2009年11月

2009年11月30日

ゲオポリティク8

あっという間の週末だった。そして、冬がそこまで来ている。今週の木曜日は忘年会でこれが終わるとすぐに年末だ。時間の流れは早い。この地政学も難しと言いながら,なんとか半ばまで来てしまった。勿論これはドイツの地政学だから,その続きは英米がある。それはそれとしても、なんとかたどり着いたと言う感がある。がんばろう。以下の文章も難解で,翻訳していて,読む人のことを考えると大変だなあと思う。ドイツ人らしく,哲学的だ。歴史の重さを感じる。ではよろしく。

ハウスホーファーKarl Haushofer(1869―1946)の貢献

ハウスホーファー:ド イツの軍人、地政学者。軍人として育ち、第一次世界大戦中、陸軍少将になる。1921年ミュンヘン大学の地理学教授となり、地政学を提唱し、自然地理的環境と政治との相互関連を強調した。同年ヒトラーに会い、学生のなかにヘス(のちにナチスの指導者)がいたこともあって、ナチス党の理論家たちと接触し、「生存圏」の概念などによりナチズムの対外侵略を合理化した。だが38年ごろには、妻がユダヤ系であったこともあり、ナチズムに幻滅していたといわれる。子息の アルブレヒトAlbrecht(ベルリン大学地政学教授)が反ヒトラー抵抗運動のかどで逮捕されたとき、彼も逮捕された。アルブレヒトは敗戦直前の45年 4月に射殺されたが、これを深く悲しみ、自殺した。ja.wikipedia.org/wiki/ハウスホーファー

さて、彼の解説は日本語ではこれくらいしかないので,ここの翻訳の方が遥かに詳しい。私注。

ハウスホーファーの地政学はラッツェルとチェレンのそれを拡張している。後者の2人が地政学で、空間に於ける国家有機体論として国家を位置づけ,そうして、 指導者に貢献しようとしたのにたいし、ハウスホーファーのミュンヘン大学では特に地理学を戦争と帝国の設計に関連づける研究を行った。この以前の政治地政学の行動規範はこのようにして,生存圏と世界の権力に向けての行動としてのダイナミックな規範教義(政策上の原則などを示した教書)へと変化していった。

ハウスホーファーは1935年に地政学を以下のように定義した。「土地に対する権利を保護するための義務、最も広義の意味での土地に対してであり, 帝国の国境地域に行ける土地ばかりではなく,より広範な「民衆」Volk (20世紀始めの頃の歴史的な言葉で,帝国の外に住んでいるドイツ人のことを指している。私注)に対して,また文化的な土地(この意味も同様で,帝国の外 にあるドイツ文化を持った土地と言う意味である。私注)に対する権利である。」

文化それ自体はダイナミックな特別の拡張に対する最も貢献している要素として考えられていた。それは拡張のための最善の地域にたいする手引きを提供し、そうすれば、拡張を安全に行うことが出来、そういうことなので、想定される軍隊とか通商による権力は必要なかった。ハウスホーファーは都市化は国家の衰退の兆候であり,土地の管理,出生率、中央集権の効果を減退させる証拠だとさえ考えていた。

ハウスホーファーにとって、国家の存在は生存空間に依存し,その追求がすべての政策の基礎でなければならなかった。ドイツは人口密度が高かったのであるが, 旧宗主国(過去に植民地を所有していた列強)はより人口密度が低かったので、資源豊かな地域にドイツが拡張するための事実上の委任統治の植民地の目標となった。空間は長距離の武器による近隣の敵対国からの最初の攻撃に対して軍事上の防衛になると考えられていた。

領土の緩衝地帯もしくは国境地帯の重要でない国々はドイツを守ることになる。こうした必要性に深く結びついていた主張がハウスホーファーであり、小さな国家の存在は政治上の退化の証拠であり,国際的な組織に於ける秩序の混乱であると主張した。(要するにドイツが吸収併合するべきであると言う意味。私注。)

ドイツを取り巻く小さな国々は活気あるドイツの秩序の中に取り込まれるべきである。これらの国家は小さすぎて,自治国家として維持できないし,仮に大きな植民地を持っていたとしてもであり,ドイツの中で、保護され,組織化された方が良い。ヨーロッパに於いては彼が主張しているのはBelgium, the Netherlands, Portugal, Denmark, Switzerland, Greeceと、オーストリアーハンガリーの「不完全な同盟」であった。

ハウスホーファーの自給自足の考えはマルサス主義のような考え方に基づいていて,地球は人でいっぱいになり,すべての人に食物を提供することが出来なくなるだろうと言う考え方である。本質的には生産力の増加は期待できないだろう。

ハウスホーファーとミュンヘンの地政学の大学は結局は生存圏と自給自足の概念を拡張し,1914年の国境を遥かに通り越し,「太陽の中の場所」を新しいヨーロッパの秩序に求め,,更には新しいアフリカーヨーロッパの秩序、そして、ついにはユーラシアの秩序となった。

この概念はパン・リージョンとして知られるようになり,アメリカのモンロー主義から採用され、それと国家と大陸の自給自足の考えとなった。これは植民地に対する推進力の前向きの作り直しであり,地政学者が経済的に必要でないと思っていたものであるが、より威信に関わる問題として思っていたものであり,旧宗主国に対して圧力をかけるものでもあった。この基本的な原動力は経済的なものではなく,文化的、精神的なものであった。

経済的な概念を超えて,パン・リージョンはその上,戦略的な概念でもあった。ハウスホーファーは英国の地政学者Halford Mackinderのハートランドの概念を認めている。

サー・ハルフォード・ジョン・マッキンダー(Sir Halford John Mackinder, 1861 - 1947):イギリスの地理学者、政治家である。ハートランド理論を提唱し、この概念は地政学の基礎的な理論付けとなった。事実上の現代地政学の開祖ともいえる。ja.wikipedia.org/wiki/ハルフォード・マッキンダー

ハートランド (Heartland) :地政学の用語。ハルフォード・マッキンダーが『民主主義の理想と現実』の中でユーラシア大陸の中核地域を中軸地帯と呼んだことに始まり、後にハートランドと改められた。

マッキンダーは20世紀初頭の世界情勢をとらえ、これからはランドパワーの時代と唱えた。とりわけ、それまでの歴史が海軍大国(海洋国家)優位の歴史であったのに対し、鉄道の整備などにより大陸国家の移動や物資の輸送などが容易となったことで、ハートランドを支配する勢力による脅威が増しているとし、海洋国家同士の連携を主張した。

マッ キンダーは1900年代初頭の世界地図をユーラシア内陸部を中軸地帯(ハートランド)、内側の三日月地帯、外側の三日月地帯とに分け、「東欧を支配するものが、ハートランドを支配し、ハートランドを支配するものが世界島(ワールド・アイランド)を支配し、世界島を支配するものが世界を支配する」と説き反響を呼んだ。また、マッキンダーはユーラシアに存する大国群をシーパワーとランドパワーとにわけてそれぞれが対立する関係にあると論じ、大陸国家がヨーロッ パを中心として熾烈な戦争をはじめ、戦線を拡大していくに違いないと予見した(事実、独ソ両国は熾烈な覇権争いを行った)。ja.wikipedia.org/wiki/ハートランド

ド イツが東ヨーロッパとそれに続いて,ロシアの領域を支配できるのであれば,敵対しているシー・パワーが否定しているところの戦略的な地域を支配できることになる。イタリアと日本との同盟はドイツのユーラシアへの戦略的な支配の更に進んだ拡大であり,これらの国々とともにドイツの「島嶼的 insular 位置づけ」を守るための海軍武装となる。

島嶼的位置づけ:ヨーロッパ全体は「世界島」の中の一つの半島にすぎないと言う見方で,ドイツを島嶼と言っている。

世界島:専門用語でアフロ・ユーラシア大陸の本体のことであり、周辺の島々(特にイギリスと日本)は含まない。世界本島とも訳される。地政学者ハルフォー ド・マッキンダーによる造語である。マッキンダーはイギリスを中心とした海軍大国(海洋国家)が陸軍大国(大陸国家)であるドイツやソビエト連邦などの世 界島支配に向けた勢力拡大を阻止すべきであると主張した。とりわけ、世界島の心臓部を意味するハートランドを占領する列強は、本来膨張志向を有していると指摘している。

Hitlerまでたどり着こうと思たが,今日はその前で終わった。こうした視点からの歴史と地理を勉強することは大事だ。企業を経営していると,こうした機会はまずない。毎日少しずつではなるが,蓄積されれば,大きな力となる。是非日本人が世界の人と対等に会話が出来るようになりたい。勿論日々の生活の中では外国人との接触と友人関係は出来る。ここでは公式な場での日本人の欧米人に対する中身の問題だ。是非あの日本人と議論をしたいと言う日本人を目指している。だから、フランス人と毎週スケートをしているが、そこでは彼らとの会話では何ら問題はない。そうした議論にはならないからだ。ただ、このブログで勉強した中で,フランス人を「ゴロワ」と言うことを知ったが,そう言う些細なことではあるが,彼との会話では弾みがつくこともある。続きを読む

swingby_blog at 07:11コメント(0)トラックバック(0) 

2009年11月29日

ゲオポリティク7

フリードリヒ・ラッツェルの続きだ。今日は日曜日だが今朝は朝から会議なので,相即始めよう。最近は朝会議が多い。

ハウスホーファーはラッツェルに会う機会があった。彼は経済地理学の教師であった、ハウスホーファーの父の友人であり、ハウスホーファーはラッツェルの考えを統合し、自分の理論の中にシー・パワーとランド・パワーとが分裂していたものを統合し、これらの双方を持った国だけがこの対立に打ち勝つ事ができると言った。ここで、ヒットラーはハウスホーファーの著述と異なり、ドイツをランド・パワーだけの追求にゆだねた。

カール・エルンスト・ハウスホーファー:ドイツの陸軍将校で地理学者であり、シーパワーとランドパワー論に影響を与えた一人である。ハウスホーファーの理論で主張される5つの柱は:

ーラッツェルの「リーベンラウム」(生存圏)と国家拡大理論

ーチェーレンの「アウタルキー」(経済自足論)

ーマッキンダーのハートランド論による「ランドパワーとソフトパワーの対立」

パン・リージョン(大国の棲み分け。地球を縦割りにして各々支配しようという理論。)

ーソ連とのランドパワーによる世界支配であるとされる。

ハ ウスホーファーのいわんとするところは世界をいくつかのブロックにわけて、アメリカ、ソ 連、日本、ドイツなどがそれぞれの地域で主要な地位を占め、秩序を維持すべきであるというものである。いわば勢力均衡理論に基づいて世界視野での勢力均衡 を確立することを提唱しているものといえよう。また、それらをとりまとめる国がドイツであるとし、ドイツの帝国主義の時代ならではの理論ともいえる。

http://keyword.auone.jp/Result/index.php?act=service_pc_more&sysid=C001&devcd=2&keyword=%8AC%97m%8D%91%89%C6&contents=4

ラッツェルの主要な貢献は国境地帯の静的な概念ではなく、地理学の有機体組織概念の展開であった。国家はむしろ有機体組織であり、成長する。国境は彼らの運動の中では一時的にそこにとどまっているだけである。国家は文字通りの有機体組織であるだけでなく、そこで生計をする人たちの精神的な絆を持った土地でもある。国家の国境の拡張は国家の健康を反映したものである。ハウスホーファーは彼の著述の中で、国境はきわめてとるに足らないと言う見地を持っていて、特に国家はそれを取り巻く諸国との闘争の中に絶えずいなければならないと言っている。

ラッツェルの考えである「空間」Raumはかれの国家有機体論からでて来たものである。この早期の生存圏は政治的でも経済的でもなく、精神的、人種の民族主義の拡張であった。「空間動機」 Raum-motivは歴史的に原動力であり、自然に拡大するナチスドイツの他の民族に優越する偉大なドイツ文化 Kulturとともに人々を押し進めて行くのである。

空間(ラウム):ドイツの地理学者ラッツェル(1844−1904)は「政治地理学」の祖といわれているが、その所論は国家有機体説で あった。つまり、ダーウィン理論を導入して民族の力は空間(ラウム)との関係の上に依存していることを強調した。つまり空間は、自然地理的概念以上のもの で、“成長と拡大”を遂げるための空間であり、政治的パワーだと見た。この考えは地理的環境決定論によるものだが、民族や国民に対して生活空間の確立は理 念的条件として、また強い空想観を与えるものと評価された。ラッツェルの所論はスウェーデンのチェレンが導入した。

当時のスウェーデンは、帝政ロシアの不凍港を求めての領土拡張とヨーロッパの国際関係におけるスカンジナビア半島の政治的不安定さのなかにあった。彼は、スウェーデンの将来を空間的意識の発展のもとで、多分ドイツと結びつくであろうと論じたが、その論拠をラッツェルの国家有機体説に求めた。つまり、生命のある国家は植民地の確保・領土の併合・同盟などによって空間の拡大をしなければならないとし、国家が世界勢力に対応する要求として、

ー国家は広大であるべきで、

ー国家は勢力を保つために内部結合をすべきで、

ー大国は移動の自由をもたなければならないと考えた。

この考えは理論的なものでなく、むしろ極めて実際的なものとして、とくにドイツに受け入れられることとなった。第一次世界大戦がおこったとき、チェレンは戦争を主張せず、ドイツの勢力拡大を恐れてスウェーデン−ドイツ同盟より、スカンジナビアブロックの形成を主張したほどであった。http://www.tabiken.com/history/doc/L/L268L100.HTM

ラッ ツェルの空間は曖昧な概念で,理論的にはヒットラーのように拘束されるものではなかった。空間(Raum)はドイツ人が住んでいるところ、その他の劣等国 で,ドイツ人を経済的に支援できるところ,そしてドイツ文化が他の文化を豊かにできるところにその範囲を限定した。ハウスホーファーはこの空間の概念をド イツ地政学の中央のプログラムとして採用し,一方、ヒットラーの政策は拡大に向けての精神的かつ文化的な推進力としてこれを反映させた。

ルドルフ・チェレン Rudolph Kjellén

ルドルフ・チェレンはラッツェルのスウェーデン人の学生で,国家有機体論をさらに詳細に仕上げ,「地政学」と言う言葉を最初に作った。チェレンの「生活の形態としての国家」State as a Form of Life はドイツの地政学を形作る上での5つの主要な概念を略述した。

ー「帝国」Reichは「空間」Raum「生存圏」Lebensraum そして戦略的な軍事形態を構成する領土の概念である。

ー「民衆」Volk は国家の人種的な概念である。

ー「家政」Haushalt は土地に基盤を於いた自給自足に取って必要なものであり、国際市場の変わり易さを受けて,考えだされた。

ー「利益社会」Gesellschaft は国家組織の社会的な側面と文化的な魅力であり,チェレンはラッツェルのお互いに関連を持った擬人化された国家の考え方を超えたものであった。

ゲゼルシャフト Gesellschaft: ドイツの社会学者、テンニエスが設定した社会類型の一。人間がある特定の目的や利害を達成するため作為的に形成した集団。都市や国家、会社や組合など。利 益社会。協会。テンニエスは、人間社会が近代化すると共に、地縁や血縁、友情で深く結びついた伝統的社会形態であるゲマインシャフトからゲゼルシャフト (Gesellschaft)へと変遷していくと考えた。ゲゼルシャフト(Gesellschaft)は、ドイツ語で「社会」を意味する語であり、テンニ エスが提唱したゲマインシャフトの対概念で、近代国家や会社、大都市のように利害関係に基づいて人為的に作られた社会(利益社会)を指し、近代社会の特徴であるとする。ゲマインシャフトとは対照的に、ゲゼルシャフトでは人間関係は疎遠になる。ja.wikipedia.org/wiki/ゲゼルシャフト

「政治」Regierung は政府の形態であり,その官僚制度と軍隊は人々の平穏と協調に貢献する。

チェレンは単なる法律万能主義的な国家の特徴づけに反論し,国家と社会は対極ではないと言い,むしろ2つの要素の統合であると言った。国家は法と秩序に対して責任を持っているが、また、社会の繁栄と発展、経済の繁栄と発展に対しても同様である。

チェ レンにとって,自足自給は政治問題の解決であり,文字通りの,経済政策ではない。輸入品への依存は国家が決して独立していないことを意味する。 領土は国内での生産を提供する。ドイツに取って,中央並びに南東ヨーロッパが要であり,これらは近東 (通例トルコからアラビア半島に至る地域)並びにアフリカに接している。ハウスホーファーは経済政策には関心を持たなかったが,自給自足には支持し,絶え ず国家は闘争の渦中にあるが,それは自給自足のためである。

今日は以上だ。これから会議なのでこれで終わる。相当難しいが,ここのところは熟読するしかない。明日はいよいよハウスホーファーのあとは、ナチとヒットラーが出てくる。

 

続きを読む

swingby_blog at 07:21コメント(0)トラックバック(0) 

2009年11月28日

ゲオポリティク6

この地政学が難しいと言いだしてから,もう6日目になってしまった。京都議定書も難しい法文が出て来て困ったが,この地政学では専門用語の洪水と新しい地政学の人名とがあふれてしまい、読者は混乱していると思う。地政学はしょうがない。この人名と専門用語を暗記するしかない。これら専門用語と人名は何度も出てくる。日本語のウィキペディアの地政学 (ja.wikipedia.org/wiki/地政学)は参照してそこに出てくる単語を覚えてほしい。そうしないとここでの翻訳文章が多分理解できない。

ここの文章は専門の学者が書いていないと言うことだが,レベルは低くないので,随所に解説の引用をしている。このブログでは地政学のある程度の知識があって,繰り返し読めばわかるようになっている。急いで読んでもこの地政学は決して理解できないので,あきらめないでほしい。2009年1月29日の「地政学上での周辺国」には絶えず戻ってほしい。できれば、「地政学入門」だけでも読んでほしい。なぜ地政学を選んだのかと言えば,地球温暖化同様,日本人に取って最も欠けている部分だからだ。ドイツの地政学を選んだのは最も難解だからだ。さて始めよう。

フリードリヒ・ラッツェルと彼のスウェーデンの学生ルドルフ・チェレンによって、最も力強く公表されたのが、
国家有機体論もしくは擬人化概念と社会の全体組織を通じた自給自足の必要性であった。

フリードリヒ・ラッツェル(Friedrich Ratzel, 1844-1904):ドイツの地理学者・生物学者。当時旺盛していた社会的ダーウィニズムの影響の強い思想を特徴とする。政治地理学の祖・環境決定論の祖でもある。彼は1897年に出版した『政治地理学(Politische Geographie)』において次のように論じた。

ー国家の政治上の力は、その国家の領域の広さに依存する。領域に関する概念が低下すると、その政治体は衰滅する。

ー国境は同化作用の境界線である。国境は国家の膨張力に応じて変動すべきものである。その膨張力が、これを阻止する境界線に出合うと、それを打破しようとして、ここに戦争が起こる。
ー国家は、生命を持つ組織体である。生物の成長のためには暴力を用いても阻害要因を排除しなければならない場合がある。
ー国家は生物組織体であり国境は流動性を持つ。すなわち国家は成長する生き物であり、必要なエネルギーを与え続けなければ衰弱し、やがて死滅するに至る。そこで国家は生命力に応じ、これを維持するための生存圏 Lebensraum を確保しようとする。

ー地球上には大国を1つだけしか容れる余地がない。


この説は「国家有機体説」とも呼ばれ、チェレン、ハウスホーファーへと引き継がれる。故にこれが大陸地政学(すなわちGeopolitik)の起源となっ たと考えて良いであろう。http://daitouanavi.blog69.fc2.com/blog-entry-5.html

ルドルフ・チェレン (Rudolph Kjellén 1864-1922):大陸国家と海洋国家の領土拡張の思考において重要な示唆を与えた政治学者にルドルフ・チェレンがいる。チェレンは国家を有機体のひとつとみなし、国家有機体論を唱えた。チェレンのいわんとするところは、国家は生存のための闘争をし、誕生、成長、老化のサイクルがあるとしている。

チェ レンは国家の行動を精神と肉体の二つからなるものとし、国家の精神は国民や民族により具現化するとした。また、国家の肉体である領土については、地理的個性化の法則を論じ、国家の理想的な姿を自然の範囲、自然的境界と自然の領土にあるとした。自然的境界として最も理想的なものは海であり、大陸国家もまた大洋を目指してその領土を拡大しようとする理由は主にそこにあるとした。一方で自然的領土については河川ないし河川囲繞と海洋囲繞であるとした。
いずれの場合も人の居住において調和がとれ、域内交通を容易にし、また自給能力を高めることができるとした。その上でチェレンは理想的な国家の姿は自給能力のある有機体でなければならないと述べている。
http://keyword.auone.jp/Result/index.php?act=service_pc_more&sysid=C001&devcd=2&keyword=%8AC%97m%8D%91%89%C6&contents=4

独特のドイツ地政学の根底はカール・リッター(Karl Ritter)の著述に依る。

カール・リッター(Karl Ritter 1779-1859):ドイツの地理学者。教育家。近代科学としての地理学の方法論の確立につとめ、地理学に触れる上で欠かせない人物である。その業績は、同じドイツで博物学者として活躍したアレクサンダー・フォン・フンボルトと並び「近代地理学の父」と称えられている。ja.wikipedia.org/wiki/カール・リッター

彼は初めて、国家有機体論を展開し、後にラッツェルによって仕上げられ、ハウスホーファーによって受容された。彼は他国の存在を犠牲にしてでも、生存圏を正当化し、征服が国家の成長のために有機体組織として必要であった。

フリードリヒ・ラッツェル


Friedrich_Ratzel.jpeg

ラッツェルの著述はドイツの第二次産業革命の時期と一致し、それは普仏戦争の後であり、この戦争の後では引き続き市場を探索する競争がイギリスと起こっていた。彼の著述は帝国の拡張の正当化のために歓迎された。

第二次産業革命(Second Industrial Revolution):産業革命の第二段階を表現するために、歴史家によって用いられる言葉である。通常、年代は1865年から1900年までと定義さ れる。この期間にはイギリス以外にドイツ、フランスあるいはアメリカ合衆国の工業力が上がってきたので、イギリスとの相対的な位置付けでこれらの国の技術 革新を強調する時に、特に用いられる。

この時代には、化学、電気、石油および鉄鋼の分野で技術革新が進んだ。消費財の大量生産という仕組み面の発展もあり、食料や飲料、衣類などの製造の機械化、輸送手段の革新、さらに娯楽の面では映画、ラジオおよび蓄音機が開発され、大衆のニーズに反応しただけでなく、雇用の面でも大きく貢献した。しかし、その生産の拡大は長びく不況 (1873–1896)といわゆる新帝国主義に繋がる要素も持っていた。

普仏戦争 Franco-Prussian war1870〜1871 年のフランスとプロイセン王国の戦争。長い対立関係にあった両国は、1868年のイサベル2世の廃位後のスペイン王位継承をめぐって対立し、1870年の エムス電報事件(the Ems Dispatch)をきっかけとして戦争となった。ドイツ諸侯もプロイセンに味方し、セダンの戦い(the Battle of Sedan)でナポレオン3世は兵士とともに捕虜となり、1871年にパリが陥落する。同年パリ・コミューン(the Paris Commune)のさなかの3月にベルサイユでドイツ帝国が成立し、5月にフランクフルト条約(the Treaty of Frankfurt)が結ばれた。アルザス・ロレーヌ地方がドイツに割譲され、また賠償金がドイツに支払われた。フランスは帝政が崩壊して共和制に移行 し、イタリアのローマ教皇領は、1870年にナポレオン3世軍が退却したことにより、イタリア王国軍によって占領された。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/ej/Franco-Prussian+War/m0u/Franco-Prussian+war/

マハンに影響され、ラッツェルはドイツ海軍勢力範囲についての大志を書き、シー・パワーが自立するべきだと認め、貿易による利益は海運力に投資するべきで、ランド・パワーではないとした。

アルフレッド・セイヤー・マハン(Alfred Thayer Mahan, 1840 - 1914):海洋国家の理論の先駆者としてしられるのが、アメリカ海軍大学校の校長であったアルフレッド・セイヤー・マハンである。マハンは1890年に 『The Influence of Sea Power Upon History, 1660-1783 (シーパワーが歴史に及ぼした影響)』を著し、日本では『海上権力史論』として刊行され、日本の地政学や軍事戦略にも大きな影響を与えた。

マハンは世界の強国となるための前提条件として制海権を握ることと説き、軍事展開により国力の消費を避ける傾向を持つ、海洋国家の理論の中では攻撃性を持つ 主張である。これはマハンの祖国アメリカが、南北戦争以降の西部開拓時代に海外発展に遅れをとったことが背景にあるとされ、欧州の拡大に対して挽回を図る という観点からそうした志向をとったともいわれている。
マハンは強い海洋国家となるために必要なシーパワーの条件として、

ー国家の地理的位置

ー自然的構成

ー国土の面積

ー国民人口

ー国民の性質

ー政府の性質を挙げた。

とりわけマハンの主張の中で特筆すべきは海洋国家は大陸国家を兼ねることは出来ないというものであるが、この主張には裏づけとなる証明がなされておらず、未だ仮説の域を出ないといわれている。

http://keyword.auone.jp/Result/index.php?act=service_pc_more&sysid=C001&devcd=2&keyword=%8AC%97m%8D%91%89%C6&contents=4

シーパワー:
海洋権力とも訳され、海上交通路や海外の経済拠点(資源地域や交易拠点など)を維持、防衛するための海軍の能力、輸送船の輸送力、陸地の港湾施設の処理能力などを含めた海洋を支配・利用するための総合能力である。これを保有する国は海洋国家と呼ばれ、アメリカ、イギリス、日本などがこれに当たる。
ランドパワー:
陸上のさまざまな権益、経済拠点、交通路などを支配、防衛するための陸軍の能力や陸上輸送力、陸地の加工力(土木技術や農業技術など)などを含めた総合的な陸地を支配・利用する能力である。これはシーパワーの影響が及びにくい内陸地域において構築されると考えられており、ゆえに、これを保有する国家を大陸国家と呼ぶ。ロシア、中国、ドイツなどがこれにあたると考えられている。
ja.wikipedia.org/wiki/地政学
以上で今日はおわりで、引用ばかりだ。この機会に是非、地政学を表面的にではなく,中身を勉強してほしい。地政学は専門用語が多いので,放棄してしまう人が多いが,このブログではドイツ人経営者との対話を意識しているので,手を抜いていないので,頑張ってほしい。英語の勉強と一緒で,頑張っていれば,そのうちに理解できるようになる。継続は力だ。続きを読む

swingby_blog at 08:06コメント(0)トラックバック(0) 

2009年11月27日

ゲオポリティク5

今朝は6時から経営会議があるから,今日も長くない。ウィルへルムの地政学は昨日終了した。今日から,ドイツの地政学の本論に入る。この地政学は特に難しいと言う話があるが,仕方がない。ドイツが頭につくので尚更、哲学的になっている。この分野はGHQが禁止したせいもあって、日本ではあまり普及して来なかった。では始めよう。

ゲオポリティクが立ち上がる。

ドイツのゲオポリティクは主に,生存圏(レーベンスラウム 生活領土と以前翻訳したが,この方が一般的のようだ。)のためにナチスの戦略と正当化の中で、その外交政策に貢献した。ゲオポリティクは両世界大戦間の間にドイツの外交政策に5つの考えを提供した。生体組織理論、生存圏、 経済自立国家、パン・リージョン、ランド・パワー/シー・パワーの二項対立。

パン・リージョン:大国の棲み分け。地球を縦割りにして各々支配しようという理論。地球はやがて縦割りに3つか4つの経済的ブロックに分割され、各ブロックを特定の国家が統括・管理するという考え方。

政治科学としての戦略地政学では政治地理学のように,記述的でもあり分析的でもあるが,国家の政策のために、戦略的な規定の中に「社会規範」的な要素を加える。これは早い時期のアメリカやイギリスの戦略地政学から始まっているが,ドイツのゲオポリティク(地政学)は国家の利益に向けての「本質主義」の見解を採用し,課題を過度に単純化し,これ自身を万能薬としてしまった。あたらしい、本質主義のイデオロギーとして、この地政学はそれ自身を大衆のワイマール共和国を苦しめる立場の中に見出すこととなった。

社会規範:たとえば「自分は1日に30分ジョギングをすべきである」というルールと違って、個々人にとって外在的であり かつ社会性を有している。たとえば売買や投票といった行為、あるいは挨拶といった行為すらも、それらの行為がそのようなものとして成立するためには、まず それらの行為が社会的に意味づけされ、制度化されていることが必要である。そして、さらに何よりも当事者たちがそれぞれ売買や投票、挨拶を行っているのだ という意識でなされなければ全く意味がない。このような意味で、社会規範は個人を超越して社会性を有するのであり、しかも個人に内面化されることが不可欠なものなのである。

このように規範によって社会はその秩序と同一性を維持するのであるが、社会の構成員すべてが規範を内面化し、いかなる状況においても規範に同調した行動をとるわけではない。そこで、社会の構成員の行動を一定の基本的な諸価値に向かって統制(コントロール)す る必要が生じる。統制のための手段としては、習慣や道徳、民事的手段から行政的手段などさまざまな段階が考えられるが、中でも最も強烈でかつ直接的なもの が、刑法による行動の統制である。刑法は、その違反に対して死刑や懲役刑などの最も厳しい社会的制裁を予定しているからである。http://sonoda.e-jurist.net/text/kihan.html


本質主義(essentialism):本質(事物の変化しない核心部分)を自立的な実体、客体的な実在物であるとみなした上で、個別の事物は必ずその本質を有し、それによってその内実を規定されている、という考えをいう。実は本質主義は奥が深いので,以下を参照。ja.wikipedia.org/wiki/本質主義

1919年にカール・ハウスホーファー Karl Haushofer 将軍はミュンヘン大学の地理学の教授になった。このことが彼の政治地政学の考えや,雑誌論文,書籍の広がりの基盤となった。

Karl_Haushofer
1924年にドイツの地政学ので考えを同じくする人々のリーダーとして,Haushoferは政治地政学に専念した月刊誌「地政学誌」を発行した。彼の考えは1926年にHans Grimmによって、「領土なき民族(Volk ohne Raum)」の発行とともに広く大衆に普及し、生存圏の彼の概念は広まることとなった。Haushoferは影響を及ぼすにあたって,学校での授業を通して,すなわち,学生に大陸の観点からものを考えるよう促し,国際政治の中の動きを強調し,もう一方で,政治活動を通して行動した。Hitlerの演説は大衆を魅了する一方で,Haushoferの仕事はとどまっている知識人を組織の集団の中に持ち込もうとした。

この地政学は本質的には古い考え、すなわち、既知の科学的な虚飾の統合であり,その成文化であった:
ー生存圏は改訂された植民地による帝国主義であり,
ー経済自立国家は関税保護主義の新しい表現であり,
ー主要な領土の戦略的な支配はスエズやパナマ運河の早期の設計の背後にあったのと同じ考えであり、そして、
ーパン・リージョンはイギリス帝国に基づいていて,アメリカモンロー主義, 全米州連盟ならびに、半球防衛がある。

モンロー主義(Monroe Doctrine):アメリカ合衆国ヨーロッパ諸国に対して、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提唱したことを指す。第5代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローが、1823年に議会への7番目の年次教書演説で発表した。

全米州連盟 Pan-American Union 米州機構 Organization of American States:米州地域の平和と安全の保障や相互理解促進などをうたった地域協力機構。1948年、コロンビア調印されたボゴタ憲章に基づく。加盟国は米国、カナダ中南米の計35カ国。日本ドイツなどがオブザーバーとなっている。当初は米国主導反共同盟の色が濃く、米国による中南米支配道具ともいわれた。民族主義の高揚と共に、中南米諸国結束して米国に当たる場となり、米国の思惑に反する路線を打ち出している。2002年4月には米国の意に反し、ベネズエラ政変チャベス政権正統性を認めた。05年5月には事務総長にチリ前内相のインスルサが就任した。米国が当初支持しなかった候補が選ばれたのは同機構の歴史で初めて。年次総会のほか、加盟国による米州特別首脳会議定例化している。

半球防衛:ニコラス・スパイクマンのリムランドの考え方。リムランド (Rimland) は地政学の用語のひとつで、ニコラス・スパイクマンによる造語であり、北西ヨーロッパから中東東南アジアに至るユーラシアの沿岸地帯を指す。ja.wikipedia.org/wiki/コラス・スパイクマン

スパイクマンは陸軍大国(ランドパワー)と海軍大国(シーパワー)の間に起きる紛争がすべてこの地帯で発生していることから、リムランドこそ最も重要な地政学的地域であると主張した。スパイクマンはアメリカがリムランドに対して、その力を投影させ、ソヴィエト連邦を中心とする他の勢力の浸透を阻止させ、グローバル勢力均衡を図るよう提言した。また、スパイクマンは「リムランドを制するものはユーラシアを制する。ユーラシアを制するものは世界の命運を制する」と述べている。ja.wikipedia.org/wiki/リムランド

スピックマン(1893〜1943)は、アムステルダムに生まれ、ジャーナリストとしてアジアやオーストラリアを訪れたが、後にカリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得し、同大学の「政治学」・「社会学」の 講師を経て、1925年にエール大学に移り国際関係学科の主任教授を歴任した。『世界政治におけるアメリカの戦略』(1942)・『平和の地理 学』(1944)などを著したが、その戦略観はマッキンダーの “東欧は一つの国による支配を許さない”という見方に賛成はしたものの、ユーラシア=アフリカの世界島による世界支配の考えには、半球をもって東半球を包 囲するという見解を示した。http://www.tabiken.com/history/doc/L/L268L100.HTM

内容そのものが難しいが,新しい言葉と人が出てくる。これらはこれからも出てくるが,地政学の基本であり,この参照の項を熟読するか,地政学の入門の本,倉前教授の本などを読めばよくわかる。曽村教授の「地政学入門」でも良い。こうした地政学は知っておいて損はない。私注。

各二項、すなわち、陸軍大国(ランドパワー)と海軍大国(シーパワー)に於ける主要な新しい方向付けは焦点が海軍の帝国主義よりもランドをベースとした帝国であると言うことだ。

表向きはアメリカの海軍将校 Alfred Thayer Mahanの政治地政学理論 ならびに、イギリスの地理学者 Halford J. Mackinderに基づいているが,ドイツの地政学は古いドイツの考えを付け加えている。

アルフレッド・セイヤー・マハン(Alfred Thayer Mahan, 1840年9月27日 - 1914年12月1日):アメリカ海軍軍人。最終階級は少将

マハンは海洋戦略の古典的理論家であり、その著書は世界各国語で翻訳されている。彼の著作はヴィルヘルム2世秋山真之も愛読した。大艦巨砲主義を助長したとして批判の矢面に立たされる事もある。彼に因んでいくつかの艦船がマハン(en:USS Mahan)と命名された。19世紀フランスの兵学者ジョミニの影響を強く受けている。ja.wikipedia.org/wiki/アルフレッド・セイヤー・マハン

サー・ハルフォード・ジョン・マッキンダー(Sir Halford John Mackinder, 1861年2月15日 - 1947年3月6日):イギリス地理学者政治家である。ハートランド理論を提唱し、この概念は地政学の基礎的な理論付けとなった。事実上の現代地政学の開祖ともいえる。ja.wikipedia.org/wiki/ハルフォード・マッキンダー

今日はこれで終わり。地政学には上記に示したような数人の専門家と,既に出て来ているが,幾つもの専門用語が出てくる。これはこの地政学だけの言葉であるが,覚えてほしい。最大の基本は2009年1月29日の「地政学上での周辺国」の中の10ヶ条で,これは是非、携帯して,覚えてほしい。

続きを読む

swingby_blog at 05:48コメント(0)トラックバック(0) 

2009年11月26日

ゲオポリティク4

昨日は慌ただしく、退院して、昼前に会社につくことができた。忙しい1日だった。午前中で雨があがったので、濡れずにすんだ。今朝は仕事が多すぎて、なかなかこのブログまでたどり着けなかったので、時間が短い。

さて、京都議定書の温暖化から地政学のゲオポリティクに移行したので、マインドがなかなか温暖化から変化して行かない。読者もきっとそうに違いない。読者も研究会が陰謀なら来るが、もしくは温暖化なら来るがと言う方々がいる。このブログは「白人に勝つため」と言う前置きがある事忘れないでほしい。私は温暖化の専門家でもなければ、陰謀の理論家でもないし、プロイセンの歴史家でもない。だから、今日の中身のように、Polish questionって出てくるとなんだか戸惑ってしまう。調べてもなかなか出て来ない。日本語ではないのかもしれない。

私はベンチャー企業の経営者であり、日本のグローバリゼーションをなんとかしようとしている。 仕事も同じで、BPOを手段として、中国を利用して、グローバルレベルの仕事の効率に日本の企業を引き上げようとしている。そうした視点で、このゲオポリティクをよんでほしい。また時間が許せば、このドイツの時代背景を勉強してほしい。出来るだけ引用とか解説を付けるが、理解しきれないところもある。大きくテーマを変えたのは頭の切り替えにもなるからだ。では始めよう。

ブレスト・リトフスク条約後のポーランドの質問 Polish question に対する解答はオーストリアとともに解決することは出来なかったので、ドイツは本質的に「東部地域」(Ostraum)政策を支持して、純粋な中央ヨーロッパ計画を取り下げてしまった。

ポーランドの質問 Polish question:18世紀のポーランド分割の結果消滅していたポーランドの復活・独立のこと
http://www.answerbag.com/q_view/798492

ブレスト・リトフスク条約 Treaty of Brest-Litovsk:
第一次世界大戦末の1918年3月ソビエト新政権とドイ ツ・オーストリアおよびその同盟国とで締結した単独講和条約。国内復興を目指すレーニンらのソビエト新政権は連合国に和平を提案したが拒否されたため単独で講和したもの。ポーランド・ウクライナ・フィンランドの独立承認をともなうロシア領の四分の一、人口の三分の一や鉄・石炭などを提供して事実上の降伏であった。この条約はベルサイユ条約により無効となった。当時、ブレスト・リトフスクはポーランド領。第一次世界大戦の終結を促進する結果となった。

と言うのはポーランドはまだ、ウクライナ、ロシア並びに南東ヨーロッパの諸国に至る要地であった。これらの諸国はドイツの経済支配の目標であった。ドイツの東部地域の全体の併合がロシアによって拒否されたので、ドイツは小さな、自治権のある中間階層の国家の併合の考えを認め、それらはロシアの軍隊から自由で、経済的にドイツと提携することになった。オーストリアーハンガリーの問題は長期的で、親密な、政治的、軍事的、経済的な同盟で解決した。公式な中央ヨーロッパのかわりに、ドイツはその国境地帯の資源の豊かな地域に支配を進めた。それはフランス、ベルギー、ポーランドそして、オーストリアーハンガリーを事実上の従属関係にしようとした。このようにして、ドイツの中央ヨーロッパの中心部分は東スラブ諸国を経済支配するための願望であり、戦略の鍵としてポーランドにその中心の焦点を置いた。

経済

帝国のドイツの経済は国内を本拠地としたマーケットから植民地の国際貿易まで様々であった。ビスマルクは1867年から1878年まで、自由貿易を放棄して、重工業と大規模農業に対して、民族主義的な関税保護主義を支持した。しかしながら、ウィルヘルム政策の中心は新しい艦隊の建造になった。すなわち、シー・パワーが強国の地位を得るためのキーであり、世界中の既存の植民地に向けての修正主義者の目を持っていた。

修正主義(revisionism):マルクス主義の枠内で思想の原則に修正を加え、革命ではなく社会の安定を優先する社会主義の一傾向をいう。この傾向は社会民主主義へとつながった。
ja.wikipedia.org/wiki/修正主義

まだ、ドイツは重商主義経済政策を追求していて、国家は大きな産業への支援、市場への介入、公共財の国有化を進めた。

重商主義(mercantilism):国家の産業として商業を特に重要視した経済思想および経済政策の総称。大航海時代、アメリカ大陸やインド・東南アジアへの西欧の到達と直接交易の開始が貴金属や香辛料など稀少商品の価格革命をもたらし、商業革命のパトロン(援助者・免許者)としての王権に莫大な富をもたらした。オランダ、イギリス、フランスの各東インド会社は植民地政策の重要な尖兵となっただけでなく、有限責任方式の開発など市民社会形成に重要な足跡を残し、のちの産業革命をもたらした。ja.wikipedia.org/wiki/重商主義

ルドルフ・チェレン(Rudolph Kjellén)は中央ヨーロッパに経済同盟を求め、1914年以前の多くのドイツ人によって支持された世論である、ドイツ植民地の拡張がその目的であった。

しかしながら、経済成長によってイギリスとの対立が激しくなり、それはこの帝国に開かれた明確な2つの道があった。英国との海軍の対立もしくはヨーロッパの中の領土の拡張。ドイツの産業は政治的な独立を要求し、それは世界政治の中でのイギリスの覇権であり、ロシアの影響の遮断であり、彼らの資源のためのドイツ国境地帯の弱小国の併合であった。しかし、イギリスとの従属関係を断ち切るためにはドイツは強力な海運力を必要としたが、ウィルヘルムの目的にもかかわらず、ドイツは持っていなかった。中途半端なやり方ではあったが、ドイツはイタリアとの同盟を追求するべきであると認識し、イギリスの勢力に対抗するために、地中海に於いて、その海軍の強化を促進した。

今日はここまでで、ここで、ウィルへルムの地政学は終了し、明日からはいよいよ、フリードリッヒ・ラッツェル、ルドルフ・チェレン、カール・ハウスホーファーのそれぞれの理論に入って行く。地政学らしくなって行く。ドイツの地政学なので、アメリカのマハンのシーパワー理論とかイギリスのマッキンダーの理論、スパイクマンのリムランド理論はこの項では扱わず、別途もう一つ地政学をこの次に行う予定だ。この地政学はブログで扱うようなテーマではないが、日本人の一番弱い部分で、グローバリゼーションの勉強には必須科目だ。2009年1月29日の「地政学上での周辺国」の中の地政学10ヶ条を是非熟読してほしい。日本人の文化、文明にはない。

続きを読む

swingby_blog at 07:26コメント(0)トラックバック(0) 

2009年11月25日

ゲオポリティク3

昨日は4時半に手術が終わり、ほっとした。今日退院だが、たいした手術ではないが、嫌なものだ。今日の午前中で、眼帯がとれるので、片目だけから解放される。本当の片目は結構見るのがつらい。片目の人は片目で慣れてしまえば、問題ないのだろうが、もう一方の目がいつつぶれるのかわからないと言う焦りから、私のように、読書熱が出るのだと思う。もしくは見ておきたいものを見ておこうと言う意欲が出てくるのかもしれない。

私の場合には勉強しようと言う意欲が昨年からすごかった。それがあって、早朝バイクもやめてしまった。昨日指摘した、昨年書いた地政学の記事もすごく長いのはそのためで、今でも良く書いたと思う。午前中に診察を受けてから退院なので、午後から仕事ができる。この病院には私のような眼底出血の患者の手術者が毎日 10人ぐらいいる。こう言う人がこんなにたくさんいることは知らなかった。先生も大変だ。さて、続けよう。ウィルヘルムの地政学の続きだ。

この集団の中では上から下まで影響力を持っている人がいないので、学者がより大きな社内の力を得るためにその代弁者として、つくしてきている。中央ヨー ロッパがヨーロッパ組織の中でドイツの力を再び主張する試みとして現れてきた。そして、ある意味で、オーストリアーハンガリーの巨大な計画よりもプロシアの小さなドイツとしての解決に陥る意思決定を拭い去ろうとするものでもあった。

ヨーロッパに於けるドイツの地位を守るために、多くのドイツ人は第一次世界大戦を単に防衛するための行動だと見ていて、包囲され孤立化した犠牲者として、そして、ヨーロッパの強国による襲撃に対して行動していると考えていた。
Europe_1914

Europe_1914

中央ヨーロッパ(: Central Europe: Mitteleuropa)は、ヨーロッパの中央部に位置し、西ヨーロッパ東ヨーロッパに挟まれた歴史的、文化的世界である。中欧とも。以下の国が代表的な現代中央ヨーロッパの国々である。

スイスを含めない分類、スロバキア・ハンガリーを含めない分類もある。ja.wikipedia.org/wiki/中央ヨーロッパ

第一次世界大戦前にドイツの民族主義的な感情が刺激され、Friedrich von Bernhardi将軍の著書である『ドイツと来るべき戦争』ではフランスの排除、中央ヨーロッパ連盟の創設、植民地取得を通じて、世界権力を掌握すると言うことを声だかに要求した。

Bernhardi(ベルンハルディ),Friedrich von(1886-1948)1898年から1901年まで参謀本部戦史部長を務めた。1912年に発表した『ドイツと来るべき戦争』(Deutschland und der nächste Krieg)は、欧州戦争を不可避として、それどころか必然としたことこから物議を醸し、外国では戦争を煽り立てる書物と見做された。 http://homepage3.nifty.com/akagaki/5-B1.html

第二帝国(ドイツ帝国 1871–1918)のプログラムの核心はフランスとロシアから危害の及ばないドイツの覇権の基で、経済が支配出来る中央ヨーロッパを作ることだった。このことは主に、中央アフリカに於ける植民地による拡大であった。ドイツ帝国主義はフランスとロシアの権力の脅威ばかりではなく、また、増大するアメリカの権力が、ドイ ツの基での中央ヨーロッパの統合へのより大きな原因となった。 Walther Rathenauの1912年の報告書によれば、中央アフリカと小アジアの資源はイギリスを武装解除したのちに拡大して行った。

ヴァルター・ラーテナウ(Walther Rathenau, 1867年9月29日1922年6月24日)は、ドイツ実業家政治家作家ヴァイマル共和国初期に外相を務め、ソビエト連邦ラパッロ条約を締結したが、極右テロ組織に暗殺された。ja.wikipedia.org/wiki/ヴァルター・ラーテナウ
Ac.rathenau

Ac.rathenau ドイツの外務大臣

小アジア Ásia Mínor:アジアの西端にあり、トルコの大半部を占める、地中海と黒海に挟まれた半島。アナトリア。

ドイツは中央ヨーロッパに向けた併合を継続した政策を誇示した。オーストリアーハンガリーとの関税同盟を中核として確立しようとし、小国はこれに追従することにならざるを得なくなった。これはRathenauとArthur von Gwinnerによって考えだされ、Theobald von Bethmann Hollwegによって後に承認され、首相の命令で、 Hans Delbrück and Johannes Bell がそれに続いた。

Theobald_von_Bethmann-Hollweg

Theobald_von_Bethmann-Hollweg 1909年から1917年までの首相で、論客である歴史家のFritz Fischerからは1914年のヒットラーと彼を呼んでいた。

中央ヨーロッパは本質的に政治的な理由で、実業家の抗議を押し込められてしまった。ドイツはより大きな貿易国と実際上、競合出来るようになる必要性があったので、このオーストリアーハンガリーでのドイツは輸入品に依存するだけではなく、追加の便益として、ドイツはオーストリアーハンガリーが崩壊しないのであれば、彼らに取って代わる地位を要求することになったである。

このことは Delbrückによれば、ドイツに彼らの国内マーケットに於ける保護主義を取り除かせ、国際マーケットの中で、侵略行為を行う方向に向かった。さらに、ドイツの指導者たちは彼らの価値観と文化の団結を広めようと言う願望を持っていて、事実上、アングロサクソンの世界ようなものを確立し、その文化は彼らの無敵艦隊以上のより重要な力として、考えられていた。

アングロサクソンの世界 Anglosphere アングロスフィア:英語圏のうち、自由や権利を保障する英米の基本法を支持し、同様の価値観や文化を形成している国々。英米のほか、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど。

本質的に彼らが求めていたものは自給自足の経済自立国家であり、輸入品に依存することから解放され、それは経済的な目標よりかは政治的、文化的なものを伴っていた。

ポーランド

ポーランドは西ヨーロッパのベルギー以上に東ヨーロッパでのドイツの帝国を設計する上での戦略的なかなめであった。1917年でさえ、ポーランドはドイツの衛星国として相変わらずの目標であったし、ドイツ経済に依存するオーストリアーハンガリーに対する願望を凌駕しさえしていた。Hollwegは1914年に政治舞台の中で、ポーランドに対して、国境縦断(フロンティア・ストリップ:アメリカ合衆国の中西部のことを言う。)政策をとった。ポーランドはロシアに対するドイツの戦略的な焦点となり、かってはドイツ人と住んでいたスラブ人に対する前線の防衛を果たした。戦略以上にドイツ人はドイツ人の民族主義者とともにその土地に移住すると言う「民族のミッション」を持っていて、そして、ポーランド人とユダら人をその土地から追放して、歴史的なプロイセンードイツのオストマルク政策のダイレクトな継承であった。

今日はこれまで。

続きを読む

swingby_blog at 07:34コメント(0)トラックバック(0) 
livedoor プロフィール
プロフィール

海野 恵一
1948年1月14日生

学歴:東京大学経済学部卒業

スウィングバイ株式会社
代表取締役社長

アクセンチュア株式会社代表取締役(2001-2002)
Swingby 最新イベント情報
海野塾のイベントはFacebookのTeamSwingbyを参照ください。 またスウィングバイは以下のところに引っ越しました。 スウィングバイ株式会社 〒108-0023 東京都港区芝浦4丁目2−22東京ベイビュウ803号 Tel: 080-9558-4352 Fax: 03-3452-6690 E-mail: clyde.unno@swingby.jp Facebook: https://www.facebook.com/clyde.unno 海野塾: https://www.facebook.com TeamSwingby
講演・メディア出演

最新記事
月別アーカイブ
Recent Comments
記事検索
ご訪問者数
  • 今日:
  • 累計:

   ご訪問ありがとうございます。


社長ブログ ブログランキングへ
メールマガジン登録
最新のセミナー情報を配信します。
登録はこちらのフォームから↓