2009年12月
2009年12月28日
さて、今日からのGoogleは事例紹介と言うつもりはないので,視点をグローバルと言うところにおいて,このウィキペディア (http://en.wikipedia.org/wiki/Google)を翻訳する。内容は今までとは異なり,忠実には翻訳せず,我々の視点に関心 のないところは飛ばして行く。また、情報用語とか内容については出来るだけ引用して、補足する。このウィキペディアは相当長いので,出来るだけ早く終わっ て,そのグローバル的な背景を探って行きたい。
しかしながら,このGoogleとは何かについてはきちんと理解できるようにしたい。ただ、まともに翻訳していったら,10日はかかってしまい,冬休みが終わってしまう。それではつまらない。グーグルはこの10年間でとんでもなく大きな企業になったが,更に次の10年ではどう変化してくのだろうか。そうしたところを勉強したい。とんでもなく進化してしまいそうだ。そうしたことを見越したグーグル批判も多々あるようなので,それも検討したい。もし時間が許されるなら,Googleの一連のソフトを使ってみてほしい。宣伝する訳ではないが,この企業の全貌がよくわかる。(Googleのサービス ja.wikipedia.org/wiki/Google_Video)さて始めよう。
グーグル
Google Inc.はインターネット検索に特化したアメリカの公開会社である。この会社は広告(アドワーズ)から利益を得ているが,同様に、ただのG-mail、オンライン地図(Google Maps)、オフィスの生産性(Google Apps)、SNS(Orkut)、YouTubeからなる。宣伝なしのバージョン( Google Search Appliance)は有料で利用できる。グーグルはごく最近ソースコードが公開されているウェブ・ブラウザー(Google Chrome)と携帯電話のオペレーティングシステム(Android)を公開した。
本社はGoogleplex, Mountain View, Californiaにある。2009年3月31日現在、従業員数は19,786人である。世界中の数千台のサーバーと毎日数千万件の検索要求と毎時ユー ザー作成データが約1ペタバイト(GBの10万倍)ある。
グーグルは Larry PageとSergey Brinによって彼等がStanford Universityの学生の時に創設された。1998年9月4日に始めは非公開企業として法人企業となった。公開公募 ((略IPO)は2004年8月19日に行われた。これで、16.7億ドルを集め、総資産価値は230億ドルとなった。グーグルの急激な成長はその中核の 検索エンジンを乗り越えて,一連の新製品、企業買収,パ−トナーシップの口火を切った。環境汚染反対活動、慈善活動そして前向きの従業員関係はスタート時点からブランドイメージを確立する上で,重要な役割を果たした。
グーグルは再三にわたり, Fortune Magazineの「仕事で一番の職場」と世界で最も強力なブランドとして指名されて来た。アレクサ・インターネットはグーグルをインターネットで最も訪問頻度の高いウェブサイトだと評価した。
Alexa Internet(アレクサ・インターネット)は、カリフォルニア州サンフランシスコに本社を置くインターネット関連企業。1996年に設立され、 1999年にAmazon.comの 傘下となった。事業内容は、ウェブ巡回技術を使ってウェブサイト情報や利用状況に関するデータを集め、ウェブサイトがどれだけの人に見られているかを調査 すること。
創業からのこの企業のミッションは「世界の情報を体系化し,それを広く一般にアクセス可能で,便利なものにすること」であった。その非公式なスローガンはG-mailの最初の設計者であるPaul Buchheitによって作成されたが,「邪悪になるな。」(短期的な利益を無視して長期的にものを見る。私注)であった。グーグルは個人情報のプライバシー、著作権、噂の検閲の問題で,批判されてきている。
語源
Googleの名前の由来はGoogolのミススペルに由来する。これは10の100乗。これは1の後にゼロが100続くことを意味する。増大するあらゆる言語の中をやっとたどり着くような意味で,「google」と言う動詞は2006年に Merriam Webster Collegiate Dictionaryとthe Oxford English Dictionary に加えられ,「Google検索エンジンを使って,インターネットの中の情報を得る。」と言う意味になった。
歴史
Googleは1996年1月にLarry Pageに よって、研究プロジェクトとして始まり,すぐに、 Sergey Brinが加わり,双方とも,Stanford UniversityのPhDの学生であった。ウェブサイト間の関連を分析する検索エンジンは既存の技術による結果よりよいランキングを提供する仮説を立て,既存の技術では検索語がページに現れた回数に従って,結果をランクしていた。彼等の検索エンジンは当初はBackRubと言うニックネームであった が,このシステムがバックリンクをチェックして、サイトの重要度を予測していたためである。
バックリンクとは「被リンク」、「インバウンドリンク」などとも呼ばれる。あるサイトが、他のウェブページからどれだけリンクがされているか、参照されているかということだ。外部サイトから、自分のサイトに貼られたリンク。
小さな検索エンジンはRankdexと呼ばれ,すでにある、にたような戦略を詮索していた。他のかなり適切なウェブページからそこにリンクされた殆どの ペー ジは、その検索に関連している最も適切なページでなければならないと確信した。PageとBrinは彼等の研究の一部としてこの命題をテストして,彼等の検索エンジンの根幹とした。最初はこの検索エンジンは Stanford Universityのウェブサイトにドメインgoogle.stanford.eduとして利用した。
ドメイン:インターネットやイントラネット上で、サーバーを中心にコンピューターをグループ化して、それぞれを識別できるようにしたもの。例えば、google.stanford.eduというドメイン名で一つのドメインを表す。
ドメインgoogle.comは1997年9月15日に登録した。この会社は1998年9月4日にMenlo Park, Californiaの友人のガレージで,Google Inc.として法人企業となった。この新企業が集めた最初の総投資額はおおよそ110万ドルで,Sun Microsystemsの創始者の一人であるAndy Bechtolsheimが10万ドルを出している。
BrinとPageは検索エンジンの中で,ポップアップ型の広告もしくは「検索エンジンに資金を出す広告」モデルに反対していて、まだ学生だったこと 1998年の研究報告書に書いていた。しかしながら,やがて,考えを変えて,早い段階で,単純なテキストによる宣伝を受け入れた。
1999年3月に会社はPalo Altoに移り、ここは他の署名なSilicon Valleyの技術の立ち上げ拠点である。他の2つの拠点が急激に大きくなったので、会社は2003年,Mountain View, Californiaに Silicon Graphicsから総合ビルを賃貸した。
Pay for Placement: PFPとは有料掲載を指す。広告料金を支払う事で検索エンジンの上位にWebサイトを掲載できるタイプのサービスを指し、Overture や Google AdWordsといったものを指す。Paid Placement、PPC とも呼ばれる。www.sem-r.com/sem/statistics/20030916210030.htm
Overture Servicesは後にGoogleを訴え,GoogleのAdWordサービスによるキーワード連動型クリック課金とビッドの特許が疑わしい侵害行為だとした。この訴訟は示談となり、恒久の許可を出す代わりにヤフーに株式を発行することで合意した。このGoogleの順位付けのメカニズム(ページランク (PageRank))の特許は2001年9月に認可された。
ページランク (PageRank) とは、ウェブページの重要度を決定するためのアルゴリズムであり、検索エンジンのグーグルに おいて、検索語に対する適切な結果を得るために用いられている中心的な技術。PageRank™ はグーグルの商標であり、また PageRank の処理は特許が取得されている。ただし、特許はグーグルではなくスタンフォード大学に帰属しており、グーグルはスタンフォード大学から同特許の権利を独占 的にライセンスされている。なお、同大学は特許の使用権と交換にグーグルから180万株を譲渡されているが、その株式は2005年に3億3600万ドルで 売却された。ja.wikipedia.org/wiki/PageRank
GoogleのIPOは2004年8月19日で,19,605,052株が85ドルで,売り出された。。そのうち、14,142,135株(2の平方根に 値する。)はGoogleからで、残りは既存の株主からだった。16.7億ドルの株の売却によって、Googleは230億ドルの時価資本総額を得た。2 億7,100万株の大部分はGoogleの管理下にあった。YahooもIPOの10日前に840万株を所有していた。その後株価の推移は順調 で,2007年10月31日には700ドルにもなった。この時にデスクトップ検索機能( desktop search function)とその iGoogleの個人別のホームページの機能を公開した。
成長
Googleはラジオや印刷業界にも進出した。2006年1月17日にラジオの広告宣伝会社 "dMarc"を買収した。
dMarc社は,自動化された広告システムを持ち,ラジオ放送向け広告を販売している。同社のシステムを利用することで,放送局は広告のスケジュー ル決定や放送を自動的に処理できる。さらに,処理結果のレポート機能も備えているため,広告主は広告展開の効率化が図れるという。
Google社は,有料広告サービス「Google AdWords」にdMarc社の技術を組み込み,同サービス利用者にラジオ広告チャネルを提供する計画。Google社による買収後も,dMarc社は現在の顧客に対するサービスを継続する。itpro.nikkeibp.co.jp/article/USNEWS/20060118/227424
Googlehまた、紙ベースの新聞や雑誌の広告企業からの広告販売を実験的に行うことを始めた,今年倒産して組合が買収することになったが, Chicago Sun-Timesの選択された広告も取り扱った。企業買収
2001年以来、幾つもの企業を買収して来ているが,その多くは小さな新興企業に焦点を当てて来た。2004年にはGoogle Earthのもとになったシステムをもっていた Keyhole, Inc.を買収。2006年2月には以下のソフトを買収した。
米Googleは米Adaptive Pathからブログ分析サービス「Measure Map」 事業を買収した。Measure Mapは,ブログへの訪問者とその行動(コメント投稿やトラックバックなど)を分析・集計し,リンク元などを追跡する。ブロガーは自身のブログにどのよう なユーザーが訪問し,どのように使っているかを把握できる。同サービスは無償で提供している。 このサービスへの登録は以来一時的に使えなくなっている。このソフトの最終的な更新は2006年4月6日までであった。このサービスの多くのわかっている課題の要点が述べられた。http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/USNEWS/20060216/229525/
2006年後半にYouTubeを16.5億ドルで買収した。そのすぐ後の2006年10月31日にJotSpotを買収し,この企業については以下の通り。
『Wiki』システムを使った業務用サービス会社 JotSpot の買収を発表した。この買収により、Google は Wiki 市場に進出する。Wiki とは、コミュニティの全メンバーが関与して Web コンテンツを共同構築するシステムを指す。JotSpot は、『Excite.com』の共同創設者 Joe Kraus 氏と Graham Spencer 氏が2004年に設立した会社で、Wiki ベースの業務用ソリューションを提供している。
Kraus 氏によると、Google は3年前から JotSpot に関心を寄せていたという。Google は、コラボレーション型 Web ベース ワードプロセッサ『Writely』の開発会社 Upstartle 買収や、やはりコラボレーション型の Web ベース表計算アプリケーション『Google Spreadsheets』 の自社開発を行なってきた。そして、データの作成/管理/共有を Web 上で行なうというこれらサービスの性質は、JotSpot の手がけるサービスと通じるものがある。なお Google は先ごろ、Writely と Google Spreadsheets を統合し、『Google Docs & Spreadsheets』として提供を始めている。http://japan.internet.com/finanews/20061101/12.html
2007年4月13日にDoubleClickを買収した。
DoubleClickは、サンフランシスコの非公開投資ファンドHellman & Friedmanが2005年に買収していた。Googleは同社や、残る株式を持つJMI Equity、DoubleClickの経営陣から合計31億ドルの現金でDoubleClickを買収することになる。記録されている中で、今回の買収 はGoogle創業以来最大の買収となる。 この買収により、Googleは同社が強みを持つテキスト広告に加えて、DoubleClickが強みを持つバナー広告などのディスプレイ広告にも強みを 発揮できるようになる。その結果、広告主にとってはさまざまな種類の広告を1カ所で管理し、高品質の広告キャンペーンを行なえるようになる。 http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2007/04/16/15430.html
以下買収の記述が何件か続くが省略。
さあ、いよいよ正月休みに突入うする。Googleが今日から始まった。どこまで進めるかだ。わずか設立が10年で,2万人の社員。総資産価値320億ドル。ミッションは創業時から「世界の情報を体系化し....」すごい。バックリンクをチェックする技術による検索エンジンとAdWordの開発。2004年に企業を公開してから,立て続けに企業買収を始めた。すごい会社だ。買収したDoubleClickは顧客の嗜好まで顧客の中に入り込んで分析してしまうソフトを持っている。
こうした企業をどんどん買収して行くことによって,どこまで、末端の個人を吸収していくのは計り知れない。破棄者とか全能の神とか言われているが,その全貌を徐々に明らかにしていきたい。一企業の視点から世界制覇のシナリオを検証してみたい。アメリカ合衆国凋落と対比してみると面白いかもしれない。アフガニスタンで失敗しても,こうした企業が世界を制覇してしまうかもしれない。ジョージ・オーウェルのビッグ・ブラザーを思い出してしまう。さあ、楽しみだ。
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2009年12月27日
アフガニスタン:不可避の戦争か?3
オバマがまた、来年3万人派兵するが、それも意味がなさそうだ。それにしてもアメリカはなんでこんな勝てない戦争をするのだろうか。なんで、この国を管理できていないのに,そのままにしているのだろうか。かって日本を統治した時とは全く違う。なぜこうなってしまったのだろうか。何かが狂っているが,どうしてだろうか。なぜアフガニスタンの文化,民族,風習、言語を勉強しないのだろうか。私にはオバマの真意が理解できない。さて最後だ。始めよう。
仮説への挑戦
「アフガニスタンはテロリスト・グループ、特にアルカイダの温床に再びなってはならない。」これはアフガニスタンの戦争の論理的根拠であると以前のCIA テロ対策センターの副所長であるPaul Pillarが書いている。そして彼はこの論理的な根拠に対して2つの疑問を提示している。1)アルカイダの指導者は数年前にはもうアフガニスタンにはい なくて,パキスタンに移ってしまっている。2)テロリストは新しい隠れ家の場所を考えていて,アフガニスタンの外の幾つかの不安定な国家を選んでいる。そして、アメリカ軍はそれがどこか知らない。
それから、PillarはWashington Postのコラム (9/16/09)に この2つの質問を尋ねている。1)テロリスト・グループにとってこの物理的な隠れ家はどれほど重要か?2)アメリカの国益、特にアメリカの母国にとって, この隠れ家はテロ攻撃にどれほどの影響があるのか?第二番目の質問に対する答えは目下の議論に内在する仮説にすらあがって来てもないのだが,...将来の テロリストの攻撃に最も重要な作戦にこのような隠れ家は必要ではない。...考えても見てくれ。2001年9月11日のもっとも重要な準備はアフガニスタ ンの訓練基地で攻撃が行われた訳ではないし,むしろ,ドイツのアパートであり,スペインのホテルの部屋であり,アメリカの飛行訓練学校であった。
Pillarはベトナムとアフガニスタンでの双方の戦争の核心となる仮説において、アメリカの不適切な検証が最も憂慮すべきであることがわかったと言って いる。1960年代にアメリカの論文は主要なしかも欠陥のある仮説を当然のこととし,あらゆる努力を傾けて,ベトナムを失うと言うことは他のアジアの国々 がドミノ理論によって,共産主義化してしまい,ベトナムに対する誓約からの撤退はアメリカに対する信頼性を著しく損なってしまうと言うものであった。
今 日,彼が言うには,オバマ政権はまだ、同様の過ちを回避することが出来る。アメリカはアフガニスタンのテロリストの隠れ家は9.11の恐怖を繰り返すこと を意味すると仮定してはならない。彼が信じるのは,アメリカがどのように隠れ家がアメリカ合衆国に重大なテロリストの危険を増大させて来たかと言う説得力 のある話は、今までのところは失敗に終わったと言うことだ。(www.washingtonpost.com, 9/16)
「我 々の本当の目標は数百人のテロリストであり,彼等がアメリカ合衆国に害を与える潜在的な可能性を持っている。」とアフガニスタンの専門家であるRory Stewartが言っている。「我々の本当の課題はアメリカ合衆国に損害を与えようとしている人ではなく,誰が出来るかである。そしてどのように実際にこ うしたことが出来るこういう人たちを阻止するかである。」Stewartはハーバードの教授であり,2002年にアフガニスタンを6,000マイルも歩き 回って、PBSのBill Moyersのインタビューに答えた。(www.pbs.org/moyers/journal, 9/25/09)
議論のために
1 この読み物に関して,学生からどのような質問があるのか?どのように答えるのか?
2 数多くのアメリカ人がなぜアフガニスタンのでの戦争が続くのか理解できないのはなぜだと思うか?彼等はなぜ大統領の説明が適切でないと思っているのか?
3 Jonesが「我々アフガニスタン人は」と彼女が言ったのはどういう意味か?なぜ彼等は敵のタリバンと戦うと彼女はおもわないのか?
4 Haasはなぜアフガニスタンの戦争を「選択できる戦争」と呼んだのか?
5 アフガニスタンにいる強力なアメリカ軍が「タリバンをその地域から解放し,それを維持する」ことがなぜ難しいのか?
6 Pillarによると,ベトナムとアフガニスタンとの戦争はどのように似ているのか?Pillarの意見ではどんな間違った仮説をアメリカ人はアフガニスタンに持ったのか?オバマ政権はどんな説明が必要であると彼は思ったのか? それはなぜか?
7 Stewartによると,アフガニスタンに於けるアメリカの本当の問題は何か?
8 アフガニスタン戦争で,あなたはどのような結論を描くのか?それは不可避の戦争か?選択できる戦争か?それとも他に何かあるか?なぜか?
調査と市民としての行動のために
学生に自主的に、もしくは小さなグループで,調査をさせて,アフガニスタンの戦争についてのより大きな歴史的な背景を提供する。学生に以下のような課題についての調査と報告をさせる。
ー1979年のソビエトの侵攻に対する,反体制活動を支援したアメリカの意思決定
ーオサマビンラデンとアルカイダの由来
ー1990年代前半のアフガニスタンの内戦
ータリバンを創設したパキスタンの取り組み
ーカシミールに於けるインドとパキスタンの紛争
ー1990年代後半のアフガニスタンに於けるタリバンの規則
ー9.11以降のアメリカの,タリバンとアルカイダ指導者の捕捉と殺害の失敗
ーパシュトゥーン人
ーアフガニスタン政府の腐敗
ーケシ栽培と戦争に於けるその役割
始めは学生に質問の骨組みを説明してあげて,調査に導いてあげる。それから、学生が討議を始め,多分,精緻化して,その質問を受け入れる。良い質問は極めて重要なので,www.teachablemoment.orgの高等学校の項のThinking Is Questioning(質問を考える)の項を参照のこと。
また、その項の中で,Teaching Social Responsibility(社会的な責任を教える)における、学校の行ける市民としての活動のための示唆を参照。Teaching on Controversial Issues" (討議課題の指導)と "The Plagiarism Perplex." (盗作の当惑)参照。
以上で,この論文は終わった。この生徒に教える「アフガニスタン戦争」がどうもまとものようだ。確かにアフガニスタンに攻めたところで,テロを阻止するこ とはできない。アーロン・ロッソがロックフェラーの言葉を引用した通りのことを言っている。http://www.youtube.com /watch?v=EeWqlJHzcSo

このYouTubeを是非参照してほしい。さて、次はグーグルだ。グールグルはまずはウィキペディアから翻訳しようと思う。http://en.wikipedia.org/wiki/Google
ただ、今まで,ウィキペディアはたくさん翻訳して来たが,長いし,難解な部分が多かったので,今回は出来るだけわかり易く書くつもりだ。原典に忠実にはならない。グローバリゼーションがテーマだが,Googleは検索エンジンとWebの宣伝で瞬時に巨大企業になったケースなので,どこまで、グローバル化について語れるかは疑問だが,とりあえず、取り組んで見ようと思う。知っていて損はない企業だ。今までとは大分、内容が違うので,戸惑うかもしれないが,出来るだけ専門用語の解説は入れるつもりだ。
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2009年12月26日
アフガニスタン:不可避の戦争か?2
学生の読み物2
「選択できる戦争か」?
戦争に対して増大する反対
8月にオバマ大統領が「不可避の戦争の戦争の話をアフガニスタンで行った。一ヶ月後,CNNの世論調査ではアメリカ人の58%がこの戦争に反対し、39%が賛成していたことがわかった。4月以来、反対票は12%増加し,CNN((http://politicalticker.blogs.cnn.com)によると、NATO同盟国においても戦争に対する支持は減少している。例えば,ドイツの3分の2は戦争に反対している。
オバマ大統領はまだ、議会に於いて共和党の間ではこの戦争に対して実質的な支援をしているが,民主党の支持は減って来ている。民主党のミシガンの上院議員Carl Levinはアメリカ合衆国上院軍事委員会の議長であるが,最近,自国軍の兵士をアフガニスタンに送る前に,アメリカはアフガニスタンの治安部隊に対してもっと訓練を行うべきだと言っている。
Ann Jonesはアフガニスタンで,何年も女性を支援して来て、この国についてものを書いて来ている。彼女もまた,アフガニスタンの軍事訓練施設を訪問したこ とがある。彼女が言うには,「我々アフガニスタン人はアメリカ人の目的のためには決して戦うことはないし,アメリカの軍隊がいなければ戦うこともない。こ のこ とは想像する通りだ。アフガニスタン人の望んでいない挙国一致政府のために敵のタリバンと決して戦うこともない。なぜ戦わなければならないのか?(アフガ ニスタン軍に会って。www.tomdispatch.com, 9/20/09)
「オバマさんの選択できる戦争」
Richard Haasは外交問題評議会の議長だが,いかなる「不可避の戦争」も2つの基準を持たなければならないと言っている。
外交問題評議会(Council on Foreign Relations)とは、アメリカ合衆国のシンクタンクを含む超党派組織。略称はCFR。「外交関係評議会」と訳されることもある。
1921 年に設立され、外交問題・世界情勢を分析・研究する非営利の会員制組織であり、アメリカの対外政策決定に対して著しい影響力を持つと言われている。超党派 の組織であり、外交誌『フォーリン・アフェアーズ』の刊行などで知られる。本部所在地はニューヨーク。会員はアメリカ政府関係者、公的機関、議会、国際金 融機関、大企業、大学、コンサルティング・ファーム等に多数存在する。知名度が高く、影響力が大きいことで知られる。評議会員の主張の多くは、外交問題評 議会の「凝縮された政策提言」への叩き台に使われるケースが多いとする意見がある。また、『フォーリン・アフェアーズ』には米国の重要な外交案件が示され るとする意見がある。
『フォーリン・アフェアーズ』誌は米国および諸外国の主要政治家が外交ビジョンを発表する場として重要視されており、2008年の大統領選挙でも候補者として名が取りざたされたバラック・オバマ、ヒラリー・クリントン、ジョン・マケイン、ジョン・エドワーズ、ミット・ロムニーのいずれもが論文を寄せており、その影響力は無視できないとされる。名誉会長はデイヴィッド・ロックフェラー。会長はリチャード・ハース(前国務省政策企画局長)[6]。理事長はピーター・G・ピーターソン(元商務長官、ブラックストーン・グループ会長)。
外交問題評議会はビルダーバーグ会議と並んで、民主的な手続きを介さず、国際的に重要かつ深刻な影響力を持つ政策を実質的に決定・実行している団体として長年攻撃の対象となっている。イギリスの王立国際問題研究所はイギリスの勢力圏内に秘密結社として多数の円卓会議を結成して謀略活動に当たらせた。欧米各地の円卓会議のネットワークは、ロックフェラー、ロスチャイルド、モルガン商会、カーネギーなど当時の財閥を結びつける役割も果たした。外交問題評議会はビルダーバーグ会議とも連携している。2008年3月31日、バラック・オバマは会員ではないと発言している。ja.wikipedia.org/wiki/外交問題評議会
その一つは「極めて重要な国益」に関わっていなければならない。第二に,その国益を守るために軍隊を利用するにあたって,実行可能な代案がないと言うことである。New York Timesの意見欄に、Haasは「9.11の後のアフガニスタンへの侵攻は不可避な戦争であった。アメリカ合衆国はタリバンを排除するために自己防衛のために必要であった。」と書いた。そうした。そして今、Haasは「我が軍の存在はまだ必要なのか?アフガニスタンに於ける我々の国益と言うのはその国で活動しているアルカイダとパキスタ ンを不安定にするためにアフガニスタンの領土を利用してるタリバン阻止することであり,」と疑問を投げかけていて,このパキスタンは核兵器を持っている。
しかしながら,もしアフガニスタンが安定した強力な政府が会ったとしても,テロリストはそこから行動をするであろうし、Haasが言うに,「パキスタンの 将来は良くても不確実のままだ。Haasはアメリカの政策の代替案をて案している。アフガニスタンからアメリカ軍を削減する。テロリストに対して無人飛行 機からのミサイル攻撃に焦点を当てる。アフガニスタンの治安部隊を訓練する。国の貧弱なインフラである道路,公衆衛生システム,電力網を強化する。
「より過激な代替案は」彼は続けて,「アフガニスタンからアメリカ軍の撤退である。」という。 「対テロ対策と母国の安全保障への取り組み」に精力を集中し,アフガニスタンから来るいかなる脅威に対して我が国を守ることをするべきである。
Haasは結論として,「だから、アフガニスタンは選択できる戦争だ。...オバマさんが選択できる戦争だ。...もしアフガニスタンが不可避の戦争であるならば,いかなる努力も正当化されるであろう。この戦争はそうではないし,そうするべきではない。(New York Times, 8/20/09)
パシュトゥーン人の要因
パ シュトゥーン人(Pashtūn)は、アフガニスタン内で最大の人口を持つ民族。パフトゥーン(Pakhtun)、パターン(Pathan)、アフガン (アフガーン (Afghān))など様々な名で知られ、アフガニスタン(アフガーニスターン (Afghānistān))は、ペルシア語・ダリー語で「アフガン人(パシュトゥーン人)の国」という意味。
アフガニスタンの中部・南部およびパキスタン北西部の北西辺境州・辺境部族自治区に 各1千数百万人が居住し、アフガニスタン人口の45%とパキスタン人口の11%を占める。民族の居住地域が大きく分散していないのにも関わらず、2つの国 家に分割されているのは、19世紀当時にアフガン戦争によってこの地域を支配下に置いていたイギリスが、保護国アフガニスタンと植民地インドとの境界を民 族分布を考慮せずに引いたためである。
連 邦直轄部族地域(Federally Administered Tribal Areas、FATA)は、パキスタンの州に属さない、パキスタン国内北西部のアフガニスタン国境地帯のことである。単に Tribal Areas とも呼ばれ、日本語でもトライバルエリアと呼ばれることがある。部族地域にはパキスタン中央政府の支配はわずかしか及んでいない。地域内に住むパシュ トゥーン人を中心とした部族は政府に敵意すらもって独立しているが、アフガニスタンのターリバーン崩壊に伴う摩擦が起きるまではパキスタンの中央政府との 関係は概して友好的であった。これらの部族はイギリス統治下で制定された辺境犯罪規則 (Frontier Crimes Law) が適用される。

パキスタンにおける連邦直轄部族地域の位置
アメリカ軍の戦略はタリバンのいる地域を解放し,それを維持することであった。しかしこのことは極めて困難である。パシュトゥーン人民族グループは南アフガニスタンの大部分であり,現在、タリバンによって支配されている。パシュトゥーン人の少数派がタリバンを支援しているだけではあるが,と中近東の学者であるJuan Coleが書いているが,パシュトゥーン人がこの国の大部分であり,最大の単一の民族グループであり,この国にアメリカもしくはNATO軍がいてほしいと思っている人は殆どいない。
New York TimesのコラムニストであるNicholas Kristofが、かっ ての諜報機関の職員とかその他の専門家にインタビューした時に,わかったが,更にアメリカ軍を南アフガニスタンのパシュトゥーン人の地域に送り込むと,そ この地域の人々をただ刺激してしまい,異教徒を撃退するためにタリバンを呼び戻してしまう。(アフガニスタンの底なし地獄 New York Times, 9/6/09)
明日で終わりだ。
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アフガニスタン:不可避の戦争か?
「アフガニスタン:不可避の戦争か?」 Afghanistan: A 'war of necessity?
学生の読み物1
「不可避の戦争か?」
「アフガニスタンの反体制活動は今に始まったことではないし,一晩でそれを打ち負かすことは出来ない。」とオバマ大統領は2009年8月17日に対外戦争の退役軍人の大会で語った。「これは迅速には行かないし,簡単ではない。しかし、我々は決して忘れてはならない。これは選択できる戦争ではない。これは不可避の戦争だ。」
何がこのアフガニスタンの戦争を「不可避の戦争」にしているのか?大統領の答えは「9月11日にアメリカを攻撃した人たちは再びそうすることを企んでいる。もし放っておいたら,タリバンの反体制活動はより大きな安全な場所を確保することになってしまい,そこからアルカイダはもっと多くのアメリカ人を殺そうとするだろう。だから、これは戦う価値のある戦争だけではない。我々の人々を守るために必須だと言うことである。...そして我々はその道筋のすべての段階に於いて,アルカイダとその過激派同盟国を打ち負かす努力を行い,アフガニスタンとパキスタンの、彼等が求める将来を建設するための支援を行う。」
新たな評価
このオバマの発言から数週間以内に、大統領と彼の国家安全保障の顧問団はアフガニスタンに於ける状況のあたらな評価を行った。国防長官Gatesにたいする8月30日の報告書では公にできる部分に於いて,アフガニスタンに於けるアメリカの総指揮官Stanley McChrystal大将は悲観的な状況を描いた。「次の12ヶ月で,主導権をとって反乱軍の機運をそぐことは出来ない。...成果にはリスクが伴っていて,反乱軍を倒すことはもはや可能ではない。...アフガニスタンの社会的、政治的、経済的、そして文化的な事象は複雑で,不明のところが多い。」
McChrystalはが言うには「アメリカ-NATO同盟軍は地域社会の原動力を十分に認識できていないし,反体制活動、汚職、不適格な役人,黒幕、犯罪行為のすべてがどのように絡み合っ て,アフガニスタンのに影響を与えているのか見当もつかない。...」しかし、彼は加えて,「アフガニスタンの状況は深刻ではあるが,成功はまだ達成可能である。」
しかし、この状況に於いて,「成功」とは何を意味するのか?オバマ大統領は9月20日にこのように言った。「私が断固として意思決定したことは我々を安全にするための戦略を第一として,そして、そのための原資をどうするかと言うことだ。」
戦争の原因とパキスタンとの関係
2001年9月11日のニューヨークとワシントンDCのテロ攻撃の後に,ブッシュ大統領はアフガニスタンのタリバンの政府にこの原因であるオサマビンラディンとアルカイダの指導者の引き渡しを求めた。彼等はそこに隠れていた。タリバンはそれを拒んだ。2001年10月7日にアメリカとその同盟国はアフガ ニスタンに空爆を行うことによって,戦争を始めた。数週間後にタリバンはその首都カブールを放棄し,アルカイダの戦士とともに,丁度パキスタン国境の山岳地域に撤退した。
ブッシュ大統領と彼の政府は今度はイラクに注意を向けた。その間,タリバンは再編成し,パキスタンの中で支援を受けてい た。このパキスタンはアメリカの同盟国でもある。パキスタンの諜報機関と軍隊はアフガニスタンのタリバンによる統制がパキスタンの敵であるインドから守る上で、そして、そこへの影響力を増すという視点から,重要だと見ていた。
すぐにタリバンの軍隊はアフガニスタンに戻って来た。2008年のアメリカの選挙の時に、彼等は南部のアフガニスタンの殆どを管理下に於いた。かれらはまた、東部の殆どを支配した。そして、この国の残りにも脅威を与えるようになった。
タリバンとアルカイダとその指導者の残存部隊(パキスタンにいると推定されているが。)との関係ははっきりしない。パキスタン政府は彼等の国の中にタリバンがいると言うことを否定している。しかし、パキスタンのアメリカの大使であるAnne Pattersonは最近、パキスタンは明らかに,Mullah Mohammad Omarのようなタリバンの指導者達に対して,「処置を講じることに気が進まないようだ。」と言っている。オマル師はパキスタンの西部の市、Quettaからアフガニスタンの反体制活動を指揮していると考えられている。(www.mcclatchydc.com, 9/18/09)
アフガニスタン戦争に於ける基礎事実:
2002年のアフガニスタンのアメリカ軍の数:5,200
2009年末ののアメリカ軍の予想数:68,000
2001年のアメリが軍の死者:12
2009年のアメリカ軍とNATO軍の死者数:350人以上 2001年以来で最悪。
アメリカ軍の死者の累計:841
2001年以来、アフガニスタンの市民の死者数:1,500 このうちの半分以上はタリバンが,残りは無人機によるミサイル攻撃など。
2002年のアメリカの軍事費:208億ドル
2009年のアメリカの軍事費:602億ドル
2002-2009年までの合計の軍事費:2,282億ドル
2010年のアメリカの軍事予算:680億ドル
アフガニスタンのアルカイダの基地:0
(Tom Englehardt 「アフガニスタンでの成功を測定する。」www.tomdispatch.com, 9/8/09)
アフガニスタンの多くの問題
ア フガニスタンは多くの深刻な問題を抱えている国であり,脆弱で,腐敗した中央政府は前回の選挙では合法的に勝利してはいない。この政府はこの国の30%しか管理していない。アフガニスタンの軍隊はしつけが出来ておらず,教育もまともでなく、殆どの兵士は読み書きが出来ない。(www.juancole.com, 9/17/09)
アフガニスタンは世界の中で,最も貧しい国の一つである。アフガニスタンの農民は彼等の収入の殆どをアヘンの原料のケシの栽培から得ている。ここが世界のヘロインの90%以上の原産地である。この国のインフラは極めて貧弱で,道路,発電所、下水設備は不十分である。首都のカブールでさえ下水設備がない。
議論のために
1 この読み物の関してどんな質問があるか?どのように答えるか?
2 アフガニスタンの戦争で,オバマ大統領が「不可避の戦争」と呼んだが,その基本的な理由は何か?
3 タリバンについてあなたは何を知っているか?タリバンとアルカイダとの関連についてはどうか?パキスタンでの彼等の隠れ家についてはどうか?アフガニスタンの戦争はなぜ8年も続いて来たのか、そしてなぜまだ続いているのか?もしあなたが殆ど知らなくて,もっと知りたい時にはどうしたら良いのか?
4 McChrystalはアフガニスタンの状況を「深刻だ」と見なしたのか?
5 アルカイダがアフガニスタンに前進基地がないのに,なぜ戦争が続けられるのか?
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2009年12月25日
アフガニスタンへの増派は失敗だ
Ex-US diplomat predicts Afghan troop surge failure
「元アメリカの外交官はアフガニスタンへの増派は失敗だと予言する。」
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/8426712.stm
アメリカの上級外交官がアフガニスタンでの戦争中に退職し,BBCに語ったところによると,ここへの軍隊の増派は「何も変化を起こさないだろう。」と語った。Matthew Hohは2009年10月にアメリカ国務省の身分を辞めた。以前は海兵隊員で,イラクに勤務していて,その後はZabul州のアメリカの上級文民職員であった。
彼がBBCラジオ4に語ったところによると,政治的な解決が彼が言うところの「35年の内戦」には必要だと言った。彼の退職はアメリカの新聞には「ホワイトハウスにさざ波」を送ったと書かれた。辞意を説明する手紙の中に,彼はアメリカ合衆国のアフガニスタンに於ける駐留の戦略的な目的が理解できないし,確信が持てないと書いた。
罪のある戦略
彼が仕事を離れた後の最初のBBCのインタビューで,オバマ大統領が発表した軍隊の増派に対して激しく攻撃し、批判を一段と強めた。「3万人の増派では何も起らない。アフガニスタンは国が広い。あの類いの地形の中で作戦を実行するのは困難だ。」追加の増派で,アメリが軍は合計で,10万人になる。しかし、アフガニスタンで効果を出すためにはその数ではまだ全然足りない。
更に軍隊が1,000の1,000倍以上が必要だ。多分40万から50万人の軍隊がこの国の農村部を制圧するためには必要だと思う。現在の西側の戦略は「罪のある」ものだと彼は攻撃していて,「腐敗した」かつ「不法な」アフガニスタンの政府の支援の上に成り立っていると言う。
政治的な解決しかないが,それは阻害されたアフガニスタンの社会の人々を受け入れれば、社会は安定し,この国に安全保障をもたらすことになる。「この国は要するに,35 年の内乱なのだ。」2001年に西側が侵攻し、タリバンを排除した時に,我々は北部同盟をそこに入れ替えたが,要はその内戦の相手を入れ替えただけだった。
我々は70年代中頃からこの国に起っているこうした政治的な紛争を解決したり,決定したりすることは何もして来なかった。我々はアフガニスタンでは政治的な解決を見出す必要があるのだが,不幸にも,現在の西側の戦略ではいかなる解決に導くことは出来ないと思うので,この内戦を終わらすことは出来ない。
この続きはWorld at Oneを見ろと言うことだが,要はインタビューの映像なので、ここで終わりだ。この記事は「なるほど。」と言うところがある。前回の論文では2016年までかかりそうだと言うことが書いていあったが,そうかもしれない。それと、「地域研究と日本について」ではこの地域の専門家が殆どいないと言うことを嘆い ていた。その通りかもしれない。このままでは泥ぬまに入って行くだけかもしれない。
それではこの次は学校ではこのアフガニスタンの戦争をどう説明しているのだろうか。教育者の社会的責任のためのモーニングサイド・センターの記事を翻訳してみよう。「アフガニスタン:不可避の戦争か?」 Afghanistan: A 'war of necessity? By AlanShapiro
http://www.teachablemoment.org/high/afghanistan10-09.html
この出典もとはMorningside Center for Teaching Social Responsibility (www.morningsidecenter.org) 2007年1月より、「社会的責任のための教育者の会 メトロポリタン(ESR Metro)」から名称を変更した。NYを拠点に活動するNPO。年間約80の学校にCR教育プログラムを提供している。 http://www.crn.or.jp/LIBRARY/NY/0001.HTM
学校の教材としてアフガニスタンの戦争をどう子供達に説明するかの記事であり,今日は先生へのメッセージだけをここで翻訳する。
先生のために:
アフガニスタンの戦争への支援は衰えて来ている。それはアメリカ人ばかりでなく,アフガニスタンでNATO軍のとして参加している他の国々の人たちの間でも衰えて来ている。戦争を批判する人はアフガニスタンで達成しようとしているアメリカの目的が何であるのかオバマ大統領はその透明度にかけていると批判している。彼等は増大するアメリカ人やNATOの死傷者を含めた、ニュースメディアとか軍の指導者からの不快な報告書を指摘する。
下記の内容を読む学生の最初の部分にはなぜ戦争が必要かと言う大統領の最近の発言、最近の軍の状況評価,この戦争の人と財務費用に関するいくつかの基礎情報がある。第二番目には多重な視点からアフガニスタンに於けるアメリカの役割を論評している。
この戦争とパキスタンータリバンとの関係に関しての参考資料はObama's Strategy in Afghanistan & Pakistanを参照のこと,またwww.teachablemoment.orgの高等学校の項の関連の「文書による質問」を参照のこと。更に学生向けの読み物としてAfghanistan: The Return of the Taliban & Heroinがある。
以下の翻訳は明日。今日はここまで。今上記にあげた参考文献はここでは取り扱わない。関心のある人は参照のこと。アフガニスタンは明日で,終了。その後はマイクロソフトに次ぐアメリカ最大の急成長のグローバル企業グーグルを扱う。
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2009年12月24日
アフガニスタンでの戦争2
休みは一 週間あるので、何かまとまったテーマを扱いたい。このアフガニスタンはこの週末までで,出来れば,当初の予定通り,お今しばらくは地政学を離れて,アメリカの企業を見てみたい。グーグルが良いと思っている。では昨日の続きを始めよう。
カブールを失ってから,1999年まで,マスードの軍隊は首都を攻撃できる射程の中にいて、定期的に攻撃していた。また、カブールから撤退した後はマスード はロシアとイランから軍事援助を受け始めた。双方の国はタリバンの力が増大することを恐れていた。ロシアは自国内のチェチェン地域で,そしてまた、タジキスタン政府のためにイスラムの反乱軍と戦って来ていた。
モスクワはタリバンを恐れていて,彼等はチェチェンやタジキスタンで戦ってきたこの反乱軍への援助と支持をしている。シーア派イスラム原理主義者(Shiite Islamic fundamentalist)が多数を占めるイランは、主としてハザリと呼ばれるアフガニスタンのスンニ派少数派の扱いについて、スンニ派イスラム教のタリバンと対立している。
1997年までに、パキスタン,サウジアラビア、アラブ首長国連邦はアフガニスタンの合法政府としてタリバンを認めた。タリバンの成功に於けるパキスタンの役割については賛否が分かれているが、幾度かのタリバンの軍事の勝利はパキスタン軍の直接介入のせいだと一般的には信じられている。
マザーリシャリーフ(Mazar-i Sharif) を制圧した後,タリバンはこの地域のハザリ少数派の対立を引き起こした。彼等はタリバンの厳格な宗教規範に合わなかった。そして、豪族マリク将軍とタリバ ンとの蜜月は終わった。結果はマリクとハザリによって少なくともタリバンの3,000人以上の捕虜が処刑された。1998年8月になって、タリバンがマザーリシャリーフを再び奪回した時には即座に,少なくとも2,000人のハザリ人を虐殺した。
ま た、外交官も含めた幾人かのイラン人も殺した。もう少しで,イランータリバン戦争が始まるところであった。この危機が高まった時にイランはアフガニスタンの国境に25万人の軍隊を集結させた。タリバンが支配している時に一貫して、イランはタリバンと交戦している北部アフガニスタンの「統一戦線/北部連盟」 に対して武器と軍事訓練を提供して来た。北部連盟はドスタム(Dostum)将軍のウズベク軍、前大統領のラバーニのタジク軍、ハージ・モハメッド・モハキーク(Haji Mohammed Mohaqiq)率いるスンニ派ハザリ軍である。
1998年に,アフリカのアメリカ大使館のテロによる爆破の後で,アメリカはアフガニスタンのビンラデンのアルカイダ組織に所属する訓練施設を巡航ミサイルで攻撃した。2001年の秋にタリバンは、しばしば、オサマビンラデンと彼のアラブ軍からの支援を受けて,北部同盟に圧力をかけ続けた。2001年9月9日に北部同盟の指導者アフマド・シャー・マスードはジャーナリストのふりをした2人のアラブ人の暗殺の企てによって,瀕死の重傷を負った。この攻撃は9.11の 米国の飛行機のハイジャックとテロへの予定された序曲として,ビンラデンの組織によって行われた。北部同盟はマスードが殺されたので,9月11日の夜間にカブールに空爆を行った。
マスードの殺害は9月11日に起ったアメリカでのテロ攻撃と同期していることはよく知られている。アメリカはビンラデンとアルカイダのこの攻撃を非難し、ア ルカイダとスポンサーであるタリバンとの戦いを計画し始めた。これがテロの世界戦争として知られるようになった第一フェーズである。
戦争の説明
アフガニスタンの戦争はタリバンとアルカイダを目標にした連合軍の空爆で2001年10月7日に始まった。地上ではアメリカ、イギリスその他の連合特殊部隊が北部同盟とともにタリバンを打倒するための軍事攻撃を始めた。北部同盟と連合軍との協力によって,協同の空爆と北部同盟による地上攻撃を行った。これらの攻撃によって,2001年11月13日にカブールは陥落し,タリバンは北部アフガニスタンの殆どから撤退した。多くの連合軍が戦争に加わり,北部同盟は南方に向かって戦ったので,タリバンとアルカイダはアフガニスタンとパキスタンとの国境の山岳地帯に撤退した。
2002年からはタリバンは生存をかけて,軍の再編成を謀った。2005年から2007年の冬まで,タリバンは攻撃を増やして来て,イラク戦争での経験から自爆テロとかその他の戦術を利用して来ている。
2007年2月27日にアフガニスタンへの外交訪問の時に明らかに暗殺計画がタリバンの反乱軍によって行われ,彼等はチェイニーを攻撃目標と考えていた。自爆テロはカブールから20km離れたバグラム空軍基地の検問所で爆発し,一人のアメリカ兵士が巻き込まれたが,チェイニーに怪我はなかった。
2008年の春と夏には,アフガニスタンでの武力衝突による連合軍の死者は、同時に起っているイラク戦争より上回った。タリバンはパキスタンでの強力な基地があるので、蘇生可能で,連合軍とアフガニスタン軍に対して,大規模で,組織的で,効率的な攻撃行うことが出来ることが明らかとなった。最も致命的な攻撃の一つに 8月中旬に、100人近くのタリバン軍がカブールの近くでフランス軍を待ち伏せした。10名が殺され,21名が負傷した。同日にパキスタン国境近くのアメリカ軍基地に自爆テロの一団が攻撃した。
次期のオバマ政権はアフガニスタンに於けるアメリカ軍の規模を大幅に増加させようとしている。ヨーロッパの連合国はオバマ大統領に同様に増派する圧力をかけることを期待している。
2009年7月15日現在の死傷者
アルカイダ 少なくとも2,500
タリバン 少なくとも23,000
アフガニスタン政府
警察官 3,606
兵士 1,087
民間警護 304
アフガニスタン市民 31,000+
2009年10月2日現在の国別連合軍死者
総数(アフガニスタン人以外):1182
アメリカ:774
イギリス:125
ドイツ:38
スペイン:25
フランス:28
デンマーク:26
オランダ:19
イタリア:15

以上でアフガニスタンの戦争の状況のレポートを終えるが,明日はこの戦争が果たして終わるのかと言ったテーマを翻訳したい。さらに最後に,アメリカの学校の生徒にこの戦争をどう説明しているのかを翻訳して,このアフガニスタンの戦争をひとまず締めくくりたい。これは今週末までで,その後は方向のを当初計画した通り,アメリカのコングロマリットのグローバリゼーションを扱いたい。この冬休みはグローバリゼーションの本命だ。今日はここまで。
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