2009年04月20日

中国のグローバリゼーション17

多国間繊維協定が2005年1月に期限切れになって、繊維製品が欧米に500%も急激に輸出されたが、中国の企業はその恩恵の10%しか受けなかった。結局もうけたのは欧米の企業であった。2004年に中国の企業は設備投資を144%も行い、ドイツの機械を10億ユーロも購入してしまった。2005年半ばになって、アメリカとヨーロッパは緊急輸入制限措置を発動して、輸入障壁を作ってしまった。

この輸入制限によって一番被害を受けたのはそこで働く農民工であった。この繊維産業はもう一つ問題があった。それは環境問題だ。綿を一ポンド(大体2分の一キロ)製造するために4ポンドの殺虫剤を使い、1300ガロンの水を使う。皮肉にも、水の足りない新疆が綿の最大の生産地だ。こうした環境コストを考えると繊維の輸出産業は採算が取れない。

生活水準と環境へのインパクト
貧困と不平等

1999年に世界銀行は中国を低所得国から低中所得国に格上げした。2004年時点で、50セント未満の貧困層は世界で1億6200万人。1ドル未満が9億6900万人。中国ではこの1ドル未満の貧困層が2002年に2820万人であったが、2003年には2900万人に増加している。これは安価な農産物の海外からの輸入の影響だ。もう一つ中国は世界で最も所得が不平等な国だ。1980年代の初めの頃は人口の上位10%が国民所得の20%以下を占めていた。1995年には33.7%を占めるようになり、下位10%は1.87%でしかない。2005年にはさらに広がり、上位は45%となり、下位は1.4%だ。

ジニ係数で言えば、1980年が0.2で、2005年が0.45だ。2003年には58,000件であった抗議行動が、2004年には74,000件になり10年前の10倍以上になったのもうなずける。ジニ係数 とは、主に社会における所得分配の不平等さを測る指標で、係数の範囲は0から1で、係数の値が0に近いほど格差が少ない状態で、1に近いほど格差が大きい状態であることを意味する。ちなみに、0のときには完全な「平等」つまり皆同じ所得を得ている状態を示す。 0.5を超えると格差が大きく社会の歪みが許容範囲を超えるので、政策などでの是正が必要とされる中国は限界に来ているということだ。

国家統計局によると都市と農村の所得格差は1980年代始めで1.8対1、2003年には3.23対1で、世界平均は1.5対1から2対1の間が平均だ。お金で換算できない公共サービスを考慮するとその実態は6対1のようだ。

労働者からの搾取

1億人から2億人が農民工だ。この人たちがGDPの20%以上を貢献しているが、その恩恵はほとんど受けていない。中国は元々労働者を強く保護していたが今や、それは紙だけになってしまった。これらの農民工の賃金の滞留は少なくとも120億ドルにもなる。月だけではなく、何年にもわたってである。

国家作業安全総局によると、作業上での事故で、2004年は136,000人、2000年には100,000人が亡くなっている。その80%が農民工だ。民営の鉱山では4.74%が職業病にかかっており、それも7年以内に発病している。国営企業では0.89%で、25年もかかっている。石炭鉱山の事故で、毎年5,000人の命を落としているが、世界の80%に上るが、石炭の生産量は世界の3分の一だ。

深圳と珠江デルタ領域では年間4,000人が指を切断しているが、指一本あたりの支払いは60ドルだ。訴訟を起こすにも平均1,070日もかかり、訴訟することは不可能だ。2003年に582名の事故障害者への調査で、70.2%が農民工。それで、61.7%が企業と雇用契約をしていない。66.3%以上が8時間以上労働しており、平均時間は10時間で、50%以上が残業をしているが、その残業は1時間から8時間で、70%以上が週末がない。治療期間は休業補償が定められているが、給与を受け取ったのは20.3%で、減額で受け取ったのが16.4%だ。

こうした搾取とか傷害を逃れることができたとしても、農民工に中流階級の生活を望むことはできない。北京のマンションの守衛の年収はそこのマンションの一平方メートルを買うのがやっとだ。ほとんどの農民工とその家族はスラムに住んでおり、公共サービスなどほとんどない。2004年の政府の報告書によると妊婦ならびにその子供の死亡率は平均の1.4倍から3.6倍だ。

農村部には出稼ぎで、残された子供が2,000万人いる。300万人の農民工の子供のうち15%は学校に行っていない。しばしば学校はこうした農民工の子供の修学を差別し、学費を高くしたり、他の差別をして、入学の意欲をそぐようなことをしている。10年前には中国南部の製造工場では年収が5,000元あったが、2004年の調査ではこの12年間で、月給がわずか68元しか増えていない。その間、物価は3倍以上になった。

私有企業が中国に現れたのは1980年代の初めだったが、その当時はまだ、今日のような搾取はなかった。1949年から1978年の間に確立された社会保障制度も健在であった。この頃は多くの人たちが公的な教育や健康管理を享受できた。都市住民は住宅を供与され、年金も保障され、私有企業からその他の補助があった。20年にわたって国有企業の最低生活保障福祉計画が浸食されると、私営企業もこうした福祉はおろそかになっていった。

雇用を蝕んでいったもう一つの要素は長時間労働だ。珠江デルタ、揚子江デルタの多くの輸出工業園区では一日の労働時間が12時間で、週7日間労働で、繁忙期には13−15時間も珍しくない。安全管理も外国企業や合弁企業はより悪い状態である。珠江デルタが最初の経済特区だが、この中の東莞市は中国24都市の平均給与より、16.8%も低い。2003年の調査で、事故の26%は外国投資企業、53.9%はそのほとんどが国際企業の下請けである私有企業で、国有企業、集団所有企業がそれぞれ、3.5%、1.9%である。

健康と教育

1980年以前は中国の健康管理システムは社会計画経済において、発展してきた。1980年までは85−90%の人口は国有もしくは集団所有の健康管理システムによってカバーされていた。こうした背景から、毛沢東時代に、平均寿命は35歳から67歳に伸びた。幼児の死亡率も1,000分の200から1,000分の42まで落ちた。この改善は世界で最も早かった。開発途上国で、種痘とポリオを根絶した最も早い国であった。近年の目覚ましいGDPの成長にも関わらず、この健康管理システムは維持することはできなかった。幾度かの市場指向の改革を通じてなくなってしまった。1980年から2003年の間に健康管理費用はインフレがあったにしても、15倍にふくれあがってしまった。143.3億元から6623.3億元に。この期間の間に政府の補助は36.2%から17.2%に、国有企業、集団所有企業の補助は42.6%から27.3%に減ってしまった。一方で、個人の負担が21.2%から55.5%に増えてしまった。そのため、都市部の患者の半分は自己治療するようになり、農村部の患者の60%以上はどんな場合でも医者に行くことをやめてしまった。21.6%の貧困家庭は医療費のために貧困ラインを超えてしまった。入院の平均費用は1,500元以上であり、農村部の年収の半分にあたり、政府の指定する貧困ラインのの2倍以上だ。

1980年までの人民公社時代から2000年にかけての市場指向の改革の中で、人々が大変は思いをしてきた。その課題はまだ解決されていない。労働環境、環境、教育、健康管理が今までなおざりにされてきた。




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海野 恵一
1948年1月14日生

学歴:東京大学経済学部卒業

スウィングバイ株式会社
代表取締役社長

アクセンチュア株式会社代表取締役(2001-2002)
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海野塾のイベントはFacebookのTeamSwingbyを参照ください。 またスウィングバイは以下のところに引っ越しました。 スウィングバイ株式会社 〒108-0023 東京都港区芝浦4丁目2−22東京ベイビュウ803号 Tel: 080-9558-4352 Fax: 03-3452-6690 E-mail: clyde.unno@swingby.jp Facebook: https://www.facebook.com/clyde.unno 海野塾: https://www.facebook.com TeamSwingby
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