2008年10月

2008年10月26日

今朝はお台場でトライアスロンがあるようです.今日は曇り.

どうもここ数日疲れ気味で、よく考えたら、今月は大連に行かないので、その分運動が過多になったのかもしれない.筋肉痛と疲労感がある.年を取ると運動し過ぎると、体がしまってくる反面、体が疲れちゃうね.どこかで意識的に、朝練をジョギングに変えた方が良いのかも知れない.バイクのハングオフの練習はかなり過激だ.相当のConcentrationが必要だ。しかもそれが1秒1秒20分間継続する.いずれにしても、今朝は日曜日なので、インラインの仲間と滑ることになっている.これも結構体力が必要だが、長年滑っているので、手は抜ける.バイクは抜けない.日曜日は最近、毎週団体のバイカーがいつものところを占領しているので、今日は狭いところでの朝練だった。.

昨日は労働生産性の関係で、日本人の生産性の考え方をグローバルに変えましょうと言う話だった。今日は仕事の話でなく、個人の生活の「CHANGE」の話をしよう。バイクで、雨が降っている時にブーツでなく、雨用の長靴に変えると膝スリが出来ない.靴底が柔らかいこともあるが、なぜか出来ない.バイクを怖くて、倒せないんだと思う.同じ格好をしていないとそこまでバイクを引っ張れない.倒す角度が一センチ前後の微妙なところまで倒して、膝スリをする.それ以上だと転倒する.先週の大会のGS50のときもそうだ.50ccだとバイクが小さいし、軽いので、膝スリが出来なかった.これも怖くて倒せない.慣れてくれば絶対にできると思う.しかし、5時間ぐらいの時間ではそこまで慣れない.本当は両方のケースとも膝スリは出来るはずである.気持ちの問題だ.

毎日の生活も同じだ.決まったパターンで生活していると効率が良い.通勤もそうだし、仕事もそうだ.週末はする事が最近多いので、尚更だ.バイクのタイヤが摩滅して先週交換しなければならいときとかバイクの用品の整理で、オークションで売却する時とかは予定外の仕事になるので、週末の時間のやりくりは大変だ.タイヤ交換は2、3ヶ月に一度やっているが、交換するところへの交通の時間を入れると4時間かかる.

毎朝4時半に起床するのは週末も一緒だ.就寝は8時半から10時の間.10時だと翌日どこかで、30分ぐらい休息しないと午後頭がボケてしまう。この生活のパターンを絶えず、意識して変えている。変えない方が遥かに効率が良い.流れ作業でやるべき事を消化できるからだ.変えてはだめなものと変えないとだめなものとある.このブログの時間帯は変えられない.この時間帯だから出来る.一度違う昼間の時間帯でしようとしたことがあったが、忘れる事が多かった.それと、ものを書くと言う事は所詮、面倒なので、昼間はよっぽど調子が出ないと書けない.朝はボーッとしているところがあって、一方で、ものを考える方は活発だが、さぼりたいとか他のことをしたいとか言った部分の脳は働いていない.

だから朝は集中できる.このブログは朝しかない.バイクの練習は6時前に終わっていないと、駐車場に車が入ってくるので朝の4時半は動かせない.駐車場での練習は5時20分から40分の前後。その時間なら、大丈夫.最近は夜の会食は入れない.これは出来るだけ避けている.夜たくさん食事をするのは体に悪いからだ.だから、週2回ぐらいまでにしている.アクセンチュアの頃にはよく通勤の経路を変えた.以前はスケートで新橋まで行っていたが、最近はしていない.会社が東日本橋なので、天王洲アイルからのルートは変えようが無い.

この生活の「CHANGE」には相当強い意志がないと変えられない.いまの慣習で変えようとしているのは毎日2時間のIpodによる英語のヒアリングと毎日1時間のリーディングだ.特に後者の時間が取れない.全社のヒアリングは通勤時間だけで、1時間半確保できる.先月、左目が眼底出血して、よく見えなくなったら、不思議なもので、本を読む時に何時間でも眠くならない.読めるときに読んでおこうと言う本能かも知れない.この機会に、英語を頭から読んで理解する訓練をしている。

今日はとりとめもない話になってしまったが、これまで。

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2008年10月25日

今日は快晴 朝練は前のバイカーがいましたが、帰ってくれました.

東京はバイクの練習用の空き地が少なくて、私はそこの駐車場の毎朝5時20分から45分まで利用しているが、日曜日はたくさんの団体が来ていて利用できない.それでも、今日みたいに朝まで、先客がある時がある.何時までこうして練習できるかわからないが、もう1年になる.有難いことだ.昨日つなぎを濡らしてしまったので、今日は渇いていないまま着たが、まあ、なんとかなった。それと最近オークションを利用していて、革のつなぎを出したら、その商品が詐欺の商品だと指摘された.世の中にはとんでもない人がいるんだなあと思った.

OECD「Productivity Database」より中小企業庁作成資料今日は休みなので、少し落ち着いて書けますね.この図は中小企業庁の資料から引用しましたが、OECDの30カ国のうち日本の労働生産性は20位だと言う2005年の統計値の話をしましょう。労働生産性とは、一人の就業者が1年間にどれくらい国内で新たな価値をうみだしたかを見る。計算式は購買力平価で換算のGDP(国内総生産)/就業者である。統計上は、不法に入国した外国人労働者は分母に加算されないので、外国からの通勤者が多いルクセンブルグが一位になったり、アメリカが3位と言ってもこの分母の中に相当の不法入国者がいるのは事実だ.ヨーロッパも同じで、フランスとかイタリアより日本の労働生産性が悪いのかって言うとそんなことはないとおもうが、以下のことは言えると思う.

購買力平価の考え方で求めた各年の為替レートの理論値(2006年時点で1ドル=89円)を用いて換算し直してみると米国が3位であるがその格差はほとんどなくなってしまう.(チェーンストアエイジ 2008年9月15日号掲載「データで見る流通」より。)

 高い製造業の生産性 (3位)
アイルランド、アメリカに続いて、3位と言うことであるが、上記でも述べたように、分母の就業者の正確性と購買力平価を換算した為替レートをどう設定するかにより、順位は左右されるが、いずれにしても、日本の製造業の生産性は高い.この右の図はOECDのFactbook 2008からの引用である。(http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/5320.htmlから転用した.)この図だと大企業で見ると製造業の労働生産性は韓国、日本、イタリアの順になっている.こっちの方がもっと信憑性はある.いずれにしても日本の製造業の労働生産性が高いのは事実だ.
主要国おける企業規模別の労働生産性格差(製造業)農業保護
 効率の悪い政府(国土交通省など)
 終身雇用
 土建業(いらない高速道路)
 円の価値(購買力平価)
 過剰品質(曲がったキュウリ)
 高い貯蓄率
 土地担保の銀行貸し出し
 見えない物に対するサービス価値
 サービス残業
 貧しい衣食住
 米国の倍の情報投資
 外国人の活用

以上日本の労働生産性が悪いようなところをざーっとあげたが、BPOによるグローバル化で改革できる部分を説明したい.農業、建設業、流通業それとサービス業の生産性が悪いと言うのが、一般的だが、ここでは国全体の経済成長率に目を向けるのではなく、一人一人の仕事の生産性に目を向けて行きたい.しかもその目の向け方がグローバルと言う視点で、目を向けて行きたい。

日本人の仕事の仕方がグローバル仕様になっていない。日本企業は何十年も前から中期3カ年計画の中に「グローバリゼーション」を経営課題のトップに入れて来た.未だにそれが実現できない.それはなぜであろうか.日本人の製造したものは世界中にあふれている.日本人のサービスはどうであろうか.日本から外に出ていない.ホテル業はサービス業の典型だが、海外の出ているのは日本の顧客のためだけだ.そこに日本企業のこれからの大きな課題がある.サービス業が海外の外国人向けに商売が出来ない.なぜだろうか。アメリカ同様に日本のビジネスは今後どんどんサービス業に向かって行くだろう.しかしながら、国内だけのサービス業と言うわけにはいかない.

まず、労働生産性が悪い理由の一つに私なりに、「外国人の活用」をあげた。平成19年5月 経済産業省 経済産業政策局が出した「グローバル人材マネジメント研究会」 報告書には「他の先進国 に比べ高度な外国人材の活用が遅れている」と指摘しているように、日本企業は外国人の採用が少ない.それでは採用を今後増やせば良いのだろうか.違う.先日、あるセキュリティの企業から、事業の中国展開で、中国人を30人日本で採用し、彼らを教育して、今後中国各地に配置して行きたいと言う話を聞いた.

日本企業の最大の課題はこうして採用した中国人の人事管理をする日本人側が対応できないと言う事だ.いまはこうした中国人の対応は日本人の価値観で行っている.そうなると、日本人の価値観にあう「おとなしい」中国人しか残らない.そうなると、何のために中国人を採用したのかわからない.ましてや、そう言う人たちは「優秀」というよりかは一生偉くならなくても良いと言うタイプの人材しか残らない.中国人で「従順」で、「おとなしい」と言う人材は優秀では決して無い.

日本企業の本社の社員が彼ら中国人を管理できる人材にならなければならない.これが本社のグローバル化で、10年はかかるが、いまからその一歩を出したらどうか.遅くない.20年近くも前のバブルがはじけた1993年にこうしたはなしを日本企業に何度もしたが、誰も耳を貸さなかった.その代わりにコスト削減だけの「外注」とか「派遣」のビジネスが隆盛した。いまも同じ状況だ.日本企業はこの混迷の経済のときにこそ,本質的な課題にも取り組むべきだ.「にも」と言ったのはBPO自体がコスト削減の手段だからだ.

いまからアクションをとれば、2020年に中国がアメリカを抜く時までに、日本の企業のグローバル化が間に合う.外国の企業を買収しても、日本の本社がそれに対応できるのだろうか.今度こそ、そのための人材はいまから育成しなければ間に合わない.労働生産性の根底にあるビジネスのスピードとか仕事へのチャレンジとか仕事そのものの「Change」はこうした人材のグローバル化から可能になる.

このことは何十年も前からわかっていたが、解決のアクションが無かった.お金もたくさん使った.英語を話す社員もたくさん出来た.でも何かが足りない.それはグロ−バルな価値観を持った社員が極端にいないからだ.英語ができても、国際会議でも発言できない.価値観は言葉の問題ではないからだ.東レの下村会長のように30年も海外に在住した日本人はそういない。そうなると、この価値観を身につけるための改革をしなければならない.その手段がBPOだ。中国人との共同作業だ.業務を彼らと一緒に行なえば、彼らのやり方が習得できる.その前提は子会社ではない、

全く別会社で行う必要がある.子会社だと日本人と中国人が同格にならない.同格にならないと、中国人は日本人のやり方とか価値観に迎合してしまう.そう言う教育を受けて来ているからだ.我が社の存在はそのためにある.中国人の価値観をそのまま顧客に反映するためにである.摩擦はあるが、そうしなければ、日本の業務をただ単に、中国に持って行っただけになってしまう.何らの改革も無い.中国人から日本人が学ぶべき事はたくさんある.それを捨ててしまうのはもったいない.

中国人がグローバルだと言う事はこのブログでさんざん言って来た.こうして、中国の価値観を取り入れるよとによって、日本人だけが世界で唯一、2つの価値観を持つことにある.日本人の武士道に代表される特有の価値観とグローバル価値観とである.こうした価値観を身につけることによって、グロ−バル・スタンダードを身につけることができれば、多くの労働生産性における課題は解決できる.

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2008年10月23日

今朝は土砂降り。予報は小雨.今日は江南茗茶の店主金益明さんの話をしよう.

今朝はかっぱを着て出たが、革つなぎは上から全部びしょぬれ.ブーツも水浸し.行き帰りは前がよく見えないので、慎重に行ってきた.今日は帰るまで街頭が消えなかった.要は真っ暗だった.それでも膝は擦っている.大きなスリップ一回。まあまあだ。ブーツは中敷を出して干さないと明日は履けない.

今日は中国人の信用について少しお話しよう.中国人の信用の仕方は日本人とは全く違う.年配に日本人には何度言っても理解いただけない.彼らは直ぐに人を信用しない.国土が広いので、いろいろな人種がいるからだ.日本のように単一民族ではない.だから基本的には人を全く信用をしない.しかしながら、いろいろな人種の人とうまくやるために愛想はいい.一見それに日本人は誤解してしまう.いいのかなあっと。

よくない。信用のパターンは第一が家族閥。これは3代さかのぼっても絶対だ.家族閥には賄賂と言う概念は無い.金はいくらでも受け取る.一族は金持ちが養うと言っても過言ではない.それくらい一族の結束は強い.それと中国人の家族はそれなりの都会人であれば世界中に家族が散らばっている.だから、アフリカのアンゴラの経済全体の事はわからないが、そこでビジネスをしたいとなるとその情報は入手できる.誰かがいるからだ.不思議だが、誰かいる.日本人にはそう言う事は決して出来ない.今の私の家族は台湾人だが、台湾と言う地理で考えては行けない.ただ、台湾人だと言う事だけだ.日本人は日本人と日本の国土を離して考えることはできない.台湾人は台湾人である事と彼らの国土は別で、一体ではない.

中国でも何処でも家族人脈があるからだ。しかもその人脈は決して裏切ることはない.商売であれば、値切る必要はない.昔はそうしないと家族を維持できなかった.中国は大昔からたくさんの異人種間で戦争をして来た国だ.統合された歴史はあまりない.言語も国土全体では数百ある.昔は言葉が違えば殺された.毛沢東が標準言語を制定したのは1982年だ.今でも雲南省に行くと学校に標準語を話そうとあちこちに貼ってある.北京から来た教師には彼らの言葉は全くわからない.

第2が地域閥だ.自分の住んでいる地域は言葉、慣習、風俗、文化が一緒だ.だから日本と一緒で、信用できる.私の台湾の家族が上海で住むのは福建省の閔南語を話す人たちがすんでいるところだ.そこはラーメン屋、クリーニング、金物屋すべてが台北と同じで、貨幣単位が違うだけだ.生活習慣は全く同じだ.彼らは上海に住んでいるのではなく、同郷人の集落にすんでいる.日本人は上海はすごいなあと言うが、台湾人は何とも思っていない.リトル台北で住んでいるだけだ.ロスアンジェルスも同じだ.リトル台北があって、主人はアメリカの会社に行くが、おじいちゃん、おばあちゃん、妻子は台湾にいるのと同じだ.話す言葉は閔南語だ。勿論看板には英語で書いてあるが、かならず台湾語が併記されている.食事は3食台湾料理だ.ステーキなと食べない.英語を話さなくていい毎日だ.こう言う事も日本人には理解できない.強烈な地域閥だ.

第3が学閥だ.同じ大学を出た仲間だ.4年間も一緒だからその特定の友人を信用する.これも当たり前だ.そのぐらいの期間一緒にいれば中国人は信用してくれる.実は大連の江南茗茶の店主金益明が例は違うが似たような例だ.彼は私とはこう言った閥とは全く関係のない人だった.大連のGLT(グローバル・リーダーシップ・トレーニング)で、2年目ぐらいからそこにお茶を買いに行った.そこのビルは朝鮮館で、3階が骨董品のお店があり、そこによく骨董を買いに行っていた.その頃に見つけた店で、当時からデパートよりかは半値以下で買えた.

最初の1、2年は毎回値切った.3年目に彼が結婚した.結婚祝いを上げた.その頃から、値切るのを止めた.その代わりに、何かサービスをしてくれるようになった.4年目ぐらいから、そのサービスも無くなった.買う事自体に彼が手心加えるようになって来た.5年目をこえたあたりから、彼の知人とか知り合いのビジネスであれば手数料とか利益なしで、紹介したり、買ってくれたりするようになって来た.丁度、4、5年間、毎月彼のところに行ってお茶を買っているうちに、「信用」を得ることができた.

彼はお茶屋なので、私のビJネスに大して役には立たないが、中国人との信頼を得たケースとして紹介した.大連のGLTではそこにかならず訪問するようにしている.そこでお茶を買えば、飛行場の3分の一だと言う事がわかるからだ.中国ではこれが無いと商売しては危険だ.日本人にはわからない分野だ.江南茗茶の店主金益明はこうして顧客を一人一人30年も確保して行けば、財産を築くことができる.中国人の成功はこうすれば間違いない.だとすれば、中国に渡った数多くの台湾人が成功しているかと言うとそうではない.

いま、中国に台湾人が100万人以上いるが、多分98万人ぐらいは成功していない.乞食になっては台湾には帰れない.そうした人たちがいっぱいいるはずだ.中国人でもこの「信用」を第一にしている人がそう多くはないからかも知れない.日本人の価値観に「勤勉」「実直」「真面目」「嘘つかない」というのがあるが、この価値観は中国人には無いと行っても良い.私は日本人のこの価値観は日本人しか持っていないと言っている.日本人がこれからのアジアのリーだとなるために日本人が持っている唯一の優れた価値観だと思う.台湾人は長い日本の統治のおかげで、こうした日本の価値観をかなり持っている.だから、中国人にやられてしまうのかも知れない.日本人と違い、中国語が話せるから騙されるのも早い.だから、私の台湾の友人で中国から撤退した人がたくさんいる.

中国人はグローバルだと言って来たが、その背景にはこの「信用」がある。是非覚えておいてほしい言葉である.それがないと、中国人のグローバル価値観だけでは本当にビジネスがアジアでたち行くのかと言う疑問にぶつかるからだ.これが無いと実は中国人のグローバル観は成り立たない.中国人の本質は彼らは他人に本当のことを言わないが、本当こことを言う場がある.そこがこの「信用」の場であり、「閥」であるのだ。BPOにはこの「信用」が必須だ.

今日はこれまで.

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今日は朝メールで遅くなってしまった.今朝は曇りではなく雨だった.

雨だったので、歩道を渡る人が見えない.車道のセンターのブロックが見えない.朝は危ないねえ.真っ暗だし.5時丁度に家を出る.明るくなるのが、6時頃だから、家に着く頃だね.バイクうまくなるはずだよ.会社の人間も友人も家族もみんなあきれているよ.よくも飽きないねって.この年になると健康管理で、運動しないと体が壊れてしまう.ただ、こう言う過激なスポーツを60過ぎてしている人はまずいないね.日頃から相当鍛錬していないと、転倒したら、バラバラになっちゃうよ。

さーてと、今日は時間があまりないけど、高見さんの話をしようか。中国山西省大同市で植林事業を行っている、NPO緑の地球ネットワークの高見邦夫さんを支援している。彼は植林事業を評価され国民友諠賞を数年前に受賞した。彼は、18年にわたる植林活動を通じて、大同市の農民を親日に変えた。いまでは、毎年200万本の植林をするようになり、延べ1800万本以上の木を植林してきた。

中国では日本人が45カ所で植林活動をしているが、これほど大規模に植林をしているところはない。また大同市にはいくつもの万人坑がある。この万人坑は戦前の、日本の炭鉱開発の犠牲者が埋葬されているところだ。いわば、反日の象徴と言える。しかしながら、大同市在住の一万人もの農民のすべてが親日だ。農民が親日の地域は中国どこに行ってもここだけだ。かれは半年はこの大同にいる.昨日書いた私の大学院の一期生の合田もここにいる.

5月に雪が降る程の高地で、標高1000m。北京の西300km。タクシーで北京から5時間から8時間。大同往復専用のタクシーで、この座席は長時間顧客が座っているので、相当へこんでいる.3年前にこの大同に行った。彼の植林を見に行った.200万本と言うのは気の遠くなる広さだった.20本ぐらい植えたが、200万本を想像することはできなかった.感動した.

アブラ松とかロシア松を植える.土漠で、砂漠が緑地化して行く時に生える植物がこれだ.松だけ植えてもかれてしまう.水分の球根を持った灌木も同時に根に絡ませて植える.風よけの土盛りをする。冬には植えた木に砂をかけて春まで、守ってあげる.春になると掘り起こす.これを2年続ける。気が遠くなるはなしだ.18年もしている.当然の事だが、当時は日本人が簡単にこう言うところには入れなかった.

それだけではない.反日があった.しかもかれは杏の木を植えて、彼らの生活の糧まで考えてあげた.数年前にこの村からはじめての大学生がでた。今までは金がなかった.杏の実を売って、学校に行けた.9月に霜が降りる。この高見さんのならって、ここで、農業をしようとした.60ha確保してもらった.出資したいと言う人も何人か出て来た.何を植えたら良いのか大分検討して、ひまし油に「ひま」が一番育ちやすい事がわかった.その生成加工から、製品までのプロセスも確保した.

青島からひま協会の副理事長を大連に来てもらって、栽培の仔細を聞いた.彼はどんなところでも2毛作が出来ると言った.実はこの大同では出来ない事がわかった.散々試算したが、どんなに頑張っても採算が取れない事がわかった.大同での農業はあきらめた。その後、上海近郊でも努力したが、この件は結局、農業のプロが見つからないので、諦めざるを得なかった.中国での村おこしだ.

こう言う土地柄だから、ものすごく貧しい.農業をビジネスとしては行うことができないところだ.でもここには昔から何百万人の人が住んでいる.よくテレビで、ここの貧しい状況を放映して、女性の俳優が泣いているが、冗談じゃあない.彼らは何百年.何千年こう言う生活をして来ている.その生命力はすごい.人間はすごいと言う実感を現地で感じた。そこで生活している合田もすごい。大学院まで出て、現地に入って、現地人と一緒に現地の言葉で生活している.中国で、料理がまずいと感じたのはここだけだ.泊まったホテルがその当時は日本円で、1000円.うまいわけが無い.そこにいる高見さん、合田はうまいと言っていた.

彼には私の知っている企業を紹介して来た。100周年事業には是非植林をと言う感じだ.何年かしたら北京に雨が降るのではないか.そう信じている.結局私は農業を実際に出来ない事がわかったので、以前書いたように、雲南省にデータエントリーの村おこしを来年いは始めたい.高見さんは年に何回もこの植林事業のセミナーを開いている.是非参加して彼の話を聞いてほしい.彼のすごさは反日の農民を親日に変えた事だ.彼はもと全学連の闘士で、私の1年先輩だ.彼は中国語を専攻したようだが、私はロシア語だった.

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2008年10月22日

昨日は化学会社の呉さんだったが、今日は吉林師範大学の山本さん.

吉林師範大学 東亜研究所 教授 山本忠士さんを紹介しよう.彼は今から10年近くも前に天津で、日中合作の大学院を作った仲間だ.日本と中国が仲良くなるためには日中の学生と企業人が机を並べて、利害関係なく、勉強する事だと言う理念で、戦前の學堂にまねて、大学院を作った.当時は立派な方々がたくさん名前を連ね、盛大は開校式を行った.当時私はアクセンチュアにいたが、この大学院設立に相当に時間を費やした.相方の大学は天津科技大学で、こっちの日本側は日中教育促進機構という中間法人を立ち上げた.

教授の募集も手弁当で、難なく集まったし、ジャイカの予算ももらい、日本から環境担当の教授を4人も送ることができた.天津科技大学の方も誠心誠意この大学院に尽力してくれた.立ち上げ当初は順風万帆だった。私はこの合作の大学院の理事だった.開校して、しばらくして、問題が出て来た.教育の専門家が組織のメンバーにいなかった.そのため、教務課なるものが存在しなかった.日本から派遣してもらった教授も政府の規則に従って、一週間ほとんど授業をしないで良いようなルールだった.彼らは規則通りやっているので、責めるつもりは無いが、所詮、政府の金では物事は進まないと言う事を体感することができた.週2時間教えれば良い規則なんて、誰が作ったんだろうか.その10倍はあっても良いと当時は思った.

そのため、学生から文句が出て、私と山本さんが査察の責任者として天津に手弁当で、派遣された.この当時は日銀、中国銀行、三井物産、トヨタ自動車、東電等の蒼々たる企業が社会人をこの学校に出向させることになっていた.一方で、文部科学省は海外のこうした大学院には一切関与したくないと言って来た.とんでもないはなしだ.已むなく政府の協力は諦めざるを得なかった.そうこう尽力しているうちに、賛同してくれていた著名な企業、政府出身者のOBが抜けて行った.これは勉強になった.最後まで残った人は元経済企画庁長官だった宮崎努さん、中国大使をした佐藤さんだった。

結局、紆余曲折のあげく、彼らとともに大学院を閉校した.大学院として、品質と品位を保つことができないのが最大の課題で、それをとうとう解決することができなかった.卒業生は第一回だけは出すことができた.その一人が、北京の西300kmの大同で、緑の地球ネットワークで働いている合田だ.未だに慚愧に堪えない.トヨタの藤井さん。今は日野自動車の専務をしている.東電の元社長の南さん。寄付をもらい申し訳ない事をしてしまった.

このときの相棒がこの山本さんだ.彼はその後、亜細亜大学の参与をしながら、博士号をとり、大学を定年退職して、吉林省の四平に来た.ぼくより確か2歳は上だから、今は62歳のはずだ.この四平の吉林師範大学で、日本語を教えている。昨年、研修の講師として、12時間かけて、汽車で、大連まで着てもらった.吉林省は朝鮮族が多く、第2外国語が英語ではなく、日本語という学校も未だに多い.日本語の勉強熱も高い.定年後ここまで来て、中国人の子供たちに日本語を一生教えて行こうと言う彼の行動は立派だ.

大連での研修にもっと来てもらいたいが、遠いので、なかなか出来ない.こう言う日本人は数多くいない.日本の経営幹部に彼の考え方と日中に関わって行く心構えみたいなものを話してもらった.これからもその機会を探して行きたい.同様に、緑の地球ネーットワークの高見さんもすごい.彼については別途話をしなければならないし、大連の研修の講師にも呼びたい.

今日はこれまで.

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2008年10月21日

日は曇りと言う事だったが、晴れだ.バイクもすべて順調.

昨日は周さんの話をしたが、中国人は誰でも親切で、人がいい。信用は別だ.国が広いので、多様な人種がいる。そう言った歴史を理解する必要がある.今日は大連INNOBIO生物有限公司 総経理で、創業者の呉文忠の話をしよう.彼はドイツ・ミュンヘン技術大学で博士号を取得し、分析化学と植物化学の専門家である。いわゆる海外留学組で、中国に戻って成功した典型的な留学成功のパターンだ.

彼はドイツで勉強し、そこでしばらく化学企業に就職してから、大連に5年前に戻って来た.個人で、起業し、あっという間に3000万ドル売り上げの企業になった.その5年間で、借りていた製造設備から、今では市の援助金もあって立派な工場が昨年できた.その前はとんでもなく古い工場だった.彼の製品は以下のようなものだが、専門家でない私にはよくわからないが、要は天然の草花からエキスを抽出して、化学加工をしたものを製品にしている.石油化学装置に比べると、環境に易しいだけでなく、製造工程が90%削減できるそうだ.

と言う事はコストも安い.3年前から、主な日本の化学会社に紹介して来たが、まだ、まともに商売が成立していない.先の3000万ドルはすべて、欧米の企業への売り上げで、日本には未だ無い.なぜに日本に売れないかが、彼の企業を訪問し、彼と話をする事がいままでの目的だ.

彼の主要製品:
  
1.    CLA(Conjugated Linoleic Acid): 共役リノール酸
    GLA(Gamma Linolenic Acid)   :  ガンマリノレン酸
2.   Lutein Esters and Lutein free : ルテチウムエステル
3.   Ethyl Pyruvate         : エチル正リン酸ジキナーゼ 


これら製品の特色は自然界にある草花を低価格で調達し、 特殊な製造技術(触媒、分離)で、高純度の高品質な製品を製造している.彼の商品がなぜ日本に売れないのか、いままで、20回以上彼の会社に訪問して来たが、以下のような理由で、日本市場に参入できない.

1 日本語を話せるタッフがいない.
2 英語を話せる日本企業の人と友好的に会話しても、そのあと何も言ってこない.
3 サンプルを送っても返事が来ない.

こう言った事が売れない主な理由だ.と言うよりも、現象と言った方が良いのかも知れない.中国には欧米の留学組がITも含めてたくさんいる.こう言った人たちは日本とのビジネスを期待するが、このようなレベルで頓挫している.たくさんの化学企業の人たちを彼の会社に連れて行ったし、彼も日本に連れて来て、各社をたくさん回った.反応が良くない.必要としている人にヒットしてないのかも知れない.

彼が言うには欧米の会社は彼が商品を持って行くと先方の購買部門が彼の商品を必要としている部署を探して紹介してくれるそうだが、日本企業はそう言う事は何処の会社もしてくれないので、売り込む方から探さなければならない.そのために、街頭の部署にアクセスできないのかも知れないと彼は言っていた.このことはなるほどなあと思った.日本人は買う方はきわめて高飛車なところがあるが、それは間違いだって言う事が今回彼の会社の商売を手伝ってよくわかった.

創業5年経った今、彼は日本企業とビジネスをしたいと言う希望を持っているが、欧米への売り上げが毎年倍々になっているので、日本市場開拓への準備をする時間が取れないようだ.それに、日本人に対する不信感みたいな感情を最近は持っている。彼の日本人に対する印象は日本人は会うと親切で、愛想がいいが、その後何も言ってこないそうだ.メールを送っても返事すら来ない人が多い.2,3ヶ月に一度研修で訪問しているが、その都度こう言う話をすると、研修に参加している日本人はそう言う事はしないと言う人ばかりだが、呉さんはそれを否定する.

本当の理由は彼の会社が日本企業向けの価値観を持っていないからだ.私が言うグローバル価値観では日本企業に入って行けない.閉鎖社会の中に入るためには閉鎖社会のルールを身につけなければならない。そのことを彼は少しずつ理解し始めて来ている.私は日本企業が今のままだったら、こうしたイノビオのようなベンチャー企業と日本企業が取引する確率は極めて低いと言う事だ.日本企業が還暦で、チャレンジ精神が足りないと言うのはこのことで、彼らとの会話をするためにはグローバル価値観を身につける必要がある。

住友化学は課長以上が英語が必須なので、彼のところを訪問する時は通訳なしで、討議している.こう言った会話をいつもしているが、ビジネスには進展しない.こうした訪問をこれからも継続しながら、彼のビジネスが日本企業とうまくできるまで、回を重ねて行きたい.でももう20回以上だ.このままでは彼の企業は永遠に日本企業とのビジネスは無いかも知れない.何とかしたい.してあげたいではなくて、双方のために何とかした、と言うのが私の意向だ.彼のビジネスは欧米では成功しているからだ.

今日はこれまで.

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プロフィール

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プロフィール

海野 恵一
1948年1月14日生

学歴:東京大学経済学部卒業

スウィングバイ株式会社
代表取締役社長

アクセンチュア株式会社代表取締役(2001-2002)
Swingby 最新イベント情報
海野塾のイベントはFacebookのTeamSwingbyを参照ください。 またスウィングバイは以下のところに引っ越しました。 スウィングバイ株式会社 〒108-0023 東京都港区芝浦4丁目2−22東京ベイビュウ803号 Tel: 080-9558-4352 Fax: 03-3452-6690 E-mail: clyde.unno@swingby.jp Facebook: https://www.facebook.com/clyde.unno 海野塾: https://www.facebook.com TeamSwingby
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