刑で、無期懲役だそうだ。仮に死刑になってもきっとこの中国ではなくならない。模倣品は金になるからだ。収賄がなくならないのと一緒の論理だ。中国では死刑になっても収賄はなくならない。だから、こうしたCDの製造もなくならない。こう言う事に国民は寛容だ。こうした問題には問題が起こらないような対策しか方法はない。コピーは出来ないような技術を開発するしか方法がない。
JETRO北京知的財産権部に偽物写真館と言うのがあって、(http://www.jetro-pkip.org/photo.htm)とんでもない数の模倣品が展示されているので、一度見てみると面白い。裁判をして、勝訴しても、大した成果を得られない。さらに次から次へと模倣品が出てくる。地方保護主義の話もしてきた。日本は日本人の感性で、日本人の感覚で、こうした知財の問題を扱ってしまうといつまでも解決できないと言う事を我々は理解しなければならない。中国人の目線がどうあれ我々は理解しなければならない。
明日は今日の続きで「技術・ノウハウの流出」だ。大晦日になってしまった。明日は正月だ。相変わらず、この正月は知財だな。中国人を理解する事は大変な事だが、日本人にとっては必須科目だ。だから、BPOをやっている。そうしなければ、いつまでたってもこうした課題は解決できない。中国人の深層心理まで入り込まなければ、こうした課題は解決できない。
お屠蘇気分で、中国人はどういう人たちかを考えてみるのも面白い。彼らは日本人とは違うところはグローバルな環境に揉まれも揉まれて来ていると言う事だ。いま、映画ではやっている「レッドクリフ」は三国志だ。三国志は、中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃 - 280年頃)の興亡史である。こんな昔の話だが、中国人の孔子の教えは2500年たっても変わらない。不思議な国だと言うほかない。
古事記は、和銅5年(712年)太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ)、太安万侶(おおのやすまろ)によって献上された日本最古の歴史書だそうだが、誰も読まないし、高校受験で終わりだ。そう言う中国と我々は縁を切ることはできない。だとすれば、徹底的に関与するしかない。少なくとも、徹底して理解する必要がある。日本はこうした分析はあまり得意ではない。日本の政府はアメリカ政府のように調査していない。中国だけと言うわけではないが、ランド研究所が有名だ。
今日は休みのせいもあって、大分書いてしまったが、この正月も書くつもりだ。仕事が始まると、あまり勉強ができない。今しかないと思っているので、是非つきあってほしい。40歳から中国語を始めた。言葉よりもこうした中国人の価値観が歴史に依存している事から、その奥が深い。13億の国が一つの国家を昔から形成して分解しない事が不思議でしょうがない。そうした国は世界中何処にもない。インドは有名なタージマハールを作ったムガール帝国ですらわずかに100年で、1612年にはオランダ東インド会社がチェンナイの北プリカットに商館を構えて以降、没落して行った。今のインドは各州の人的な交流はなく、国として統一されているが、中国のような人の移動はない。