2010年03月
2010年03月31日
日本経済不況の原因
ただ少し前まではやくざと麻薬と売春の島だったのも事実で,かってはここの日本企業の工場長が殺害されたこともあった。いまはそう言ったことは無く,三亜の市内から2時間ほど行ったところに,博鰲(ボーアオ)と言う場所に大きな国際会議場がある。以前行ったことがあるが,ここは本当の田舎で,何でこんな田舎に国際会議場を作ったのかと言う感じのところだ。外国の要人はどうやって、そこに行くのだろうか。いつも疑問に思う。
http://www.kainantou.com/news.php?nowmenuid=56
さて、不動産の暴騰が今年から激しいが,現地では全くそう言ったことは感じられず,活気ある町がそこにあるだけだった。ただこうした海の風景はのんびりした海浜風景と書くのだろうが、ここ三亜はのんびりしたと言う感じは全くなく,中国どこにでもあるような,喧噪とした町であった。中国の雰囲気は殆ど感じないが。三亜の中心街はワイキキビーチ によく似ている。海岸と大きな道路を挟んで、建物が並んでいる。ワイキキビーチのようにホテルが並んでいるのではまだ無い。そのうちにそうなるだろう。
よく、中国はものすごく変化していると言われるが,毎月大連に行っているが,それほど感じないし,今回の海南島も全くそうしたことは感じなかった。ただ びっくりしたことが、五万数千円で,3泊4日で,5つ星のホテルで朝食付きであったことだ。午後便で,深夜着,朝5時出発でも飛行機は満杯。朝食もフルコースで,和洋中、全部あって,なんでもあると言う凄いものだったので,昼食は食べられなかった。そうした商魂は凄いものを感じた。部屋も一流で,イン ターネットも東京の会社と変わりがない。一方で,ビーチの前の安ホテルでは一泊300元(4,500円)だと言うのでびっくりだ。
現地には中国人の家族がいるので,観光とは言っても,大きな観音様を拝みに行ったり,市内から一時間ほど行った,亜龍湾の開発状況を見に行ったり、地元の旅館を見学したりしただけなので、面白くも何ともなかった。ただ不動産だけが政府の政策によって,暴騰していると言うのが現状だった。ということは政府の 役人はものすごく儲けたと言うことだ。そう言うのは相変わらずだ。我が家も中国人だが,残念ながら,そう言う恩恵にはあずかったことは無い。
中国にはこうした富裕層が急激に拡大して来ているので,会費50万円で,健康診断ツアーを企画しようとしているが,こうした背景があるから,応募 者が殺到するのは間違いない。日本人の感覚では考えられない一面もこの国は持っている。家族がこの国と一緒に生活しているので,私自身がなれてしまっているのだろうか。さて始めよう。日系だがアメリカ人が見た日本の不況の原因だ。
日本経済不況の原因
なぜ日本の経済はかって、世界の羨望の的であったが、このような厳しい時代になって来て、なぜ回復にそれほどの長い時間がかかってきてるのか?1985年から 2000年までの日本の経済危機を分析して来た9人の学者が6つの基本的な原因を認識して来た。
貯蓄に於ける余剰
日本は伝統的に極めて高い貯蓄率と比較的に低い消費率を維持して来た。回復と高速の成長の数十年の間に、この「貯蓄余剰」は銀行ローンの形で民間の産業にもっぱら必要な資本として供給された。この資金は日本の産業インフラを構築し、拡張するために利用され、世界クラスの製造力の地位を達成した。しかしながら、1990年代に「貯蓄余剰」はかって、高速の成長には書かせない燃料であったが、需要をひどく急落させ、日本の経済回復の重い障害物となり、重大な構造的な障害になった。
自由民主党と既得利害関係者集団
日本経済の保護された、非効率な領域を代表する利害関係者集団から支持されて来た自民党は日本経済の不調に寄与して来ただけでなく、日本の国が軌道に戻るのに必要な改革の実行を困難にして来た。自民党は権力の座に居続けることに焦点を置いて来たので、不良貸出債権の不吉な突出したもののような、広範囲に及 ぶ改革を実行したり、困難な問題に取り組んだりすることに気乗りしなかった。利害関係集団を支援する人たちとの自民党との協力体制は資金と票を提供し、改革の手段を襲い、希薄化するために、激しく議員に働きかけて来た。日本の資産デフレと流動性の罠の前例のない長さは大いに効率的で、長期的視点を持った政治的なリーダーシップの欠如によるものである。
流動性の罠:貨幣に対する需要の金利弾力性が無限大になり, マネーサプライを増加させても金利が低下しなくなる状態。流動性のわなとは利子率がゼロ近くまで下落すると投機的需要が無限に大きくなる、という現象をいう。
流動性のわなは、流動性選好説の重要な性質だ。利子率がほとんどゼロ近くまで下落すると、貨幣保有のコスト(もらえたはずの利息)もゼロになる。す ると、人々は資産を債券ではなく、すべて貨幣で保有しようとするので、投機的需要が無限に大きくなる。この現象を「流動性のわな」といい、投機的需要曲線やLM曲線のグラフは水平(勾配がゼロ)で表される。
ここでは、利子率が1%まで下がったところで「流動性のわな」にはまっている。この状態で貨幣供給量を増やしても、投機的需要が増えるだけで、金利水準 は低下しない。このとき、貨幣需要の利子弾力性は無限に大きくなり、取引的動機貨幣需要は無視できる状態になる。これを「貨幣需要が利子率に完全に弾力的である」という。こうした状況に陥っているときには、貨幣供給量を増やして金利を下げる金融政策は無効となる。 http://www.findai.com/yogow/w00362.htm
小泉首相は陳腐化した経済システムを改革するための明確な選挙民があたえた権限を持っていて、必要ではあるが政治的に痛みを伴う変化をやり遂げることができるかどうかはまだわからない。
政策の間違い
政治的な意思と効率的なリーダーシップの欠如は重大な政策の間違いをもたらす。以下のようなことだ。1997年の消費税率の引き上げ。これは回復の芽を摘んでしまった。不良貸出債権の処理に対して前代未聞の対応の鈍さ。そし て、プラザ合意の次に起こった急激な円の評価によるデフレ対策のための1985-1987年の金利削減に対する過度の依存。バブル,資産のデフレ,流動性の罠に対して,ただ,日本政治家とか政策策定者を責めるのはアンフェアであり,政策の間違いが問題を悪化させ、回復の過程を遅らせたと言うのが正しい。
プラザ合意:1985年9 月22日、G5(先進 5ヶ国蔵相・中央銀行総裁会 議)により発表された、為替レート安定化に関する合意。1970年代末期のようなドル危機の再発を恐れた先進国は、協調的なドル安を図ることで合意した。 とりわけ、アメリカの対日貿易赤字が顕著であったため、 実質的に円高ドル安に誘導する内容であった。
発表の翌日の1日 (24時間)で、ドル円レートは1ドル235円から約20円下落した。1年後にはドルの価値はほぼ 半減し、150円台で取引されるようになった。日本においては、急速な円高による『円高不況』が懸念されたため、低金利政策が継続的に採用された。この低金利政策が、不動産や株式への投機を加速させ、やがてバブル景気をもたらすこととなる。
1985年〜1988年までの為替レート(日次)。プラザ合意が行われてから数日間で、急激に円高が進行している。
この論文は小泉政権の2005年頃に書かれているようだが,先見の明で,確かに自民党が崩壊した。一方で,ここで言うように,「政治的な意思と効率的なリーダーシップの欠如は重大な政策の間違いをもたらす。」と言っているが、今の政権の方が既存権益の壊し方に,不安を覚える。普天間とか郵政の課題を見ていると悪い方向に変化していってしまうのではないかと言う危惧がある。
ここで言う日本の貯蓄率は今は高くなく,3.1%(2007年OECDデータベース)で、アメリカは米国商務省の統計雑誌 Survey of Current Business の08年7月号によれば、5%で日本より高くなっている。http://jp.fujitsu.com/group/fri/column/opinion/200808/2008-8-1.html
明日はこの続きで,さらに3つの課題を説明している。このように過去の論文を読んでいると,正鵠を得たものが多い。日本も確かに変化して来ているのは事実だ。その方向にグローバルな考え方をどう経営者が、そして為政者が入れ込んで行くのかが大きな課題だ。少なくとも今の政治はそれが後退していると言わざるを得ない。今日はここまで。
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2010年03月30日
失われた10年からの教訓2
ぐずぐずすることによる危険
John Markinはアメリカ企業研究所の人で,ここはシンクタンクだが,彼が主張しているのは、金融と財政の緩和は必要だったが,日本の経済を蘇らせるのには十分ではなかった。この欠けていた重要な要素は銀行システムを止めることであった。日本の企業はアメリカ企業よりもこのシステムに依存していた。日本の銀 行は不透明な企業構造のもとで,彼等の不良債権を隠し,利益になるビジネスに対して新たな貸金を削減した。悪循環が起こって,それによって、銀行の不良債権は成長を押し下げ,新たな不良債権を造ってしまった。
もう一つの新たな報告書ではRichard JarramはMacquarie証券の人だが,アメリカは「日本の経験を繰り返すようにはならない。」と言っている。と言うのはその調整システムである財政市場と政治構造はそう長い間,ぐずぐずすることはないと結論している。アメリカはより透明度の高い調整システムを持っていて,銀行が最初に,危険な証券化した資産を彼等の貸借対照表から移動していたと言うことを取締官が仮に気付くのが遅かったとしても,このシステムは銀行に損失を認識させ,貸借対照表を修正させてしまう。しかしながら、一方で,日本の取締官は銀行とグルになって,彼等の不良債権を隠していた。
過去何年にもわたって,アメリカの銀行は1990年代において,日本よりより早く,損失を開示し,消却し,新たな資本を集めた。日本では政治の意思でこの銀行システムの穴埋めに税金を使うまでに長い時間を要した。アメリカの財務省の大きな試練はFannie MaeとFreddie Macのふらふらしたローン貸出の巨人の国有化の必要性を如何に早く認識するかであった。
日本にたいして一つ有利なところは、Jerram が言うには、アメリカは他の国にまたがって家の不動産の破産費用が広がっているということである。外国人がアメリカのモーゲージ担保証券の多くの部分を持っている。ソブリン・ウエルス・ファンドはアメリカの銀行に新たな資本を提供してきた。
ソブリン・ウエルス・ファンド (Sovereign Wealth Fund、SWF):政府が出資する投資ファンド。政府系ファンドともいう。 石油や天然ガスによる収入、外貨準備高を原資とすることが多い。ja.wikipedia.org/wiki/ソブリン・ウエルス・ファンド
そしてアメリカの急速に発展する輸出はその経済を支えて来ていて、安いドルのお陰である。それに比べて、日本のバブル崩壊後の円の急激な値上がりは国内需要の落ち込みと同時に輸出を傷つけた。
日本の失策から学ぶことによって、アメリカは惨憺たる10年を回避することができた。しか しながら、ワシントンが日本の問題をただ単にマクロ経済の無能さを反映したと決めてかかるのは傲慢だろう。他の諸国での経験では重要な資産価格の破産はしばしば幾年にもわたって経済を下方に押し下げてしまう。慎重さに欠けた楽観主義者だけがアメリカでは最悪な事態は終わったと信じている。
以上で終わりだ。サブプライムの不動産の暴落からアメリカが日本のような長い不況にならなかったのはこうした日本のバブルを勉強したせいかもしれない。このようの改めて過去を振り返ってみると,今回のアメリカの不動産価格の急騰の方が日本のバブルの時よりも激しかったことに驚きを覚える。それをこのように、景気の落ち込みがひどくないのは手の打ち方が迅速だったと言っているが,まだ安心は出来ないようだ。失業率が10%もある。
ただ、このように見てくると,昨日も言ったように,中国のバブルは一体どうだったのかと言う疑問がでてくる。北京オリンピックの時に不動産が高騰した。その後、金融引き締めで,暴落し,リーマンショックで,更に追い打ちがかかったが,2008年11月の危機刺激策を契機に株価が急騰し,また、上海万博を前にして,不動産が高騰している。その高騰の仕方も尋常ではない。
http://stock.searchina.ne.jp/data/chart.cgi?span=90&asi=1&code=SSEC
上海総合指数を見るとその状況がよくわかる。2006年には1000元だったものが2007年半ばには6000元まで上昇している。それが2008年始めには1600元近くまで暴落し,3500元まで回復して来ている。海南島の不動産がこの3ヶ月で,30%暴騰した。こうした状況が隣の中国で起こっていることに日本人は知らないのか,こうした変化に麻痺しているのか。もしくは関心を持っていないのか。いずれにしてもとんでもないことが起きているのは事実だ。先週この不動産が暴騰した海南島の三亜に行ってみて来た。
最も暴騰の激しい三亜の人工島では居住用のビルが6棟建設中で,販売を開始した2棟は先月即日完売。温州人による買い占めだったそうだ。ドバイをまねて作ったと言う島だったが,3年前には私の会社がここの不動産の高騰を見越して,日本で投資活動をしたことがあったが,日本の不動産企業を現地に勧誘したが,うまく行かなかったことがあった。この島は3年前当時20億円だったが,今は60億円にもなってしまっていた。凄まじい値上がりだ。日本では考えられない。私もそこまで上がるとは想像だにしていなかった。
下の写真に示すようなところで,中国のハワイだ。直行便が無いので,香港の近くなのだが,14時間もかかってしまう。3年前は中国人とロシア人だけだったが,先週は日本人の結構いた。問題は今の時期でも30度をこすので,7月になると暑すぎて外に出られない。あと2年もすれば直行便が飛ぶだろう。中国であることを忘れてしまう。町の感じは南洋諸島の中国人街を思わせる。
ja.wikipedia.org/wiki/三亜市
更に続けて,日本の経済のことを書いた論文を翻訳して行きたい。明日は以下のところの論文を翻訳する。
Walter H. Shorenstein Asia-Pacific Research Centerが発行したCauses of Japan's Economic Stagnation Daniel I. Okimoto (Principal Investigator) http://aparc.stanford.edu/research/causes_of_japans_economic_stagnation/
今日はここまで。
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2010年03月29日
失われた10年からの教訓
失われた10年からの教訓
アメリカ合衆国は不況の10年の中へと、日本を追うのであろうか?
2008年8月21日
住宅価格の下落と貸出の引き締めがアメリカの経済を圧迫していて,日本が1990年代の初めにバブルがはじけて、陥ったように,10年の不況に苦しむのではないかという心配がある。日本の不動産バブルはまた、安い資金と金融自由化によって,火がつけられ,ーまさにアメリカ同様にー多くの人々は不動産価格が全国的に値下がることは出来ないと決めてかかっていた。バブルがはじけた時には借り手は債務不履行となり,銀行は彼等の貸金をカットした。その結果は1%以下の平均成長の10年となった。
アメリカが日本と同じような運命に苦しむと言う考えはとっていないが、それらの違いの幾つかは誇張されている。たとえば、日本のバブルはアメリカ合衆国のそれより遥かに大きかったと主張している人がいる。ではあるが、全国的な家の価格の平均の値上がりは2000-2006年の間にアメリカでは90%も上がったが,比較すると、日本では1985年から1991年の始めまで51%の増加であった。その時が日本の家の価格が最高潮であった。(上図左側参照)日 本の最大の都市の価格が早く上がったが,経済への影響を考えると国家全体の数字の方がより重要だ。日本の家の価格はそれ以来,40%以上下落してきた。アメリカの価格は既に,20%下落し,そして、多くのエコノミストは更に10%以上下落すると見ている。
商業不動産はどうであろうか?平均価格の値上がりは上記期間で比較するとアメリカ(90%)より日本(80%)の方が少ない。こうして,日本の不動産ブームはどちらかと言えば,アメリカ合衆国より小さかった。日本もまた,株式市場のバブルがあった。それは不動産よりも一年早くはじけた。これは銀行を傷つけた。というのは彼等は他社の株式保有の一部を資本として計算していた。しかしながら、家計への影響はあまり大きくなかった。と言うのはアメリカは国民の半分以上が株を持っていたのに比べると日本は30%でしかなかった。
日本の政策立案者は一般の人は誤認しているが、バブルが弾けた後の利率を切り下げたり、財政政策を緩和したりしたのはアメリカより決して遅い訳ではなかった。日銀は不動産価格が下降を初めてすぐの1991年7月に金利を下げ始めた。割引率は1993年の終わりには6%から1.75%に下げた。アメリカの家の価格が下がりだして2年後に、フェデラルファンドレートは5.25%から2%に低下して来た。(上図右側参照)アメリカの連邦準備銀行の研究によれば、 余分な能力の量とインフレによって適切な利率をきめる「テーラーの法則」で要求されているものよりかは1990年代の初めの日本の金利の低下はより激しかっ た。
日本はまた、経済に大きな財政支援を行った。周期的に調整された歳出超過(税収の成長低下による不可避の影響を除外している。)は1992-1993年 のGDPの年平均1.8%の増加となった。ーこの年はアメリカの予算の増加と同様であった。日本の金融並びに財政刺激策は経済を持ち上げる助けになっ た。1993-1994年の景気後退のあとで、GDPは1995年にはおよそ2.5%の年間成長率となった。しかしながら、その年にデフレとなり、実質金利を押し上げ、債務の実質的な負担は増大した。日本はここから最大の政策判断を間違え始めた。1997年に政府は歳出超過を解消しようとして、消費税を上げた。そして、金利はほぼゼロに近いままにして、日銀はもう何も出来ないと強く主張した。ただ、よりあとになって、たくさんの紙幣を印刷しだした。
アメリカのインフレ率が5%を超えていることは有利だ。実質金利がマイナスになるだけでなく、インフレはまた家の市場価格を公正な価値に持って行き、価格の下落をそうでないときよりもより小さくすることができた。しかし、もう一つの方法で、アメリカは日本と違ってさらけ出されることになる。1991年にバブルが弾けて、日本の家計は彼らの収入の15%を貯蓄していた。2001年までには貯蓄率は5%まで低下して来たが、消費支出を支えてきた。アメリカの貯蓄率はゼロに近いので、そうした蓄えはない。
今日はここまでだが,私は金融関係に疎いので,この内容は新たな知識であったが,日本の不動産バブルよりもアメリカの方が大きかったのだと言うことを知った。中国も北京オリンピックの前に株価が5倍になったが,この時も政府はうまく景気の沈静化をすることが出来た。日本のバブルの後処理が如何にまずかったのかがこうしてみて見るとわかる。日本が鎖国をしていたからだめだと言うこともあるが,それよりかもっと大きな原因がここになったと言うことを改めて認識することが出来た。
以前も「日本経済モデルの隆盛と凋落」のところでも述べたように,日本のシステムに問題があった。それが現在すべてがオープンかつ透明になって来た訳ではない。あいかわらず、規制と政治が過去の遺産を引きずっているのは事実だが,それだけであれば、今後は解消して行くことだろう。日本企業とか政治のグローバル化の課題はまだまだ解消しそうには無い。今日の論文はまだ多少残っているので、それはまた明日。
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2010年03月28日
日本の景気後退の原因
昨日は研究会に参加した三菱重工の苑田氏がわざわざ「日米同盟かみ合わぬ期待」のブログを一つのファイルにまとめたくれたので,その量を見てびっくりした。毎日書いていると気がつかないが,こうして、印刷してみると,ちょっと読むような量ではなかった。早速,20部作成して,関係する方々に配布することにした。ネット媒体であれば,眺めて終わりだが,紙媒体であれば,その構え方が,また違いそうだ。
今日のテーマは関心が持てるので,いくつか他の論文の探索に挑戦してみるが,とりあえずはこのAbout.comのアメリカ経済を翻訳してみる。以下の内容では説明の時代が前後しているが,全体としてはその通りだ。些末なところで間違いはあるが,我々にとって、言っていることは正論で,耳の痛い話だ。では始めよう。
日本の景気後退ー何が原因か。アメリカへの影響は何か。
2008年の第4四半期に一年前のGDPより12.9%急落し、日本の景気後退は公式となり、1974年以来、最悪となった。日本経済の崩壊は2008年第2四半期が2.4%の落ち込みで、第3四半期がわずかに0.1%しか下がっていなかったので、ショックであった。厳しい景気の下降は家電と自動車販売の輸出の落ち込みの結果であり、これは日本経済の16%であり、2002-2008年の国家の経済の回復を後戻りさせる力となってしまった。
日本の経済は1990年代に障害となったデフレからやっと回復したばかりだった。日本の経済は2007年には2.1%上昇し、2008年の第1四半期には 3.2%となったので、多くの人が10年続いた景気後退からついに抜け出ると信じていた。
グローバル経済に対する日本の重要性
日本は4番目の経済の規模で、(EU、US、中国の次)だから、また、その減退は世界の経済を弱らせてしまうことになる。日本はまた,南アジア近くの諸国から臨時工を採用していて,現在,大量に解雇している。(この記述は間違いで,ブラジルの日系人のことだろう。注)1990年代には景気後退と戦うために, 日銀は金利をゼロまで下げ、米国債を買い、円安を維持し、輸出品の競争出来る価格とした。
この円安によって,投資家は低金利で,円を借り、ドルのような,より高い金利の通貨に投資した。このことは円キャリートレード yen carry tradeとして知られていて,グローバル市場に於いて,より多くの流動性を造り出した。昨年,円キャリートレードは崩壊し,円は高騰した。より強い円がアメリカでの需要が落ちて来た時に,日 本の輸出品の競争力をそいでしまった。
なぜ日本の経済はアメリカに対して強いのか?
日銀は伝統的に米国債の最大の保有者であった。このことが円をドルに対して,比較的に安く保って来ていて,日本の輸出品に競争力を維持させて来ていた。こ の戦略が日本の債務をGDP全体の182%とし、その経済力を弱めた。(CIA World Factbook)
(出典)OECD「エコノミック・アウトルック85」(2009年6月)
このようにグラフで見ると,日本の現状が尋常でないことがわかる。この問題は多くのエコノミストが指摘していて,今回もそうだが,こうした問題提起の英文の論文を今探している。注
安い円は日本の自動車産業を極めて競争力のあるものとした。トヨタが2007年に世界最大の自動車メーカーとなったのもこれが一つの理由だ。日本の景気後退によって、米国債の購入が減少し,一方で,アメリカ合衆国は経済の刺激策と緊急援助の財務支援ために国債の増加発行を行った。国債の需要が減退し,供給 が増加したので,利回りが上昇し,金利が上がって,それにより,さらに、不動産市況が下落した。
なぜ日本的な景気後退がアメリカには起こらないか?
日本が景気後退している時に,経済成長はこの10年間で,年平均1%であった。日本のように,アメリカ合衆国は景気後退を宣言し,金利を劇的に下げ,5.25%から2%とし、日本は6%から1.75%とした。また、、同様に,アメリカ合衆国は昨年経済に数十億ドル注入して来た。日本も公共工事を増 加させることによって,経済に資金を投入して来て,1992年と1993年にはGDPの年平均1.8%の財政赤字を増大させた。
日本の金利が6.5%であったのは1991-1992年頃で,1.75%は1995年頃で2010年3月で1.475%。注
原因と反応は似ているにもかかわらず,アメリカ合衆国は日本のようには、この10年間、景気後退はして来なかった。アメリカの政策立案者は日本がしたより,より早く、積極的に反応して来て,日本が2年かかったところを一年で,同じような市場介入をして来た。更にアメリカ合衆国は銀行から不良ローンを保証したり,買い取って来たり、今までに、一兆ドルは帳消しにして来た。他方,日本の為政者は銀行とともに不良債権を隠し,帳消しにはしないで,何年にもわ たって,銀行システムを台無しにして来た。 (Source: The Economist, Lessons From a Lost Decade, August 21, 2008)
この内容についてはこの3月11日までの2週間の「日本経済モデルの隆盛と凋落 」で指摘して来た。注
現在でさえ,日本政府は方向を持っていないように見える。日銀は再び,金利をゼロに下げ,株価を回復させるために,企業の株を買って来ている。しかしながら,政府は7870億ドルの経済刺激策もしくは7000億ドルの金融安定化策の基金のような積極的な計画をこれから開発しなければならない。
7870億ドルの経済刺激策:2009年2月にアメリカ議会が承認した政策 Economic Stimulus Package
7000億ドルの金融安定化策:2009年9月の銀行救済の政策(TARP) $700 billion TARP fund
このテーマはとりあえずこれで終わり。今あまり量がさばけないのはKindleのしわざとテーマ探しが原因だ。なかなかヒットしたネタが見つからない。特に英辞郎のKindle用のサイズにするためにPerl言語を利用するのだが,もう何年も使っていなかったので,コンソールからうまく起動するのに時間がかかってしまった。こういうコーディングはあっという間に数時間がすぎてしまう。楽しいが、きりがない。
だから、ここ2、3日間は寝不足がたまっている。ソフト企業とは今朝コンタクトのメールを見ることが出来たが,こういうのは後処理が面倒だ。そうした意味ではKindleは凄い。カスタマーサービスの極致を感じた。英語でしかサービスしていないので,英語のわからない日本人には対応できないが。故障のクレームを電話で伝えてからわずか2日間で代わりの新しい商品が、しかもバックアップ付きで届き,送り返した商品の航空運賃も即断で,支払うと言うことをやっている。この商品はiPadと比較するとローテク商品だが、古き良きアメリカを感じる。最新のマーケティング技術と利益採算を考えた商売ではなく,昔の1970年代のアメリカのカムバックだ。私にとってはうれしい。昔の3、40年前のビッグマックの再来のようだ。
さて、明日からはここにでている,The EcomnomistのLessons from a " lost decade"を翻訳しよう。http://useconomy.about.com/gi/o.htm?zi=1/XJ&zTi=1&sdn=useconomy&cdn=newsissues&tm=30948&f=11&tt=2&bt=0&bts=1&st=24&zu=http%3A//www.economist.com/research/articlesBySubject/displayStory.cfm%3Fstory_id%3D11964819%26subjectID%3D348918%26fsrc%3Dnwl 続きを読む
2010年03月27日
目に見えない
目に見えない
この相互に連結した、ワールドワイドウェブの「グローバル化した」時代において,現実の生活をしている人々としての国家は押し寄せる情報の中で生きている。「情報社会」に於ける速度と数えきれないほどの「コンテンツの発生源」から吐き出された生データの量は、最も熱心な、最もハードワークをしている情報収集者ですら、維持することが出来ないほど追いつめられているかのようだ。国家政策レベルではこの流れを更新し,開発することは戦略的な要求となって来ているが,政策立案者は危険を承知で,無視している。
ギリシャはこのグローバルな情報の競争に中にあって,落伍者になっている。ギリシャの「技術の遅延」は、不快なことではあるが,公然の秘密である。ギリシャ人はその大部分が,最新のコミュニケーション技術を使っていない。ギリシャはEUの中で、コンピューターの浸透度は最も低い。同様に、多くのギリシャ人はイン ターネットを使っていないか、さらに悪いことに、インターネットが何たるかすら知らない。
若い世代があちこちに、幾ばくかの知識を持ったユーザーを作って来ているが、その全体像は、控えめに言っても、期待に沿うようなものではなく、この動向を見ている専門家に言わせるとギリシャがヨーロッパのより先進的なパートナーに追いつくには何年もかかるだろうし、巨大な予算とより巨大な官僚組織がすぐにでもそれを可能とするような壮大な各家庭への接続の計画を発表していているにしてもである。
社会学者、人類学者、そしてその他の専門家はこの一見して、広範囲に広がった情報技術に対しての反抗を説明する理論を持っているようで、それはベールに包まれた「コンピューター恐怖症」であるようだ。しかしながら、より経験から基づいたレベルではギリシャ人の行動をよく見ている人たちはこの世界で、彼らと活動的な接点を持ったときに、ブロードバンドの、無線のインターネットとかその他の汚らわしい機器を使った共同社会の不幸に全くの関心を示さない。
ギリシャ人には職業政治家の自慢とか、それと反対に、著名な「オピニオン・リーダー」がいるにも拘らず、一般的に殆どの人は、この世界で交流を込み入んだ形 で、詳細にはしたがらないようだ。公的部門でも、民間部門でも、殆どの例外はなく、ぶっきらぼうに言ってしまえば、提供される情報に積極的な関心を持つ には気の毒なほどの記録しか持っていない。
これはコンピューターとかインターネットに対して漠然とした不快感を持っているだけでなく、それは問題の一つの現れである。それはむしろ、情報の交換が行われ、そこでは絶対に活動が選択されたり、決定したるすることに結びついている領域においてさえ、意識的に参加しなかったり、見ようとしなかったりする困惑した傾向がある。
この傾向のむき出しの証拠はいくらでもある。たとえば、ギリシャ人がいかなる種類の国際会議に出席し、参加して来たのを一貫して見て来た人であれば、誰でも、 そうした会議で、永遠にギリシャ人が人目につかないことを証明することができる。現地のつまらない政治と偏狭的な習慣が現状では重要な役割を果たして いる。ギリシャはちっぽけな世襲の土地ばかりだ。
すなわち、小さな特別の利害関係を持った派閥が通常は時代遅れの「年長の」人物、もしくは昇進、降格、予算配分のような重要な処理を管理するトップの上に「往来する」人たちを支配している政治的な関係を持った人々の周りに癒着している。現在では不可能なような社会的な陰謀が行われているように、「地上での」ギリシャ人の実態は楽観主義者の海兵隊ですら出来ないような胴体着陸までしてしまう人並みはずれた能力を持っている。(大して話もしないで,裏組織で決めてしまうことを凄い能力だと比喩している。日本の政治に似ている。注)
今日、見えないが、情報に対する敵意もしくは無関心は莫大な費用がかかる。見えないと言うことはまた、自分自身の利益と目標を促進し、守ることができない こと意味する。50年前には、広報は数時間で、かかっても数日で意図した相手に届くことがでた。今日、文字通りに、一瞬で、メッセージがデスクトップに配送される。
このとんでもない時間差だけで、3脚の肘掛けいす越しに、広がった世界の中で、ゆっくりと、ブラックコーヒーをすすりながら、携帯電話で陽気に雑談し、生 きて行 けると考えてる人たちを完敗させ、粉々にしてしまうのに十分である。一方で、ライバルであるが、また、「友人」となるには見えると言うことと、繋がってい て、そして、忙しく、彼ら意見を押し通し、お互いに助け合うネットワークを促進することである。
このギリシャの続きだが、内容を翻訳していて、日本人の文化に似ていることに気がついた。ギリシャ人は情報に対して,疎くて関心をあまり持たないようだ。日本人のような文化の背景とは異なるが、このギリシャ人は日本人の「あうん」と似たところがあるのかもしれない。勤勉性は日本人の方が遥かにあるが,日本人と同様に,コミュニケーションはあまりしないようだ。
会議では壁のシミであり、また、「ちっぽけな世襲の土地」で、年功序列の世界で、社会が癒着している。日本にそっくりだ。ただ、違うのは情報が日本では氾濫している。ただ、もしかして、氾濫しているがこのギリシャのよ うに情報が軽視されているのかもしれない。深く考えない上っ面の情報がTwitterのように飛び交っているだけかもしれない。そこが日本の問題で、そう 言う意味ではギリシャにそっくりかもしれない。Twitterは良い意味でも悪い意味でも「廊下鳶」だが、そうした情報に対する浅さは共通のようだ。
以上でこの論文は終わりだ。
次は日本の景気後退をアメリカがどう見ているのかを翻訳してみたい。http://useconomy.about.com/od /grossdomesticproduct/a/Japan_Recession.htm
Japan's Recession - What Caused Recession in Japan, and How It Affects the U.S.
By Kimberly Amadeo Dec 29 2009
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2010年03月26日
中国の競争力の主眼点4
昨日の論文の最後に、「中国の急成長の結果,今いろいろでて来ている課題を解決することが優先されるかもしれない。」と言っていた。「そのためには成長一辺倒でなく,調和のとれた社会の構築に向かうのではないか。」と言っているが,それが今の政府の方針である。政府の効率性が高いのはそこにあるのかもしれない。北京オリンピックの時に不動産バブルを沈静化し、株価を安定化させ、今回の世界不況に於いても中国の景気を回復の方向に持って行ったし、今年の上海万博と同時に起こった不動産バブルもきっと問題なく治めてしまうのだろう。
こうしたことに対する政府の果たす役割は我々の多くは看過しているが、きわめて大きい。ここの国の人口を考えただけでも、この国の政府の管理能力は計り知れないほど大きいと言うことを我々は認識しなければならない。かって毛沢東が中国はミニ国連だと言ったが、近いうちに、この国は世界の経済の半分を動かすようになる。そうなるとこの国の政治力が世界の経済をリードする以上に操作することも可能だと言うことを忘れてはならない。我々はこの国の国力と歴史をきちんと分析した上で、そうした認識を持たなければならない。
そうした意味で,今後の産業構造の変革も政府主導で、進んで行くだろうが,人口の過半を占める三農問題への取り組みは長年の課題であり,この貧富の格差は急激には縮まらない。農村部の社会保険制度と教育問題、出稼ぎ労働者の問題は時間のかかりそうな課題だ。そこには中国の国内にアフリカと同じ後進国が存在するからだ。中国自身に南北問題が内在している。
この背景も我々は注意深く歴史を検証しなければならない。中国を毛沢東が1949年に建国したのはこうした問題を解決したいからだった。ユートピアの建設がその目的であった。だから、人民公社が出来、国有企業が出来た。資本主義諸国のように、企業の存在目的が自らの採算を考慮して、社会に貢献して行くと言う考えではなかった。誰もが楽しく、一生そこで生活が出来る社会の構築だった。
それが共産社会であったが、大躍進で失敗してしまったのは周知のとおりだ。終身雇用も死ぬまで雇用が保障され、社会保険制度、教育制度もその趣旨で、構築されていた。それが1979年に始まった新たな改革はこうした制度を崩壊させ、資本主義国へと変貌して行った。そのお陰で、今の中国があるのだが、この建国の趣旨はこうした背景があった。であるから、中国政府はこの三農問題も含めて、社会保険制度と教育制度の再構築はなおざりにはできない。こうした背景を知っている長老はまだか数多くいる。
また欧米の企業はこの中国の収賄を問題とするだろうが, 地方政府と地方企業の癒着は無くならない。これは中国独特の文化だ。その社会に外国企業が入って行くしか方法は無い。と言うことは日本人がこうした社会の慣習とか文化を体得すると言うことは不可能だから、その文化のインターフェースを企業の中に取り込まなければならない。
そういうとどこの経営者もそうしていると言われるが、私が言っているのはそう言う意味ではない。インターフェース自体の取り方に問題がある。もっと、日本企業が中国の中に入るべきと言うか、グローバルな視点と言うか、今の鎖国的な見方を直さなければならないと言うことだ。
企業が採用している中国人は2つの意味でそう言うことができない状態になっている。一つは日本企業は中国人を重用しない。そんなことはないと言う企業が多いだろうが、実際、重用していない。たとえば、北京とか、上海で中国人に総経理を任せていると言う話を良く聞くが、そういう中国人は日本の企業に20年以上も勤務しているから、いわば日本人だ。もはや、彼らは中国人ではない。
ましてや、中国本土で採用した中国人を日本企業の各国のトップに持って行こうと言う方針を持った企業は一社もない。これは企業トップの問題ではなく、日本企業の構造がそうした人材を採用する構造にないからだ。以前、私の会社は上海で人材コンサルティングビジネスをしていたが、日本企業の本社が中国人を重用する気持ちがないのを知って廃業したことがあった。日本企業の現地の董事長がいくらその気になって、中国人を育成しても、現地だけではどうにもならない。
インタフェースの日本側のレベルがもっと中国側によるべきだと言っている。日本の組織の中に完璧に入って来ている中国人しか幹部候補として受け入れない今の日本では優秀な中国人の確保のパイが相当限定されてしまっている。そのため、中国市場開拓の人材がそれでなくても足りない状況の中にあって、ますますそれを不可能にしている。そのためには日本人がもっと中国の社会の中に入って行く必要がある。
ただ、一方ではいくら日本人がその中に入って行っても、日本人は中国人のようなネゴシエーションのスキルを身につけることはできない。生まれたときからの教育環境が違うからだ。私の中国人の家族は子供がもの心がつくころから、36計を徹底して教育する。中国の社会で生きて行くための術だ。こうした技術を日本人が身につけることは不可能だ。しかしながら、コミュニケーションスキルは可能だ。ここで私が言ってきているグローバルな日本人の育成だ。
36計:『秘法三十六計』はいつの時代に成立したものかはわかっていない。確かなのは『南斉書』王敬則伝にある三十六計走ぐるを 上計とすの一文だけで,後世こじつけの形で編纂されたものではないかとの見方が強い。http://www1.interq.or.jp/~t-shiro/data/etc/36kei.html
これを知らない日本人が多いが、中国人なら誰でも知っている。私も30年以上知っているが、この36計を自ら利用する能力はない。中国人はこうした36計を小さいときから親が徹底的に教育しているので、これらを駆使して利用することができる。昔はそうしないと、違う地域に行ったときには殺されてしまう危険があったからだ。よく、日本人は中国人は嘘つきだと言うが、嘘つきかもしれないが、日本人が言うような「嘘も方便」と言う考えに近い。日常の世界に深く入り込んでいるから、そうしたことを知らない日本人が悪いと言うことになる。
もう一つは日本企業自体のグローバルマインドの醸成だ。それは日本人社員全体が(国民が)鎖国状態になっているので、その精神構造の変革が必要だと言うことだ。これは大変なことだが、もうそろそろ日本人も外を向いて生きて行く必要がある。典型的な事例は日本のアフガニスタンでの行動だ。英語圏から見ていると、極めて不自然な行動だ。フランスのサルコジにしても、イタリアのベルルスコーニにしても、日本政府の行動はけっして理解出来ないだろう。
彼らはアメリカの軍事行動に賛成している訳ではない。アフガニスタンで勝とうと思っている訳ではない。いわば、50ヶ国も参戦しているから、その付き合いでしかない。だから、アフガニスタンで戦争をしているのはアメリカだけだ。この付き合いに日本が入ってこないと言うことはアンフェアとしか言いようがない。湾岸戦争のときに140億ドルもの巨額の支援をして、世界の顰蹙をかった記憶は未だ忘れない。今度も50億ドルをアフガニスタンに投資して、警察官の教育をしようとしているが、タリバンもそこにはいる訳だが、また、世界の顰蹙を買いそうだ。いわば日本は世界のKY国だ。
そうした世界に目を向けた人材にして行かなければならない。そうしなければ、中国人を理解出来る人材だけを育成して、今度はその日本人とグローバル化していない大半の社員との間に摩擦が起こってしまう。私が長崎の出島を作って日本の本社のグローバル化を図るために、中国人を利用しているのはそのためだ。
ここでもう一つ問題がある。中国人をどこの企業でも数多く採用しているが、その中国人はこうした企業のグローバル化の一助になるかと言うとならない。中国は特殊な国で、もともと国家が様々な文化、人種の集合体だから、彼らは郷に入ったら郷に従うことが徹底している。日本企業に入ったとたんに日本人になり切ろうとする教育を受けているので、日本人に「表面的に」同化してしまう。だから、日本人に対して中国人の良さを主張する中国人は決していない。また、中国人は日本に同化することは決してない。アメリカに移住した中国人を見れば一目瞭然だ。100年経っても、彼らは中国の伝統と文化を維持している。
こうした表面的にも同化しない中国人を日本企業の「出島」につれて来て、日本人のグローバル化を図らなければならないと私は思っている。そうはいっても日本企業はもう50年も経営計画の中で、グローバル化を謳って来ているが、せいぜい、部長レベルが英語が話せるぐらいまでしか出来ていない。となると、大きなことを言っても日本の社会とか企業は変化出来ない。
私は10年かけて、日本人の「あうん」以心伝心の曖昧な仕事の仕方をやめようと言うことだけを言って来ている。日本以外の世界では仕事はすべて、ギブ・アンド・テイクだ。もらったお金の対価として仕事をする。勿論、企業に対するロイヤリティとかチームワークは当然あるが、日本人はサービス精神が旺盛な反面、時間にルーズで、だらだらと仕事をしてしまう文化がある。これはなおさなければ、世界に勝てない。一様に30%の効率が悪い。これは私の商売で、BPOを推進しているがそのためだ。
いっぽうで、都市部の大きな課題として環境汚染があり、この課題は先進諸国が通って来た同じ課題だ。そうした意味で,中国は先進国に倣うことが出来る。中国のもう一つの最大の課題はソフトウェアであり,専門知識と技術の育成である。そのための専門的な人材の育成が必要である。管理職の人材も極端に不足しているが、急激に国家が成長したために、人材がそれについて来ていない。ソフトウェアは目に見えないだけに、まだまだこれからだろう。日本もかってはそうだった。
10年で大学生が10倍になったが、彼らが就職出来る市場が十分にない一方で、上級のスキルを持った人材が極端に少ない。今度はスキルのない単純労働者は今後職が減って行くことになる。今は景気回復のためにこうした単純労働者を道路、鉄道に投入しているがそのうちに余って来るとなると、また社会問題になってくる。上級のスキルを持つ人材は教育して行くしかない。かっての文化大革命と同じで、1966-1976年の教育の空白で、その後の中国の成長に大きな支障を来したが、現在は今までの社会主義では存在しなかった、企業経営者とその幹部候補生の育成だ。
中国の国際競争力は政府の政策に依存していることが大きい。今まで,中国は1978年以来,毎年8%以上の経済成長をして来たが,1990年代に於ける社会主義国から資本主義国への変革は政府主導でこなしてきた。日本が高度成長を遂げて来た背景とは全く違う。また、2000年以降、WTO加盟後の対内直接投資はアメリカに次ぐ、自由度を持っている。日本はそうした意味では自由度が全くないと言っていいくらいの保守環境が出来上がってしまっている。だから、海外からの対内直接投資がない。勿論アメリカの兵器産業が日本に輸出出来ないと言うような障害もまだ多々ある。トヨタの問題の原因の一つだ。アメリカの箱もの産業はもうこの軍事産業しかない。
今後の課題としては人権問題をどう扱って行くかグーグルのような外国投資との摩擦も含めて、政府が情報統制をどう運営してくか、が大きな課題として残っている。
ただ、人権問題について、新疆とチベットの問題は中国の地政学的な歴史観があり、欧米人がいろいろ問題視して来ているが,中国政府がそうした視点の解決は好まない。歴史的に漢民族を守って来たのはこうした周辺の異民族だからだ。中国を地政学的に守って来たのはヒマラヤとかタクラマカン砂漠の地勢ではない。こうした異民族が人の盾となって、夷敵の障壁になって漢民族を守って来た歴史がある。だから過去の歴史同様に、これからもこうしたジオポリテックスは変わらない。
情報統制の問題についてはこうしてインターネットが普及し,ますます情報が開示されて行くと,どこまで,政府がその情報統制が可能かは疑問であり,グーグルが撤退でもしたら,この分野に於ける産業の後退に繋がってしまう。まさか中国政府が「百度」がそれを補完出来るとは思っていないはずだ。グーグルとはその規模もレベルも桁が違う。
百度(バイドゥ、Bǎidù)は中華人民共和国のBaidu, Inc.が運営する検索エンジンである。創業は2000年1月。本社は北京市にある。全世界の検索エンジン市場において、BaiduはGoogleに続き第2位のシェアを誇る(米comScore社、2009年8月調べ)。中国国内では、 Google(谷歌)を押さえて最大のシェアを誇る。ja.wikipedia.org/wiki/百度
中国政府が先ほども経済の景気を左右するほどの力を持っていると言ったが、政権維持に対する感度は極めて大きい。この情報統制も人権問題とあわせて、その一環だ。しかしながら、先の人権問題とこの情報統制とは時代環境が全く違う。2005年5月から反日運動はなくなってしまった。インターネットで政府主導で反日活動を先導出来なくなってしまったからだ。それほどまでに、情報伝播の影響が大きいからだ。携帯 電話は8億台を超えている。8億人への情報伝播は3時間もあれば十分だ。
このままで、中国政府が情報統制を継続すると言うことは実質的にはもう限界に来ているはずで、数千人規模による「金の盾」も限界に来ているはずだ。この携帯メールはもう統制出来ない。検索できるとすればグーグルのG-mailしかない。
最後に,中国は民主主義国家ではないが,それ以上に、地方政府の歴史を考えると,大衆と役人との関係はこうした主義以上の価値観の世界があり,収賄とかの制度を含めて,それが良いかどうかの判断以前の問題として、この国の文化であり,変化することは出来ない部分ではないだろうか。1949年に農奴解放をして,平等の社会になったと言うが,歴史観からすると,そう簡単には平等にはなれずにいるのが現状で,現在のような役人が管理する社会の方がこの国情にあっていると思う。一般大衆も後進国の一般大衆と先進国の人々とは全く違った人種であることもこの国の特徴だ。このことは今後の大きな課題でもある。そうした意味からすると、先進国の一般大衆は自由主義国の人々と変わらないが、国の大半を占める大衆が発展途上国、後進国の人間であることを忘れてはならない。
以上で中国のグローバリゼーションに私の議論は時間の関係もあってここで終了するが、思いの外、長文になってしまった。この国の発展はこうした様々なひずみと齟齬を伴いながら、猛烈な勢いで、進展し、かつ歴史的な経緯があって、変更出来ない文化もある。また、この国は自由主義国ではないが、世界の経済を主導出来るまでに国力が巨大化して来た。われわれは彼らの戦略とその環境を十分に把握した上で、日本のかれている停滞した立場を十分に斟酌し、これからの10年の日本のグローバル化に向けての施策をきちんと考えて行く必要がある。
次はギリシャの情報のところで,参照としてあげた「Invisible」を翻訳する。これはReserch Institute for European and American Studies ヨーロッパ並びにアメリカ研究の研究機関(RIEAS)が2009年8月17日に発行したものだ。この論文は前回のギリシャの論文に引用 しているところがあるが、ここでは全文を翻訳する。
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