2009年04月30日
中国のグローバリゼーション25
環境活動
1990年代始めから中にかけて中国政府は環境NGOの急増を許可し、大衆に関連した課題を教育し、国の緊急な環境問題に対処するよう、今までのギャップを埋めることを期待した。環境NGOは急速に新たに解放された政治空間に移動してきた。現在、これらのグループが多分、中国での新興の市民社会での最も活動しているひとたちだ。
先ほど、台北から1時間の烏来に行ってきた。温泉で、箱根に似ている。1時間ほど温泉に入って昼食をして帰ってきた。明日は阿里山に行くそうで、1泊2日 かかるようだ。なんと台北から電車とバスで、6時間もかかるようだ。となると明日あさってはブログは書けないかもしれない。今日はまだ時間がありそうなの で、今朝の続きを書くことにする。台湾の人はどうも日本人と違って、のんびりしているというか、せかせかしていないので、休暇にはもってこいだ。妻の実家 は子供がたくさんいるので、夜の風呂に入るときには大変だ。時間を間違えると遅くまではれない。午後は床屋に行ってきた。息子と一緒で400台湾ドルだか ら1200円なので安い。ヒゲもそって、頭も洗ってくれた。上海が20元だから上海の方が安い。300円だ。ところで、坊主にしてくれといたら、山本刈り かと聞かれたので、そうだと答えたら、坊主のことを「山本」というようだ。この台湾では山本五十六がまだここで生きていた。びっくりだ。YO夜は台北の通化街の夜市に行ってきた。車が駐車違反で、レッカーに持って行かれてしまい、帰りが遅くなってしまった。さて朝の環境NGOの続きを少しだけ。明日は朝が早い。
公式に登録された環境NGOは大体2,000ぐらいあるが、多分、企業として登録されていたり、登録されていないものもある。Nature Conservancy、Conservation International、World Wildlife Fund、 Greenpeaceのような多くの国際NGOは中国に事務所がある。
資金源と活動家
NGOの公的資金はまだきわめて限られており、募金活動はきわめて限定されている。なので、NGOは2つの資金源に依存している。熱心な活動家と創業者の 生涯貯金と、外国基金、NGO助成活動基金並びに海外寄贈者からの基金がある。多くの資金源、特にアメリカからの場合にはしばしば思想と実践を展開するので、地方の条件に合ったり合わなかったりしている。たとえば、アメリカの大きな環境団体の場合には大きな議論を巻き起こしている。というのも広範囲な土地を買い上げてしまい、人々をそこに移住させている。
中国の環境活動家はしばしば教養のレベルが高く、中産階級出身である。多くの指導的活動家は特に北京を活動基地にしている人はアメリカの大学で勉強したか、アメリカのNGOにいた。自然と彼らの多くは考え方、言語、方法論を西側から持ってきて、時々、有益であったり、そう出なかったりしている。例として、多くの西側の環境保護主義者のように何人かのこうした中国人のリーダーは「もしすべての中国人が車を運転したら」とか「もしすべての中国人がアメリカ人のように肉を消費したら」生態学的大惨事が起こるという考え方にしばしば執着する。こうしたことは問題のある課題かもしれないが、こうした問題の民族主義的構想は中国の大衆を大いに引きつけるというものではない。中国の新興消費層にとって、この西側よりの批判に対する答えとして「「あなたがこのように金持ちになったら、あなたは私を金持ちにしたいとは思わない。」そして多くの労働者は決して車を持とうと思いもしないし、アメリカの生活を夢見たりはしないから、このメッセージは単に見当違いだ。自家用車の管理しきれない爆発的な拡大は中国において大きな問題で、特に貧しいものにとって。バスは交通渋滞でだんだん遅くなってくるし、車がどんどん道路を占領するので、自転車が閉め出され、高速道路と都市の郊外化現象によって大量の土地が消耗され、土地のない多量の農民が発生している。しかしながら、問題は「もしすべての中国人が車を運転したら」ではない。その代わりに、公平と公正の問題だ。もし50%の中国人が車を運転したら、残りの50%の人たちはあるったり、自転車に乗ったりすることができるのだろうか。もしくは食物を造る十分な土地が残るのだろうか。現在、多くの環境保護主義者は技術的な解決策に翻弄されているか、西側流の「not in my backyard」ニンビー(廃棄物処理施設などの好ましくないものを他所に設置するのはいいが自分の近所には絶対いやだという自分勝手な人)であり、環境正義とか深い生態学の考えとか組織的な分析にまで配慮がいたっていない。
農村の環境保護主義が次のテーマだが、今朝はここまでにしよう。昨晩は遅くまで、夜市に行っていた。これから朝の運動をしてから、阿里山に行く。車で行くそうで、しかも途中で、菜の花を見に行くというので、9時に出るそうだ。今夜は阿里山泊まりで、明日の朝の日の出をみるというのが、目的らしい。たまにはいい。
1990年代始めから中にかけて中国政府は環境NGOの急増を許可し、大衆に関連した課題を教育し、国の緊急な環境問題に対処するよう、今までのギャップを埋めることを期待した。環境NGOは急速に新たに解放された政治空間に移動してきた。現在、これらのグループが多分、中国での新興の市民社会での最も活動しているひとたちだ。
先ほど、台北から1時間の烏来に行ってきた。温泉で、箱根に似ている。1時間ほど温泉に入って昼食をして帰ってきた。明日は阿里山に行くそうで、1泊2日 かかるようだ。なんと台北から電車とバスで、6時間もかかるようだ。となると明日あさってはブログは書けないかもしれない。今日はまだ時間がありそうなの で、今朝の続きを書くことにする。台湾の人はどうも日本人と違って、のんびりしているというか、せかせかしていないので、休暇にはもってこいだ。妻の実家 は子供がたくさんいるので、夜の風呂に入るときには大変だ。時間を間違えると遅くまではれない。午後は床屋に行ってきた。息子と一緒で400台湾ドルだか ら1200円なので安い。ヒゲもそって、頭も洗ってくれた。上海が20元だから上海の方が安い。300円だ。ところで、坊主にしてくれといたら、山本刈り かと聞かれたので、そうだと答えたら、坊主のことを「山本」というようだ。この台湾では山本五十六がまだここで生きていた。びっくりだ。YO夜は台北の通化街の夜市に行ってきた。車が駐車違反で、レッカーに持って行かれてしまい、帰りが遅くなってしまった。さて朝の環境NGOの続きを少しだけ。明日は朝が早い。
公式に登録された環境NGOは大体2,000ぐらいあるが、多分、企業として登録されていたり、登録されていないものもある。Nature Conservancy、Conservation International、World Wildlife Fund、 Greenpeaceのような多くの国際NGOは中国に事務所がある。
資金源と活動家
NGOの公的資金はまだきわめて限られており、募金活動はきわめて限定されている。なので、NGOは2つの資金源に依存している。熱心な活動家と創業者の 生涯貯金と、外国基金、NGO助成活動基金並びに海外寄贈者からの基金がある。多くの資金源、特にアメリカからの場合にはしばしば思想と実践を展開するので、地方の条件に合ったり合わなかったりしている。たとえば、アメリカの大きな環境団体の場合には大きな議論を巻き起こしている。というのも広範囲な土地を買い上げてしまい、人々をそこに移住させている。
中国の環境活動家はしばしば教養のレベルが高く、中産階級出身である。多くの指導的活動家は特に北京を活動基地にしている人はアメリカの大学で勉強したか、アメリカのNGOにいた。自然と彼らの多くは考え方、言語、方法論を西側から持ってきて、時々、有益であったり、そう出なかったりしている。例として、多くの西側の環境保護主義者のように何人かのこうした中国人のリーダーは「もしすべての中国人が車を運転したら」とか「もしすべての中国人がアメリカ人のように肉を消費したら」生態学的大惨事が起こるという考え方にしばしば執着する。こうしたことは問題のある課題かもしれないが、こうした問題の民族主義的構想は中国の大衆を大いに引きつけるというものではない。中国の新興消費層にとって、この西側よりの批判に対する答えとして「「あなたがこのように金持ちになったら、あなたは私を金持ちにしたいとは思わない。」そして多くの労働者は決して車を持とうと思いもしないし、アメリカの生活を夢見たりはしないから、このメッセージは単に見当違いだ。自家用車の管理しきれない爆発的な拡大は中国において大きな問題で、特に貧しいものにとって。バスは交通渋滞でだんだん遅くなってくるし、車がどんどん道路を占領するので、自転車が閉め出され、高速道路と都市の郊外化現象によって大量の土地が消耗され、土地のない多量の農民が発生している。しかしながら、問題は「もしすべての中国人が車を運転したら」ではない。その代わりに、公平と公正の問題だ。もし50%の中国人が車を運転したら、残りの50%の人たちはあるったり、自転車に乗ったりすることができるのだろうか。もしくは食物を造る十分な土地が残るのだろうか。現在、多くの環境保護主義者は技術的な解決策に翻弄されているか、西側流の「not in my backyard」ニンビー(廃棄物処理施設などの好ましくないものを他所に設置するのはいいが自分の近所には絶対いやだという自分勝手な人)であり、環境正義とか深い生態学の考えとか組織的な分析にまで配慮がいたっていない。
農村の環境保護主義が次のテーマだが、今朝はここまでにしよう。昨晩は遅くまで、夜市に行っていた。これから朝の運動をしてから、阿里山に行く。車で行くそうで、しかも途中で、菜の花を見に行くというので、9時に出るそうだ。今夜は阿里山泊まりで、明日の朝の日の出をみるというのが、目的らしい。たまにはいい。