2009年09月

2009年09月24日

陰謀の理論の一覧表10

昨日で、長い連休はあっという間に終わってしまった。このブログも連休のおかげで、かなり内容を調査することが出来た。平日だと、翻訳を急いで、どうしても調査に時間が取れない。さて始めよう。

「ブリル」と呼ばれるエネルギーの秘密の形態を提案するブリル社会の陰謀があって、女系社会主義ユートピア優越人間の秘密社会によって利用され、運営されている。この陰謀説はまた、ナチドイツが先進的な航空機、空飛ぶ円盤 flying saucerを作る技術に利用したと言われている。

これもなんだかわからないので引用しよう。
Vril Society:ブリル協会はエドワード・ブルワー=リットンの小説『来るべき種族』(The Coming Race)に触発されて結成された20世紀前半のドイツのオカルト結社である。
この団体の存在が広く知られるようになったのは、1960年にフランスで出版されたジャック・ベルジェとルイ・ポーウェルの共著『魔術師の朝』(Le Matin des Magiciens、日本では『神秘学大全』の題で抄訳が出ている)で取り上げられたことによる。同書はルドルフ・ヘスのミュンヘン大学における教官であった地政学者カール・ハウスホーファーはヴリル協会の会員であったとして、この団体とナチスおよびトゥーレ協会とを結びつけた。それ以後、ナチスと オカルティズムの関係を述べた(同書を元ネタとする)多くの記事や書籍において、ナチズムのルーツのひとつとしてヴリル協会の名が言及されるようになっ た。しかしながら『魔術師の朝』の記述はどこまでが事実でどこまでが想像ないしフィクションであるか定かではなく、ヴリル協会が実際にナチズムにつながる ような要素を有していたという確証はない。
ルイ・ポーウェルとジャック・ベルジェ以前にこの団体に言及したものとしては、ウィリー・レイに よる『ナチス帝国の疑似科学』と題された1947年の記事がある。この記事によれば、小説をもとに設立された「真実のための協会」(Wahrheitsgesellschaft)と称する疑似科学的団体がベルリンにあり、小説『来るべき種族』に登場する「ヴリル」なる力を研究していたという。
以上が引用。

発明が抑圧されてしまった典型的な話があって、それは非常に効率の良い自動車のキャブレター automobile carburetorの発明で、この発明家は多分、石油会社によって、殺されたか、どこかに追いやられてしまった。彼らは彼らの製品を使わなくなってしまうようなエンジンから彼らのビジネスを守ろうとしていたからだ。植物油で走るエルスベット Elsbettジーゼルエンジンは不当な競争実態に戦わなければならないと言うことが言われて来ている。

ここのところは書いた人が陰謀臭い。菜の花プロジェクトは日本でも有名だ。ドイツではそのためのガソリンスタンドが500もあり、優遇税制であるが、日本ではまだそうしたレベルには至っていない。以下植物油の引用をしておく。

環境にも財布にもやさしい植物油のバイオディーゼル
James Bernard Frost 2003年07月29日
1997年にジョシュア・ティッケル氏は、『ケンタッキー・フライド・チキン』やシーフードフライの『ロングジョン・シルバーズ』といった、米ペプシコ社傘下のファーストフード・チェーンから回収した廃油を燃料にした『べジー・バン』で米国を横断した。大手メディアはその油くさい排気を出す車のことをほのぼのとしたニュースとして伝えた。メディア側はただ面白い話題だと考えていたが、ティッケル氏は真剣だった。
それから6年後、米エネルギー省の『2003年エネルギー年次報告』で、現在存在が確認されている石油資源の3分の2以上が情勢の不安定な中東地域にあることが発表された今、もうティッケル氏のことを笑ってはいられないようだ。
興味深いことに、大気汚染対策の活動家から学校関係者、米軍に至る多種多様な消費者たちが、ディーゼルエンジンの燃料に純植物油(SVO)や、植物油をディーゼル燃料に転換したバイオディーゼルを使いはじめている。その結果、環境面以外にも意義ある成果が得られることがわかってきた。
カリフォルニア州バークレーに住むスティーブ・スミス氏はメルセデス・ベンツの1982年型SUV車(レジャー用大型乗用車)『300GD』に乗っているが、この車に搭載されたディーゼルエンジンを独エルスベット社製の改造キットを使ってSVOを使えるように切り替えた。「自動車整備の経験が多少はあった私でも、取り付けには週末の2日間と平日の夜何日かを要した」とスミス氏は言う。http://wiredvision.jp/archives/200307/2003072906.html

記録映画「電気自動車を誰が殺したのか?」(Who Killed the Electric Car?)では電気自動車技術が石油ガスの大企業によって大いに活動を妨害されて来ていると言う。1899年に電気自動車によって時速65マイルという世界記録が打ち立てられた20世紀初頭直後に第一回目の抑圧があって、第2回目は1913-1914年にThomas Edisonが安い電気自動車を製造しようとした試みに対してHenry Fordがそれを妨害工作をしたことであった。この活動とその後の産業の陰謀はアメリカから電気トロリーシステム、電気機関車を追い出そうとして来たが、Edwin Blackの「内燃機関」( Internal Combustion)と言う本に書いてある。

ニコラ・テスラはいくつかの陰謀説の話題になって来た人で、革命的な電力の生成と伝送技術を開発し、HAARP、すなわちアメリカ軍事予算研究プログラムによって利用されて来たともされなかったとも言われている。このテスラが発見した技術は今日でも実際に存在しており、彼の発見はしばしばヴィルヘルム・ライヒの「オルゴン」発生器のような偽科学に関連して来ている。この偽科学は社会の支配階層によって抑圧されて来た。

ニコラ・テスラ(Nikola Tesla、1856年7月10日 - 1943年1月7日)は、電気技師、発明家。交流電流、ラジオやラジコン(無線トランスミッター)、蛍光灯、空中放電実験で有名なテスラコイルなどの多数の発明、また無線送電システム(世界システム)を提唱したことでも知られる。磁束密度の単位テスラにその名を残す。8か国語に堪能で、詩作、音楽、哲学にも精通していた。
1915年、エジソンとともにノーベル物理学賞受賞候補となるが、共に受賞せず。双方が同時受賞を嫌ったためとも言われている。1930年代にも受賞候補に選ばれるが、受賞はしなかった。1917年、米国電気工学協会エジソン勲章の授与対象になるが、これを断る。
1943年1月7日、ニューヨーク市マンハッタンのニューヨーカー・ホテルで死去。86歳。その死後、数トンに及ぶとされる彼の発明品・設計図は「アメリカ軍とFBIが没収した」「ユーゴスラビアを通じてソ連の手にも渡った」と噂され、半ば伝説のように流布した。実際には一度FBIに押収されて複製された後、母国に返還された。原版はベオグラードのニコラ・テスラ博物館に保管されている。
1898年ニューヨークの新聞記者の前で2トンの鉄の塊を粉々に粉砕するという実験がテスラにより行われた。これは高周波の振動を発生する装置によるものであるとされる。テスラはこの兵器の出力を上げれば、「この地球でもリンゴを割るように真っ二つにできる」と述べた。この兵器は「地震兵器」と呼ばれている。また、1995年(平成7年)2月から4月にかけて、オウム真理教は、地震兵器や電磁シールドの設計図を入手するために6人から成る調査団を、ユーゴスラビアのベオグラードにあるテスラ博物館に派遣した。しかし、閲覧の許可は下りなかった。

HAARP:high-frequency active auroral research program 高周波の活発なオーロラの研究計画 ハープ計画

「アメリカ国防総省は、地球と大気の電荷を操作して、気象に影響を与えるための方法を研究していた。このため、特定区域上で電子ビームを使用して、大気をイオン化、あるいは非イオン化する研究がなされていた」
1966年、大統領直属の科学諮問委員会メンバー、ゴードン・J・F・マクドナルド教授は、その著書『平和が来ない限り』に「環境を破壊 する方法」という章を書いている。天候操作技術、気候修正、極地の氷河融解、極の変動法、オゾン層破壊技術、地震工学、海の波のコントロール、惑星のエネ ルギーフィールドを利用した脳波の操作が可能だというのだ。そして、彼は述べる。
「今後こうしたタイプの武器が発展し、それらが使われると、攻撃を受けた人間は何が起きたのか理解できないだろう」「地球物理学的に見るならば、戦争の勝敗を握る鍵は、小さなエネルギーによって巨大なエネルギーを放出する、環境の不安定要素を確定し、それを利用することにある。」その三十年前の夢をかなえた超兵器こそ、まさにHAARPであった。http://rerundata.net/aum7/4/08haarp/

ヴィルヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich、1897年3月24日 - 1957年11月3日)は、オーストリア・ドイツ・アメリカ合衆国の精神分析家。またオルゴン理論を提唱した擬似科学者。1922年に医学博士の学位を取得する一方で、オーストリア社会党で活動。1930年にはベルリンに移住し、ドイツ共産党に籍を置く。この頃は初期フロイトの路線を強調した上で精神分析に政治的な視点をもたらし、精神分析とマルクス主義を結びつけようと試みた。セックス・ポル(性政治学研究所)を主宰し、プロレタリアートの性的欲求不満が政治的萎縮を引き起こすと主張。社会による性的抑圧からの解放を目指したが、その極端な思想や行動は共産党(殊にコミンテルン)から「非マルクス主義的ゴミ溜め」と批判され除名される。

オルゴン(Orgone) は、心理学者ヴィルヘルム・ライヒが発見したとする自然界に遍在・充満するエネルギーのこと。 オルガスムス(性的絶頂)からオルゴンと名づけられた。性エネルギー、生命エネルギーであるとされ、病気治療に有効であると考えられた。日本では東洋のいわゆる気のエネルギーと同じモノと考える者もいる。1939年、ナチス・ドイツのドイツ国からノルウェーに亡命中、オスロ大学で、自らが発見したという滅菌した肉汁中の小胞バイオンを培養基に入れ顕微鏡で観察していた際バイオンとは異なる激しく動く青い光を放射するものを発見した。その放射は目や皮膚を痛める と感じたライヒは培養基を内が金属、外は木の板の箱に入れた。開けてみると培養基ごと光っており、また取り出しても箱の中に光る粒子が見えたという。これ をオルゴンと、箱をアキュムレーターと名づけた。オルゴンを効率的に集積・放射することのできる装置(オルゴン集積器)(オルゴン蓄積器、オルゴン・ア キュムレーター)を設計製作した。これはしばしばマスコミなどで嘲笑され、「オルゴン・ボックス」「セックス・ボックス」などと呼ばれたこともあった。以上引用。

フォーバス・カルテルは1924年に形成され、確かに、何年もの間、電球産業の競争をやめるように考案されて来たが、長時間持続する電球の製造技術の進歩を阻害して来たと非難されて来ている。しかしながら、フォーバス・カルテルは Thomas Pynchonの「重力の虹」と言う映画の中で重要な役目を果たしている。この映画は現実とフィクションが混在している。

Phoebus cartel フォーバス・カルテル - 1924年から1939年にかけて欧米の電球メーカーが生産や販売を管理するため組んだカルテル

Gravity's Rainbow 「重力の虹」
混沌と破壊の支配するヨーロッパの荒野をひとりゆく、われらが〈ロケットマン〉タイローン・スロースロップ。あるときは亡命船アヌビス号で乱交パーティに加わったり、またあるときは闇商人の一味と共に旧ロケット基地を急襲したり、海辺の町では豚の英雄プレハヅンガに扮して大暴れ。元天才映画監督にして神出 鬼没の闇商人〈跳ね駒〉、淫らな銀幕の女王グレタ・エルトマンとその娘ビアンカ、アフリカ・ヘレロ族の〈黒の軍団〉を率いるエンツィアーン、彼を追いかけ るロシア人の異母兄弟チチェーリンとそのまた後を追うブロッケンの魔女ゲリー、〈ゾーン〉各地で彼と出会い、通り過ぎてゆくさまざまな人々。ロケットと自 分自身の謎を追い求めるロースロップの偏歴は続く。一方、ロンドンでは〈組織〉に対する〈反勢力〉が結成され、抱腹絶倒奇妙奇天烈な反撃が開始された。い くつもの挿話を積み重ね、過去へ未来へよろめきながら、物語は究極のゼロ・アワーへと進んでいく。発表以来、轟々たる賛辞と非難の嵐をまきおこし、いまだ 20世紀アメリカ文学の極北に屹立し続ける謎の天才作家トマス・ピンチョンの全米図書賞受賞作。以上引用。

無料ののエネルギーに対する抑圧 Free energy suppression

これは現在の電力生成方法に対する石油業界による抑圧が1930年代頃からあったと言う陰謀説だ。


武器技術の開発

モントーク・プロジェクトはフィラデルフィア実験の続きで、このプロジェクトは政府が訓練した心霊者、Duncan Cameronを利用したプログラムで、マインド・コントロール、タイム・トラベルそして更に心の物質化現象(ワープ)を行おうとしていた。政府によって否定はされたが、Preston Nichols, Al Bielekの何人かはこのテーマで講義を行い本を書いた。

Montauk Project: 原爆開発の「マンハッタン計画」にも参加したフォン・ノイマン博士が中心となって行われ、映画の題材にもなった、1943年のレーダー不可視実験、通称「フィラデルフィア実験」(「レインボー・プロジェクト」)において、偶然にもテレポート現象が発見された。?これについての研究は、その後もモントーク空軍基地において極秘に継続され、数々の成果を上げた。これが「モントーク・プロジェクト」である。
この「モントーク・プロジェクト」に関わっていたという人物がプレストン・ニコルズであり、ブロックされていた記憶は呼び戻され、プロジェクトの全貌が明らかとなった。
「モントーク・プロジェクト」も、フォン・ノイマン博士を中心として行われ、その成果には、マインドコントロール、思考の物質化、年齢遡行、魂の移植、そしてタイムワープがある。http://www.asyura.com/sora/bd5/msg/262.html 明らかに嘘の話だ。

フィラデルフィア計画( Philadelphia Experiment)は、ペンシルベニア州フィラデルフィア沖合で行われたとされる、アメリカ海軍のステルス実験(正式名称『レインボー・プロジェクト』)。通常、都市伝説の一つである。この実験は、1931年、ニコラ・テスラが設立したと言われるレインボー・プロジェクトの一環であった。当時のレーダーは船体が発する特徴ある磁気に反応するシステムであると考えられていた[1]ため、テスラはテスラコイルと呼ばれる高周波・高電圧を発生させる変圧器で船体の磁気を消滅させれば、レーダーを回避できると考えていた。
その後、この実験はフォン・ノイマンに引き継がれ、1943年、駆逐艦「エルドリッジ」に船員を乗せ、初の人体実験を行なうこととなる。1943年10月28日、 アメリカのペンシルベニア州フィラデルフィアの海上に浮かぶ「エルドリッジ」を使って遂に大規模な実験が秘密裏に行われた。
『フィラデルフィア・エクスペリメント』 原題 : The Philadelphia Experiement 製作 1984年 アメリカ 出演 マイケル・パレ 監督 スチュアート・ラフィル 製作総指揮 ジョン・カーペンター
都市伝説としての同実験をモチーフに、サスペンスやアクション、ラブストーリー等の要素を取り入れたSF映画。

実験によって時空の狭間に停止してしまった駆逐艦エルドリッジから脱出した乗員デビッドとジム。艦から飛び降りた2名は40年後(1984年)の ネバダ砂漠にタイムスリップしてしまった。だがエルドリッジに積まれた磁場装置が時空の狭間で稼働したままになっていることで地球の時空が崩壊しつつあ り、デビッドは地球の危機を救うため艦に向かう・・というストーリー。以上が引用。



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2009年09月23日

陰謀の理論の一覧表9

昨日は家族と一緒にオークションで落札した自転車を熊谷まで取りに行った。連休も終わりなので、行きは結構混んでいて、事故もあり、3時間もかかってしまい、ドイツ村に行く予定を変更して、熊谷の近くの農協のマーケットに行き、早々に帰って来た。それでも、3時に出たのだが、渋滞には遭わなかったものの、ギリギリの時間のようだった。今日は朝、仕事の打ち合わせがあるだけで、用事は何もない。昨日の続きだが、Cuxhavenでのロケット実験の終了に関しては日本語の記事が全くない。英文での解説を翻訳しよう。2社の会社名が出てくるがこれらの会社の中身については説明しない。

Cuxhavenでのロケット実験の終了。

クックスハーフェンはドイツ北部にあり、この話題には疑惑が起こった。この意思決定の背後には何か理由があって、陰謀説の対象となるものだ。

その背景

1964年5月7日にブラウンラーゲ Braunlage近くでの、ゲルハルト・ザッカー Gerhard Zuckerの郵便ロケット・ショーで、一つのロケットが発射後、数メートルの高度で、爆発し、観衆の3人が死んだ。彼らは発射台から安全な距離を全く取っていなかった。ゲルハルト・ザッカーはクックスハーフェンでのHermann-Oberth-Gesellschaft mbH社の発射するロケットのいかなる実験にも協力しなかった。事実、Hermann-Oberth-Gesellschaftの社員からはへまなやつだと言われていた。

当局の話

Seliger Forschungs- und Entwicklungsgesellschaft mbH社Hermann-Oberth-Gesellschaft mbH社による実験と1964年6月のいくつかの実験の終了は公式にはブラウンラーゲ近くのHasselkopf山で、1964年5月7日のゲルハルト・ザッカーの郵便ロケットのショーでの致命的な事故が原因である。実際にはこの両社にはザッカーは協力して来ていなかったが、これらの企業は1957年から1964年までに、クックスハーフェンで、多くのサイズの500のロケットを打ち上げて来ている。

この話の中の疑惑

しかしながら、Hermann-Oberth-Gesellschaft mbH社は彼らの保険会社からの評判はよかった。というのはすべての飛行実験での事故はなかったし、安全水準は高かったからだ。くわえて、ロケットには弾頭は装備されておらず、ドイツにおいて、軍事ロケット開発に関する連合国の法律に違反はしていなかったが、こうした法律を犯すようなロケット兵器への転用は容易であった。それゆえ、この飛行実験はきわめて議論を呼ぶところであって、ソ連からの抗議がいくつかあった。

もう一つの陰謀説

クックスハーフェンでのロケット実験の終了の信じられている理由は1963年12月5日のSeliger Forschungs - und Entwicklungsgesellschaft mbHによるNATO非加盟国の軍事スタッフへの軍事転用可能ロケットの飛行デモかもしれない。と言うのは連合国の法律には直接にはこれらの発射は侵犯していなし、クックスハーフェン地域でのロケットの実験は観光客には極めて有名なロケット郵便の発射であったので、最初は継続して来た。しかしながら、大きな疑惑とともに、彼らは監視されていた。郵便と健全なロケットの仮面の下に、軍事ミサイルが開発されていたと言う恐れを当局が持ったためであった。

クックスハーフェン地域でのロケット実験は1964年6月に禁止されたが、いくつかの矛盾したことがあると言う議論がある。ブラウンラーゲの事故は地上での爆発の典型的な事故であるにもかかわらず、爆発を取り扱う法律よりかは航空運航法がこの禁止を説明するために適用された。事実、この禁止はクックスハーフェンでのすべてのロケットの実験を禁止たわけではなかった。高度100m以下でのロケットの実験はまだ、許可されていた。しかし、そのような実験では実務的に関心は全くないものだった。

この話のその後の事実

面白いことに、1964年6月に言われていたのはクックスハーフェンでのロケットの発射は新しい安全対策が段取りできれば、続けられると言うことであった。しかし、そうはならなかった。

もう一つの面白い事実は先ほどの2社がESA(ヨーロッパ宇宙機関)プロジェクトに対するドイツの貢献に参加を許されなかったことである。これらの会社はロケットを発射したり、設計したりする実務的な多くの経験があったにもかかわらずである。

以上が「Cuxhavenでのロケット実験の終了」に関する説明だ。確かに陰謀っぽい話だな。今日はこれで終わり。明日からは本題の続きだ。始めに、Vril Society ブリル教会がある。

ブリル協会(Vril Society)はエドワード・ブルワー=リットンの小説『来るべき種族』(The Coming Race)に触発されて結成された20世紀前半のドイツオカルト結社である。

この団体の存在が広く知られるようになったのは、1960年にフランスで出版されたジャック・ベルジェとルイ・ポーウェルの共著『魔術師の朝』(Le Matin des Magiciens、日本では『神秘学大全』の題で抄訳が出ている)で取り上げられたことによる。同書はルドルフ・ヘスのミュンヘン大学における教官であった地政学者カール・ハウスホーファーはヴリル協会の会員であったとして、この団体とナチスおよびトゥーレ協会とを結びつけた。それ以後、ナチスと オカルティズムの関係を述べた(同書を元ネタとする)多くの記事や書籍において、ナチズムのルーツのひとつとしてヴリル協会の名が言及されるようになっ た。しかしながら『魔術師の朝』の記述はどこまでが事実でどこまでが想像ないしフィクションであるか定かではなく、ヴリル協会が実際にナチズムにつながる ような要素を有していたという確証はない。

ルイ・ポーウェルとジャック・ベルジェ以前にこの団体に言及したものとしては、ウィリー・レイに よる『ナチス帝国の疑似科学』と題された1947年の記事がある。この記事によれば、小説をもとに設立された「真実のための協 会」(Wahrheitsgesellschaft)と称する疑似科学的団体がベルリンにあり、小説『来るべき種族』に登場する「ヴリル」なる力を研究し ていたという。




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2009年09月22日

陰謀の理論の一覧表8

毎日引用ばかりで、その量の多さに辟易していることと思う。
早いもので、連休4日目になった。今日は熊谷に行って、オークションで落札した自転車を取りにいってくる。本当は乗って帰って来ようとか、新幹線で、取りにいこうとか考えたが、結局、家族で、熊谷の先のドイツ村まで行くことで、取りにいってもらうことになった。自転車は最近乗ったことないので、ちょっと不安だ。ドイツ村で練習できそう。こうして、数日間は休みだが、こういうのも大事だね。昨日は一日、YouTubeで、カンポの宿とかの政治問題とか、インターネットで、UFOの話を読んでいたが、知らないことが多く、世間の広さを感じた。日頃は新聞しか読まないので、情報量が少ないんでしょうね。テレビは最近子供と一緒に見るようにはなったが、どうしても時間のむだだと思う。毎日仕事が頭にあると、民主党が何を考えているのかを深く掘り下げる時間と余裕がないんでしょうね。今日は朝早くから、ドイツ村に行くので、早速始めよう。

クリントンの戦死者数

クリントンの戦死者数 Clinton Body Countと言う言葉は一般に広く知られている言葉だが、Bill Clintonが大統領になる前からそっと、彼の同僚が暗殺されて来ていて、Vince Fosterのように、表向きは彼の成功の途上にいる誰でもが対象となっていたという陰謀説がある。クリントン戦死者数は50-60人のリストがあり、「不可解な状況下で」死んでいる。このリストは1990年中頃からインターネットで広まり始めた。このリストはLinda Thompsonが率いる米国公正連盟(American Justice Federation)という銃支持派グループによって1993年に作成された24名のリストから始まった。このリストはこのグループの電子掲示板 Bulletin board systemに載っていた。

American Justice Federation 米国公正連盟:Linda Thompsonにより創設されたが、この団体は非営利法人で、銃支持派であり、憲法擁護派である。 Snopes.comというサイトを持って、短波ラジオ、電子掲示板、ニュースレター、ビデオの販売を行っている。

Snopes.comはこのリストを暴露して来た。ここで言っているのは1)このリストの人の多くは実際には暗殺されたのだが、資料がよく準備されていて、暗殺の可能性がないような事件になっている。2)アメリカ合衆国の大統領になる政治的な人物が「同僚」の緩やかなグループを形成していて、その多くが危険な地位、すなわち、警察官、パイロット、兵士であり、もしくはより高い地位で、ストレスがたまるようなもう少し年を取った人たちであり、それゆえ、病気とか自殺による、ストレスが原因で死んでしまうより高いリスクのであった。

技術と武器

技術の隠蔽

Avro Arrow このシステムのキャンセル。

Avro Arrow: アブロ・カナダ CF-105 アロー (Avro Canada CF-105 Arrow) は、1950年代アブロ・カナダ社オンタリオ州のマルトン(現:ミシサガ市)でカナダ空軍向けに開発を行っていた全天候要撃機(迎撃戦闘機)。アローが愛称。試作のみで採用はされなった。なおこの計画の中止には、CF-105の高性能におののいたアメリカ合衆国の航空機メーカーからの圧力があったのではないかと噂された。J75エンジン2発装備の合計出力は後のF-15戦闘機すらしのぐものである。機体全長は24m、重量は31tを超える大型機であり、これを上回る戦闘機はアメリカのYF-12と旧ソ連のTu-128のみである。のちにソ連のスパイによって情報が盗まれMiG-25の開発に役立てられた。

Cuxhavenでのロケット実験の終了。

この内容については奥が深そうなので、あとで。

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2009年09月21日

陰謀の理論の一覧表7-2

この数日、陰謀説の対象となる人物の引用が続くが、軽く読んでほしい。どういう人かだけ理解すれば良い。関心のある人物は別途、ネットで検索すれば良い。ここではその人が誰で、なぜ陰謀説に関連するのかだけの記述を引用している。ここに出てくる人たちの全員が誰かを知っておく必要がある。

The Notorious B.I.G.:ノトーリアス・B.I.G.(The Notorious B.I.G.、本名: Christopher Wallace、1972年5月21日 - 1997年3月9日)は、アメリカ合衆国ヒップホップMCニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区ベッドフォード・スタイベサント地区出身。身長190cm、体重136kgの巨漢。愛称はビギー・スモールズ(Biggie Smalles)、単にビギー(Biggie)とも呼ばれる。フランク・ホワイト(Frank White)と名乗ることもあるが、これは映画「キング・オブ・ニューヨーク」の主人公の名前が由来である。MCネームのB.I.G.とはBusiness Instead Of Gamesの略で、「ビー・アイ・ジー」と読むのが正しいが、「ビッグ」とも呼ばれることがある。
2006年にMTVが発表した偉大なヒップホップMCランキングでは、ジェイ・Z2パックに次ぐ第三位にランキングされた。2パックが1994年年11月に銃撃され、犯人としてビギーとディディを疑ったことにより、彼らの仲は一気に険悪になる。2パックが所属するデス・ロウ・レ コードと、ビギーが所属するバッド・ボーイは1990年代の二大ヒップホップレーベルだった。2パックが銃撃され死亡した際に、「敵対するビギーの指示では」との噂が流れた。ビギーはこれを否定した。
その後、今度はビギーがロサンゼルスでヒップホップ雑誌『VIBE』主催の「Soul Train Music Award」パーティーの帰途に撃たれ、セカンドアルバムリリース前の1997年3月9日に死亡する。どちらの銃撃事件も未解決のままである。一時は公式に捜査が休止されたが、ドキュメンタリー映画「ビギー&トゥパック(Biggie & Tupac)」の2002年公開や、親族の陳情を受け、捜査を再開させる。

Tupac Shakur:2パック(2Pac 本名:トゥパック・アマル・シャクール(Tupac Amaru Shakur) 1971年6月16日 - 1996年9月13日)は、アメリカ合衆国ヒップホップMC俳優である。ニューヨーク市マンハッタン区ハーレム地区出身、アフリカン・アメリカン。「トゥパック・アマル」は、古代インカ語で「輝ける龍」の意味(インカ帝国最後の皇帝トゥパク・アマルと、彼の2代目を自称し反乱を起こしたホセ・ガブリエル・コンドルカンキ(トゥパク・アマル2世)の名前から)。
5発(頭部に2発、股間に2発、手に1発)もの銃弾を被弾する事件に巻き込まれる。このとき事件現場にディディノトーリアス・B.I.G.がいたことから、この事件はバッド・ボーイの陰謀だと疑い、ヒップホップ界は西海岸と東海岸とで激しく対立する。銃撃の怪我も癒えない1995年、ファンにアナルセックスを強要したレイプ疑惑で4年6ヶ月の判決を受ける。1996年9月7日ラスベガスで友人でもあるマイク・タイソンのファイトを観戦後、横付けされたキャディラックからの銃弾を4発被弾し、同月13日死亡。25歳没。ノトーリアス・B.I.G.と並び、アメリカ東西海岸ヒップホップ抗争の犠牲者と言われている。また、彼の命日は13日の金曜日であったため、様々な憶測が飛び交ったが、犯人や動機はいまだに不明のままである(2パックの母親はこの事件に関して、メディアにビギーとディディではない別の数名の具体的な名前を挙げて非難している)。

Anna Nicole Smith:アンナ・ニコル・スミス(Anna Nicole Smith、1967年11月28日 - 2007年2月8日)は、アメリカ合衆国月刊誌PLAYBOY』の元プレイメイトモデル女優。アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン出身。本名はヴィッキー・リン・ホーガン(Vickie Lynn Hogan)、2度目の結婚後の本名はヴィッキー・リン・マーシャル(Vickie Lynn Marshall)。『PLAYBOY』創始者のヒュー・ヘフナーに見出され1992年3月に『PLAYBOY』誌の表紙を飾り、「マリリン・モンローの再来」とデビューを飾った。1991年10月ヒューストンのナイトクラブ「ジジズ」(Gigi's)でストリッパーとして働いていた店に客として出入りしていた、テキサスの石油大富豪、J・ハワード・マーシャルJ. Howard Marshall)と出会い、63歳年上の大富豪との結婚に世間を騒がせた。1994年6月27日に結婚し、翌1995年8月4日にJ・ハワード・マーシャルが死去。当時、アンナが夫の葬儀にウエディングドレスを着て参列したと、これもまたマスコミ各誌の話題となり世間を賑わせた。2007年2月8日、アンナはフロリダ州ハリウッドのハードロック・ホテル・アンド・カジノの部屋で倒れているところを発見され、病院で死亡が確認された。39歳だった。息子の謎の死に続き、ゴシップ誌の格好の的となり、彼女の死をメディアも速報で伝えた。

Heath Ledger:ヒース・アンドリュー・レジャー(Heath Andrew Ledger、1979年4月4日 - 2008年1月22日)は、オーストラリア出身の俳優
アカデミー賞 2008年度 助演男優賞ダークナイト
2008年1月22日、映画ダークナイトの完成を待たずにマンハッタンの自宅アパートで遺体で発見された。28歳没。前年11月頃から不眠症となり、「とても疲れているのに二時間程しか眠れない」と映画『ダークナイト』出演に際してのインタビューでは睡眠薬服用を公言している。また、インタビュー時期は自身の婚約解消と別居に重なる時期でもあった。当時はインフルエンザにもかかっており、薬の併用・過剰摂取による急性薬物中毒による事故死だった。

Michael Jackson:マイケル・ジャクソン(Michael Joseph Jackson1958年8月29日 - 2009年6月25日)は、アメリカ合衆国歌手作詞作曲家 演出家 ダンサー。"King of Pop"と称された。ギネス・ワールド・レコーズでは史上最も成功したエンターテイナーとして認定されている。世界総売上げは7億5000万枚(2006年10月末現在)以上[1]。ギネス記録は「全米シングルチャートで首位を獲得した最年少ボーカリスト(ジャクソン5当時11歳)」、「全米シングルチャートで初登場1位を記録した最初のボーカリスト(You Are Not Alone)」、「年間売上げ高が1億ドルを超えた最初のエンターテイナー(1989年、フォーブス誌)」、「史上最高額の所得を得たエンターテイナー(1989年に1億2500万ドル)」などの記録を保有。

また「最も慈善的なスター」としてギネスにも認定されており、ノーベル平和賞にも2度ノミネートされている。

アルバム『スリラー』(Thriller) に関する記録は「1億400万枚の世界最高枚数の売り上げ」「全米アルバムチャートでの最長期間首位(37週・サウンドトラック盤を除く)」、「最も成功した音楽ビデオ(100万本以上の売上げ)」などのギネス記録を保有している。

2009年6月25日、自宅近くのカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)医療センターに呼吸停止の状態で運ばれ、その後死亡が確認された。あまりにも急な、そして若すぎる死を惜しむ声は今も世界中で絶えない。50歳没。

マイケルは2期目の再選を狙っていたジョージ・W・ブッシュ大統領の政治方針に反対し、民主党を支持し資金集めに協力しようと2002年4月にはアポロ劇場で「Black or White」「Heal The World」を披露している。2003年11月18日にベスト盤「ナンバー・ワンズ」をリリース。だが、この直後マイケルは性的虐待疑惑で逮捕され、いわゆる「マイケル・ジャクソン裁判」が始まり、世界各国のマスコミから衆目を浴びる。2005年6月13日、性的虐待疑惑のすべての件に関して無罪評決が下る。マイケルの死後、自宅から大量のプロポフォール(商品名: ディプリバン)および鎮静剤が発見された。プロポフォールは外科手術において全身麻酔の導入・維持にも用いられる麻酔薬であり、鎮静作用はあるが睡眠薬と して処方されることはない。手術用の麻酔薬であるプロポフォールは、麻酔医による適切な監視・用法の下でなければ呼吸停止・心停止を起こす可能性がある。

  • 2009年5月 専属医としてコンラッド・マレーが雇われる。
  • 2009年5月 プロポフォールの処方が始まり、1日辺り50ミリグラム使用する。マレーは「この時点でマイケルはプロフォールを知っており『ミルク』と呼んでいた」と証言する。
  • 2009年6月22日 プロポフォールを25ミリグラムに変更し、代わりにロラゼパムベンゾジアゼピンも投与し始める。
  • 2009年6月23日 プロポフォールの処方を中止し、ロラゼパムとベンゾジアゼピンの投与のみに変更する。
  • 2009年6月24日 マイケルが不眠に陥る。
  • 2009年6月25日 ヴァリウム(鎮静剤)を投与、ロラゼパム投与、ベンゾジアゼピン投与、ロラゼパム再投与、ベンゾジアゼピン再投与、眠れず、使用を中止していたプロポ フォールを25mg投与したところマイケルは眠りについた。10分後、トイレで2分程マイケルから離れ、戻ってみると呼吸をしていなかった。甦生措置を行うも、結果的にマイケルは死亡した。(マレーの証言)。
  • 2009年7月11日ロサンゼルス市警察は、プロポフォールの不適切な使用および依存が死因である疑いは強く、処方医による重過失致死の可能性がある、と表明した。
  • 2009年7月13日 マイケルの姉ラトーヤはイギリスでの取材において「(麻酔を処方した)医者がマイケルを殺したと認識している」と発言した。
  • 2009年7月22日 麻薬取締局とロサンゼルス市警察は、コンラッド・マレーのオフィスを家宅捜索した。
  • 2009年7月29日 麻薬取締局とロサンゼルス市警察は、コンラッド・マレーの自宅およびオフィスを再度家宅捜索した。CNNによると容疑は「故殺」。
  • 2009年8月24日 コンラッド・マレーへの家宅捜索令状および宣誓供述書がスクープされた。コンラッド・マレーの供述による死亡時前後の具体的な状況と検視局により断定された死因を含む内容だった。
  • 2009年8月29日 米ロサンゼルス郡検視局は死因をプロポフォール及び鎮静剤、興奮剤、睡眠剤の複数の薬剤の過剰投与による急性中毒死とし、直接の死因となった薬物はプロポフォール(麻酔薬)とロラゼパム(抗不安薬かつ催眠鎮静剤)の2種類とみられ、自然死ではなく「他殺」と断定したと公式発表した。
明日は「クリントンの戦死者数」で1993年クリントン政権の大統領次席法律顧問Deputy White House Counselであるビンス・フォスターが自殺している。こうした人たちが50-60人もいると言う物騒な話だ。


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陰謀の理論の一覧表7

今朝は昨日の陰謀説の人物の解説のための引用だ。一杯出て来たが、日本人が知らない人もあるし、陰謀説が疑わしい人もある。日本語のネットにあるものはそれを引用に、ないものは英語を引用した。今日は連休3日目だが、もう何日も立ったような気がする。昨日の家族のバーベキューではやっぱり、量が多いのには閉口した。

James Forrestal:ジェームズ・ヴィンセント・フォレスタル(James Vincent Forrestal, 1892年2月15日 - 1949年5月22日)は、第47代アメリカ合衆国海軍長官および初代アメリカ合衆国国防長官。
彼は航空母艦を中心とした空母機動部隊の支持者であった。新しく創設された空軍省は地上基地から作戦を遂行できると主張し、彼の空母機動部隊計画に反対した。空軍との対立は彼を神経衰弱に追い込み、最終的に自殺に繋がった。彼の死後、空母機動部隊の有効性は朝鮮戦争に於いて実証された。アメリカ海軍の最初の超大型空母フォレスタル (USS Forrestal, CVA-59) は彼にちなんで命名された。
フォレスタルは1949年3月28日に「神経衰弱」により辞職し、鬱病と診断されベセスダの海軍病院に入院した。5月22日、彼の遺体が三階の屋根の上で発見された。彼は16階の病室に入院していたが、窓から飛び降りて自殺したと判断された。彼の神経症と病院の過失に関する公式報告書はその死の詳細な状況に対する疑念を抱かせ、ソ連の工作員による殺害からUFOの関係まで様々な陰謀説がささやかれることとなった。フォレスタルは生前イスラエルの工作員が彼を尾行していると主張した。その後アメリカとアラブ国家が秘密協定を結ぶことを心配したイスラエルが工作員を派遣しフォレスタルの行動を観察していたことが明らかになった。

イギリスの政治家のリーダーHugh Gaitskell:ヒュー・トッド・ネイラー・ゲイツケル(Hugh Todd Naylor Gaitskell, 1906年4月9日 - 1963年1月18日)は、イギリスの政治家である。1955年以来、1963年に死去するまで労働党党首を務めた。珍しい自己免疫疾患である全身性エリテマトーデスに突然襲われた彼は、1963年1月18日に56歳で死去した。彼の死後、ハロルド・ウィルソンが新たに党の指導者となった。ゲイツケルの死が突然かつ予想外であったため、不正行為に巻き込まれたのではないかとの憶測を呼んだ。最もよく知られた陰謀論はKGBの陰謀との説であり、ウィルソン(おそらく彼自身もKGBの一員)が首相となることを確実とするために実行されたという。この主張はピーター・ライトの物議を醸した著作、『スパイキャッチャー (Spycatcher) 』(1987年)によって再び注目を集めたが、これまでに明るみに出た証拠はソ連からの亡命者、アナトリー・ゴリーツィンの証言のみである。ヒュー・ゲイツケルは、ロンドン北部にあるセント・ジョン=アット=ハムステッド教会の境内に葬られた。

オーストラリアの首相Harold Holt:ハロルド・ホルト(英:Harold Edward Holt、1908年8月5日 – 1967年12月17日)はオーストラリアの政治家。元首相。1967年12月17日に、友人達と共にビクトリア州メルボルン南方のビーチに出かけ、泳いでいる最中に行方不明になる。その後、6日間に渡って捜索がなされたが、ホルト首相の遺体はおろか着衣すら発見されなかった。
しかし、一国の首相が唐突に行方不明したため、世間では首相の失踪ということで、「中華人民共和国のスパイにより潜水艦で連れ去られた」、「護衛にボートに乗せられた後に国外逃亡して愛人と暮らした」といった諸説が出て、大きなミステリーとされていた。38年後の2005年9月2日に、地元のビクトリア州の検視官が他の水難行方不明者の事例と共に、「ホルト首相は荒波にさらわれて水死した」と最終判断をした。

James P. Brady:彼の履歴は日本語の中では探すことは出来なかった。かれはカナダのフランス系カナダ人と北米先住民との混血児の政治リーダーで、SaskatchewanとAlbertaで、活動していた。彼はマルクス主義者で、社会主義者でまた、この混血児の民族主義者でもあった。かれは第二次大戦中はヨーロッパで、カナダ軍の一員として活躍した。彼が失踪したのは1967年6月で、カナダのクリー族に会いにいく途中であった。殺害されたのか彼の政治活動のために暗殺されたのかといった憶測がある。

ニュージーランドの首相Norman Kirk:ノーマン・カーク(Norman Eric Eirk, 1923年1月6日 - 1974年8月31日)は、ニュージーランドの政治家。第29代ニュージーランド首相。1972年にフランスによる大気圏内核実験に反対し、ニュージーランドとオーストラリアは国際司法裁判所へ提訴する。1973年には南太平洋のムルロア環礁へニュージーランド海軍の艦船を派遣し核実験に対する抗議行動を起こす。また、南アフリカ共和国のアパルトヘイトに反対し、南アフリカのラグビーチーム訪問を拒否した。
1974年ごろから心臓に病をもち、休暇をとるようになるも仕事量は落さなかった。同年8月下旬に病状が悪化し入院するも、その3日後に死去する。

Jimmy Hoffa:ジェームズ・リドル・"ジミー"・ホッファ(James Riddle "Jimmy" Hoffa、1913年2月14日 - 1975年?)はアメリカにおける最大の労働組合である全米トラック運転組合(チームスター・ユニオン、IBT)の委員長として長年にわたり不正行為を働いた人物。息子のジェームズ・P・ホッファは現在全米トラック運転組合の会長を務めている。
1962年夏に司法長官ロバート・ケネディはIBTについて追及を開始し、ホッファは最初の標的として狙われ公聴会で対決する。ロバート・ケネディと対決したとき、彼の父親のジョセフ・P・ケネディが禁酒法時代にマフィアと手を組んで酒の密売で儲けたことを公然と非難した。この際、ホッファはロバート・ケネディを殺害しようと本気で考えていたという。
その後マネーローンダリングに関与したとして、懲役13年の判決を受けて1967年3月7日にルイスバーグ(ペンシルベニア州)の連邦刑務所に収監され、組合の地位と暗黒街での権力も失う。1971年に出所したが、1980年まで組合での活動を禁止するという条件が付いていたため、憲法違反として法廷闘争を開始。一方、復権を狙って後任のフランク・フィッツシモンズと熾烈な抗争を繰り広げる。この頃にはホッファはマフィアにとって利用価値がない邪魔者になっていた。
両者の抗争が激化していた1975年7月30日、ホッファはデトロイトの自宅を出たきり、愛車をレストランの駐車場に残したまま行方不明となる。マフィアの幹部に会う予定だったといわれ、マフィアに暗殺されたという説が有力である。1982年に死亡認定されたが、現在に至るまで捜索が続けられている。それだけ、彼の失踪は社会的に大きな事件であった。
ホッファはクラーレという毒を飲まされ、その死体は拉致に使われた車に放置され、その車は圧縮機械に放り込まれ、ホッファは誰かの車のボディの一部になったという噂がマフィアの間で一時期広まった。その他にも焼いて灰にされたとか、切り刻まれて沼に捨てられたという説もある。

David Kelly:「イラクがニジェールからウランを輸入して核兵器を開発した」「イラク軍は、45分以内に生物・化学兵器を実戦で使える」—これはイラク戦争の開戦理由である。この証拠文章が見つかったとして、ブレア英首相はブッシュ米大統領よりも強硬にイラク戦争の必要性を主張していた。

しかし、い くら経っても現地で物証が出てこないし、「そんなもん最初っからなかった?」という声が全世界で上がっていたときに、「英政府が情報機関の抵抗を抑え、この情報を公表した」とBBCで報道された。この報道でブレア政権はピンチに陥り、情報をBBCにリークした人間を世間に暴露した。その人物が、英国防省顧問で大量破壊兵器の専門家のデビッド・ケリー博士だ。

国内はおろか世界で批判の嵐に遭い、米国には「英国の情報機関が もたらしたものだから、英政府に責任がある」と見放された英政府は、ケリー博士を議会で証人喚問し、議員たちの罵倒の対象にしてしまった。そして7月18 日、訪米していたブレア首相がワシントンから東京に向かっている途中、ケリー博士は自殺してしまった。http://narinari.com/Nd/2003081107.html

Marilyn Monroe:マリリン・モンロー(1926年6月1日 - 1962年8月5日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身の女優。本名ノーマ・ジーン・モーテンセン(Norma Jeane Mortensen)、その後改名してノーマ・ジーン・ベイカー(Norma Jeane Baker)。1950年代中盤から現在に至るまで「アメリカのセックスシンボル」と称される。モンローというステージネームは彼女の母親の姓である。1962年8月に36歳で死去。死の直後、マスコミでは死因は睡眠薬の大量服用による急性バルビツール中毒で、自殺の模様と大々的に報道され、世界に多大な衝撃・悲嘆が駆け巡った。ただのドラッグ・オーバードーズであるとの声もある。
しかし1980年前後以降は自殺説は影を潜め、何者かによる謀殺説が根強く叫ばれ続けている。現場からは自殺に使う はずのコップは発見されておらず、また彼女が遺体で発見されたとき、手には受話器が握られていたものの、電話局からは通話記録はなく、部屋からは彼女の日 記(赤い手帳)が消えていた。
急性バルビツール中毒による体の不調を受けて救急車を自ら呼ぶために受話器を取ったものの、ダイヤルする前にこと切れたという説の他に、仮に謀殺だとすると、電話の通話記録の改ざん・隠蔽を行うことができる政治力の持ち主が関わっていたとする主張がある。
なお、ジョン・F・ケネディ大統領と不倫関係にあったことが死後複数の証言から暴露された上、お互いを紹介したのがマフィアの大ボスに関係しているフランク・シナトラであったと言われていることが、この謀殺説を後押ししている。また、弟であり当時の司法長官だったロバート・F・ケネディとも不倫関係にあったと噂されていて、常に会話の内容をメモしていた赤い手帳が表に出るのを避けたという話もある。

Sam Cooke:サム・クック(Samuel Cook、1931年1月22日-1964年12月11日)はアメリカのソウル/R&Bの歌手。1958年に はマネージャーのJ.W.アレクサンダーとともに音楽出版社を設立。後にはSARレコードを設立する。R&Bが流行した当時、黒人のアーティスト は曲を作っても満足な対価を得られず、白人の会社に「搾取」されるのが通例だった中にあって、自らの著作権を管理するのは画期的なことであった。
かようにクックは黒人の権利に対する意識が高く、公民権運動にも積極的な関わりを持ち、マルコムXやモハメド・アリとも親交を深める。1964年の「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」は人種平等社会が訪れることへの期待を込めたメッセージソングであった。
1964年12月11日、ロサンゼルスのモーテルで管理人に射殺される。33歳。その死を巡っては謎も多いといわれる。 (モーテルに連れ込んだ売春婦に金や服を盗まれ、仕方なく裸で売春婦を追いかけ、その後銃で撃たれたとの説もあり)

Brian Jones:ルイス・ブライアン・ホプキン・ジョーンズ(Lewis Brian Hopkin Jones, 1942年2月28日 - 1969年7月3日)は、イギリスのロックバンド、ザ・ローリング・ストーンズのギタリスト。バンドのリーダーだった。1969年6月8日、ブライアンはバンドを脱退した。脱退直前のブライアンのバンド内での様子は、ジャン・リュック・ゴダール監督の『ワン・プラス・ワン』 (One Plus One)での「悪魔を憐れむ歌」のレコーディング風景の中で見られる。その頃にはかつての縦横無尽に楽器を演奏するブライアンの姿はなく、まるで病人のようであった。
脱退のほぼ1ヶ月後、7月2日の深夜12時を過ぎた頃、コッチフォード農場の自宅プールの底に沈んでいるブライアンが発見された(かつて、「クマのプーさん」の著者であるA・A・ミルンが住んでいた家)。スウェーデン人のガールフレンド、アンナ・ウォーリンが人工呼吸を試み、看護師のジャネット・ローソン、改装工事中の建築業者フランク・サラグッドが救急車を呼んだが、医師が到着したときブライアンはすでに死亡してい た。検死官はアルコールとドラッグの影響で溺死したと報告した。ところが、ウォーリンはその後2000年に、サラグッドがブライアンを殺害したと主張し た。1993年、サラグッドは死の床で殺害を認めたと言われるが、確認がなされる前に他界した。

Jimi Hendrix:ジミ・ヘンドリックス(James Marshall "Jimi" Hendrix, 1942年11月27日 - 1970年9月18日)はアメリカの黒人ロックギタリスト、シンガー、ソングライター。死後40年近く経った現在でも、「天才ギタリスト」として多くのミュージシャンに多大な影響を与え続けている、現代的ロックギターのパイオニアの一人。右利き用のギターを逆さまにして左利きの構えで演奏するスタイルで知られる。ギターを歯で弾いたり、背中で弾いたり、ギター自体に火を放ったり、破壊したりするパフォーマンスも有名。
ローリング・ストーン誌の2003年8月号のカバーストーリー、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」に於いて第1位に選ばれるなど、史上最高のロックギタリストと評されることが多い。ヘンドリックスの死は睡眠薬と酒を併用した事による事故とされているが、死亡する際に一緒にいたダンネマンの行動などに不審な点があり、死の真相は 謎のままであると指摘する声もある(ヘンドリックスの様子がおかしいのにダンネマンはすぐ救急車を呼ばなかった、ヘンドリックスの肺や胃やベッド上の吐瀉物から異常に多量のワインが検出された、など)。
ヘンドリックスの死の直前、ヘンドリックスと同室にいたダンネマンからエリック・バードン(アニマルズ)に、「ジミの様子がおかしい」との電話がかかってきたという。バードンが「すぐ医者(救急車)を呼べ」と促したのに対し、ダンネマンは「部屋にドラッグがあるから呼べない」という旨の返事をしたという(バードンの談話)。
ダンネマンは「救急車で病院に運ぶ際、ジミが窒息しないよう寝かせておくべきなのに、救急隊員がジミをイスに座らせる体勢で移送したため窒息してし まった」などと述べている。しかしホテルの部屋を訪れた救急隊員は「ホテルに到着した際、ヘンドリックスは既に吐瀉物で窒息した状態で、蘇生の可能性は低 かった。病院へ移送する際、イスに座らせるような体勢を取らせた事実はない」と述べている。また運び込まれた病院の医師は「ヘンドリックスは病院に到着した時点で既に死亡していた」と述べている。ダンネマンの証言は二転三転し信憑性が乏しいという意見もある(ヘレン・シャビロ著『エレクトリック・ジプ シー』、トニー・ブラウン著『実録ジミヘン最後の日』などに記述がある)。
生前のヘンドリックスはマフィアの金づるになっていたという説があり、マフィアに誘拐されたこともあると言われる(ノエル・レディングやジョン・マクダーモットなどの著書に記述がある)。ヘンドリックスはマフィアの手で睡眠中に大量のワインを飲まされ、溺死のような形で窒息死させられたのではないかという説も存在する。

Janis Joplin:ジャニス・ジョプリン(本名: Janis Lyn Joplin、1943年1月19日 - 1970年10月4日)は、アメリカ合衆国のロックシンガー。魂のこもった圧倒的な歌唱力と特徴のある歌声により、1960年代を代表する歌手として活躍。また死してなおロックの歴史を代表する女性シンガーとして現在に至るまで人気を博している。彼女が生前最後に公の場に姿を現したのは1970年6月と8月に放映されたテレビ番組であった。6月の番組で彼女は高校の同窓会に 出席する予定だと述べた。同じ番組で、自分は今までクラス、学校、町、そして国中の笑い者だったとも語っている。一躍スターとなり彼女は同窓会に出席したが、その際も疎外感の中、孤独な表情がカメラに押さえられている。この一件はジャニスの孤独感を表す象徴的なエピソードとして語られている。
1970年10月4日、アルバム『パール』の録音のため滞在していたロサンゼルスのホテルで死亡されているのが発見された。27歳没。使用したヘロインが通常のものより高純度であったため、致死量を越えたことが原因であるとされる。録音中だったアルバムの収録曲のうち、「メルセデス・ベンツ」はアカペラの仮録音、そして「生きながらブルースに葬られ」は本人の歌が録音できないまま演奏だけが収録されている。遺灰はカリフォルニアで海へ撒かれた。

Jim Morrison:ジム・モリソン(本名 James Douglas Morrison, 1943年12月8日 - 1971年7月3日)は、1960年代に活動したアメリカのロックバンド・ドアーズのボーカル、詩人。バンドの大部分の楽曲の作詞をし、またそれとは別に、数冊の詩集を発表した。ジム・モリソンは1971年7月3日にパリのアパートでバスタブの中で死体として発見された。多くのファンおよび伝記作家が死因を薬の過剰服用や、アメリカ政府による暗殺の可能性を推測した。モリソンの死はブライアン・ジョーンズ、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックスに続く悲劇だった。(偶然にも彼らは同じ27歳で死亡しており、ロック界におけるひとつのジンクスとなっている。20数年後にニルヴァーナのカート・コバーンも同じ年齢で自殺している。)
死因は公式には心臓発作と発表された。幾人かのファンは彼の死はスポットライトから逃れるための偽装だと信じている。陰謀を主張するものは、彼のガールフレンド、パメラ・カーソンが「彼 は非常に疲れていて、病院で休んでいる」と新聞に語ったことを指摘する。実際に死体が埋葬されるのを見たのはごく少数で、またモリソンは「死」に先立つ 数ヶ月前からバンドのメンバーによく「アフリカへの逃亡」を冗談めかして話していた。ジョン・デンスモアがモリソンの墓に初めて訪れたとき、彼は「(遺体 が入るには)墓が短すぎないか?」と話したと言われている。

Elvis Presley:エルヴィス・アーロン・プレスリー (Elvis Aaron Presley, 1935年1月8日 – 1977年8月16日)は、アメリカのロックンロールミュージシャン。ミドルネームは墓石には Aaron とつづられているが、サイン、公文書共に Aron である。キング・オブ・ロックンロールまたはキングと称され、ギネス・ワールド・レコーズでは「最も成功したソロ・アーティスト」として認定されている。1977年8月16日、心臓発作により急逝。42歳だった。1977年8月16日にテネシー州メンフィスの自宅、グレイスランドで 死去した。ガールフレンドのジンジャー・アルデンによって寝室のバスルームの床に倒れているところを発見され、バプテスト記念病院へ搬送されたが、医師は 午後3:30に死亡を確認した。42歳没であった。検死後、死因は処方薬の極端な誤用による不整脈と公式に発表された。
晩年、エルヴィスはストレスからくる過食症に陥ったことが原因で体重が激増したことに加え、75年くらいからは処方された睡眠薬などを「誤った使い 方」で服用していた。「処方ドラッグをやっていた」とグレン・D・ハーディンなどのメンバー、さらにデル・“ソニー”・ウェストなどのメンフィス・マフィ アのメンバーたちも語っている。
グレンは詳しいことは死ぬまで語るつもりはないといっているが、ソニー・ウェストは暴露本を書いて中傷した。違法なドラッグは一切使用していないが、この処方ドラッグの影響で癇癪持ちになり、体調も維持できなくなってしまった。

Bob Marley:ボブ・マーリー(Bob Marley、1945年2月6日 - 1981年5月11日、本名ロバート・ネスタ・マーリー Robert Nesta Marley)は、ジャマイカのレゲエミュージシャン。その音楽はラスタファリアニズムの思想を背景としており、彼の音楽・思想は(音楽制作者のみならず)数多くの人々に多大な影響を与えている。1981年5月11日 脳腫瘍を患いアメリカ合衆国フロリダ州の病院で死去。36歳没。同月21日、キングストンにて国葬された。

John Lennon:ジョン・レノン MBE(John Winston Ono Lennon, MBE-ジョン・ウィンストン・オノ・レノン, 1940年10月9日 - 1980年12月8日)は、イギリスのシンガーソングライター、ギタリストである。英国・リヴァプール生まれ。ロックバンド「ザ・ビートルズ」のリーダーであった。
MBE(大英帝国勲章)受勲時の本名はJohn Winston Lennon, MBE、オノ・ヨーコと結婚後ミドルネームのWinstonをOnoへの変更を申請したが、認められずJohn Winston Ono Lennonと改名。
1976年7月27日にアメリカの永住権を得る。ジョンの射殺に関しては、当初「FBI関与説」などの根拠に欠ける「陰謀説」 も持ち上がったが、その後の捜査により現在は、「マーク・チャップマンの単独殺害」として結論づけられている。また、当時「チャップマンはレノンの熱烈な ファン」という報道が飛び交ったが、同犯人はある種の精神疾患的な症状があり、「熱烈なファン」という説明自体が疑問視されている。

 Kurt Cobain:カート・ドナルド・コベイン(Kurt Donald Cobain, 1967年2月20日 - 1994年4月5日)は、アメリカ合衆国ワシントン州アバディーン出身の歌手、ギタリスト。イングランド、アイルランド、ドイツ、フランスの血を引く。
日本で言われる、「コバーン」は原音の発音からは完全にかけ離れており、カタカナ表記ではコベインがもっとも近い。 1990年代を代表するワシントン州シアトルの伝説的グランジ/オルタナティブ・ロックバンド、ニルヴァーナ (Nirvana) でボーカルとリードギターを担当し、グランジの金字塔的アルバム『ネヴァーマインド−Nevermind』の成功で一躍ロック・スターの仲間入りを果たすものの、自身の本来の姿とロック・スター的イメージとのギャップに葛藤、ドラッグと精神病に悩まされ、1994年自宅にてショットガンで自殺。27歳没。
ローリング・ストーン誌の2003年8月号のカバーストーリー、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」に於いて第12位。2007年11月号の企画、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も過小評価されている25人のギタリスト」に於いて第2位。カートの死について、自殺ではなく実は暗殺されたと言う説もある。この話の発端は、カートが行方不明になった時コートニー・ラブに雇われた私立探偵トム・グラントが主張したことに始まる。トム・グラントによると、妻であるコートニー・ラブと子守りアシスタントのマイケル・デウィットがカートを暗殺したということである。
コートニーの動機としては、金銭的な問題だと指摘されている。当時、コートニーはカートと離婚調停中であり、もしカートと離婚することになれば何億 ドルという資産が失われることになる。実際にコートニーはこのことに言及しており、その内容はテープに残っている。また、カートが失踪する前、ローマ公演 後に自殺未遂をおこしたとされるが、そこにコートニーと離婚したいと言った内容のメモが残っており、コートニーがそのメモを処分したということをトム・グ ラントはコートニー自身から聞いている。また、後期のカートは音楽活動に嫌気がさし活動をやめたいともらしていたこともあり、自己顕示欲・成功欲の強い コートニーとしてはカートの隠居や離婚により莫大な資産を失うということが耐えられないために、子守アシスタントでコートニーの元恋人であるマイケル・デ ウィットと共謀して行なったとしている。
この説は、カートの遺書が死について言及をしていない点や現場検証において不可解な点が多数見られることにより世間に広まる結果となる。しかし疑惑に対する進展がほとんどない。



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2009年09月20日

陰謀の理論の一覧表6-2

以下の人たちの引用が残っているので、今日、引用を補足する。こう見てくると、世の中には陰謀の理論家が関心を示す人がたくさんいることがわかる。偉くなるのも命がけだ。これからインラインスケートで、昼からは家族でバーベキュー。午後になってからこの続きが書けるかもしれない。

Władysław Sikorski:第2次世界大戦中の1943年、当時のポーランド亡命政府首相で最高司令官、ヴワディスワフ・シコルスキ(Wladyslaw Sikorski)将軍が飛行機事故で死亡した事件について、旧ソ連による暗殺との説を再調査するため、遺体を発掘して異例の調査が行われる。シコルスキ将軍の遺体は2008年11月25日、ポーランド南部クラクフ(Krakow)にある墓地から発掘された。検察官立ち会いのもとで検視が行われる。

社会主義時代の政治犯罪などを調査・訴追するため、98年にポーランドで発足した国民記録機関(IPN)は今年9月、シコルスキ将軍の死に関する調査を開始した。クラクフにあるヤギロニアン大学(Jagiellonian University)の法医学者Malgorzata Klys氏は、AFPに対し「(最初の)検視は12時間はかかる。何が明らかになるかは分からない。事故死と暗殺という2つの説について検証する」と述べた。結果は1か月以内に出るだろうという。

シコルスキ将軍は第2次大戦中、1939年にナチス・ドイツ(Nazi German)に続きソ連がポーランドを侵攻すると、亡命先の英ロンドンから亡命政府を率いたことから、同じくロンドンからナチスへの抵抗をフランス国民に呼び掛けた故シャルル・ドゴール(Charles de Gaulle)仏大統領とよく比較される。シコルスキ将軍は1943年7月4日、イベリア半島最南端の英領ジブラルタル(Gibraltar)から搭乗した英空軍機が、離陸して数分後、海上に墜落し死亡した。62歳だった。事故後、同機の搭乗者17人中唯一生き残ったチェコ人パイロットは、英空軍の調査に対し、飛行制御が妨害されたと語っていた。http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2542981/3558953

James Forrestal
イギリスの政治家のリーダーHugh Gaitskell
オーストラリアの首相Harold Holt
James P. Brady
ニュージーランドの首相Norman Kirk
Jimmy Hoffa
David Kelly
Marilyn Monroe
Sam Cooke
Brian Jones
Jimi Hendrix
Janis Joplin
Jim Morrison
Elvis Presley
Bob Marley
John Lenno
 Kurt Cobain
The Notorious B.I.G.
Tupac Shakur
Anna Nicole Smith
Heath Ledger
Michael Jackson

何件かの暗殺の試みは秘密の陰謀によって実行されて来たし、その何件かは失敗し、その何件かは完全に計画的な犯行であった。成功しない暗殺を企画する動機 はその人の人気を高めるためであり、一般大衆での統計では暗殺計画によって、著名な政治家の政治生命を延ばすと言う傾向にある。アメリカの大統領の暗殺計 画が数多くあった。そのいくつかはGerald Ford、Ronald Reagan、George H. W. Bushであるが、陰謀の理論家によれば、これらの計画はそうした計画であったのではないかと言う嫌疑がかかっている。

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海野 恵一
1948年1月14日生

学歴:東京大学経済学部卒業

スウィングバイ株式会社
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アクセンチュア株式会社代表取締役(2001-2002)
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