2009年05月28日
Free Trade8
これらの報告書の良いところは単純なモデルを利用していることだが、悪いところは貿易に対して、開放度の指標ばかりで、経済のパーフォーマンスについては退化しているが、この両者の混合したアプローチが一般的である。ある場合にはDeraniyagalaとFineはこれらの開放度を示す指標は実際には政策を指向するというよりかは貿易の量を反映していると述べている。また、反対の因果関係とか数多くの外因性の変数の影響を解きほぐすのが困難だと言っている。
Kicking Away the Ladderの著書の中で、Ha-Joon Changは自由貿易の政策と経済成長の歴史を見直して、現在の工業国の多くは彼らの歴史において、一貫して、貿易に対して、重大な障壁を持っていると言っている。未成熟産業の議論での保護貿易主義はFree Trade3で輸入代替工業化の所で説明したように、1790年代にAlexander Hamiltonによって最初に追求されたが、Adam Smithはこれに警告し、反対した。かれはアメリカ合衆国は農業に焦点を当て、そこに比較優位(comparative advantage)を持つべきだと忠告した。1840年代にFriedrich Listは未成熟産業保護の父と呼ばれているが、ドイツのためにその保護を支持した。Changの研究において、アメリカ合衆国とイギリスが時々、自由貿易政策の本家と考えられているが、元々は積極的な保護貿易主義であった。イギリスがその保護貿易主義を終えたのは技術の優位性を達成した1850年後半になってからで、トウモロコシ法案(Corn Laws)の廃止であった。また、1950年までは製造品の関税は23%もあった。アメリカ合衆国は1950年代までは製造品に対して約40-50%以上の加重平均関税を維持していた。1800年代には高い輸送コスト保護のための当然の保護貿易主義を行っていた。最も継続して自由貿易を実施してきたのはスイスとオランダと程度は多少劣るが、ベルギーであった。Changは輸出志向工業化政策について述べており、四つのアジアの虎(韓国、台湾、シンガポール、香港)は「彼らの過去の歴史を比較すると遥かに複雑で、細かく調整されていると語っている。
反対
自由貿易はしばしば、国内産業に反対されてきた。輸入品の価格が安いため、彼らの利益とマーケット・シェアが減ってしまうからであった。例えば、アメリカ合衆国が輸入する砂糖の関税を下げてしまったら、アメリカの砂糖生産者は低い価格と利益しか享受できない。一方、アメリカの砂糖を消費する消費者は安い価格で砂糖を購入することができる。経済学者が言うには消費者は必然的に生産者が失う以上の利益を得ることができる。何社かの国内の砂糖生産者は多くの利益を失うので、関税の解除に対して反対すれば、非常に多くの数の消費者は僅かばかりの利益しか享受できない。より一般的には生産業者はしばしば、国内の助成金と自国における輸入関税に賛成する。一方で、輸出市場に対しては助成金と関税には反対する。
社会主義者はしばしば、自由貿易に反対するが、資本家による労働者に対する最大の搾取を認めることになるからである。たとえば、カールマルクスが書いた共産党宣言には「資本家階級は。。。たった一つの良心のない自由。。。。自由貿易を提案してきた。一言で言えば、搾取のために。それは宗教的な、そして、政治的な幻想で覆われているが、それは赤裸々な、羞恥心のない、直接的な、野蛮な搾取に取って代わられる。」
「自由貿易」は多くの反グローバリゼーションのグループによって反対されてきた。いわゆる自由貿易協定は一般的に貧しい人たちに対して、経済の自由(economic freedom)を与えない。そして、しばしば、彼らをより貧しくしてしまうという主張に基づいている。「自由貿易」協定は実際上自由貿易であれ、政府主導の貿易であれ、多分、議論の余地がある。これらの反対者たちは取引が物質的に一般の人々に有害だと考えている。この取引が本質的に政府主導の貿易であるならば、自由貿易それ自体に対する直接の議論にはならない。例えば、アメリカから補助金を受けたトウモロコシがメキシコに自由にNAFTAによって輸出されれば、その価格は製造コストより遥かに安いので、ダンピングとなり、メキシコの農家に対して打撃を与えてしまう。勿論、そのような補助金は自由貿易に違反しているので、この議論が自由貿易に実際、逆らっている訳ではない。
自由貿易を支持する幾人かの経済学者が自由貿易のコンセプトと実践に疑念を表明しだした。例えば、プリンストン大学の経済学部の教授であるAlan S. Blinderはかっての連邦準備制度理事会の副議長であり、民主党の大統領候補のアドバイザーでもあるが、多くの経済学者と一緒に以前議論したことがあったが、自由貿易はアメリカとその貿易相手国を豊かにし、短期的には自国内で失業が増えるかもしれないが、全体のアメリカの国民純生産は比較優位の経済法則によって、長期的には上昇する。勝者の利益は敗者の損失を上回る。これは「創造的な資本家の破壊」と呼ばれてきた。
しかしながら、Jagdish Bhagwatiは新しいコミュニケーション技術によって、この10-20年の間に300-400万人のアメリカ人の仕事が脅かされるという。加えて、彼は自由貿易とか比較優位の考えを完全に拒絶している訳ではないが、職を失った労働者のためにより大きな保護貿易、改良された教育システムを主張し、それは貿易が仕事の数を変えたのではなくて、仕事のタイプを変えたのであるからだ。例えば、技術がコールセンターのインド人に安い賃金で、アメリカ人の仕事をさせてきた。こうしたことによって、さらに数千万人のアメリカの労働者は僅かばかりだが、仕事の不安定を経験し始めることになり、こうしたことは今までは製造業の労働者に対するものであった。この議論は「政府はグローバリゼーションの力を勇気づけるのかそれともそれを抑制しようとするのか。」である。ラテンアメリカは下手に実行してしまい、関税を1980年代と1990年代に削減してしまった。貿易保護主義の中国と南東アジアと比較してみるとわかる。Samuelsonによると、失うもの以上に得るものの必要な余剰を仮定することは間違えていると言っている。
Kicking Away the Ladderの著書の中で、Ha-Joon Changは自由貿易の政策と経済成長の歴史を見直して、現在の工業国の多くは彼らの歴史において、一貫して、貿易に対して、重大な障壁を持っていると言っている。未成熟産業の議論での保護貿易主義はFree Trade3で輸入代替工業化の所で説明したように、1790年代にAlexander Hamiltonによって最初に追求されたが、Adam Smithはこれに警告し、反対した。かれはアメリカ合衆国は農業に焦点を当て、そこに比較優位(comparative advantage)を持つべきだと忠告した。1840年代にFriedrich Listは未成熟産業保護の父と呼ばれているが、ドイツのためにその保護を支持した。Changの研究において、アメリカ合衆国とイギリスが時々、自由貿易政策の本家と考えられているが、元々は積極的な保護貿易主義であった。イギリスがその保護貿易主義を終えたのは技術の優位性を達成した1850年後半になってからで、トウモロコシ法案(Corn Laws)の廃止であった。また、1950年までは製造品の関税は23%もあった。アメリカ合衆国は1950年代までは製造品に対して約40-50%以上の加重平均関税を維持していた。1800年代には高い輸送コスト保護のための当然の保護貿易主義を行っていた。最も継続して自由貿易を実施してきたのはスイスとオランダと程度は多少劣るが、ベルギーであった。Changは輸出志向工業化政策について述べており、四つのアジアの虎(韓国、台湾、シンガポール、香港)は「彼らの過去の歴史を比較すると遥かに複雑で、細かく調整されていると語っている。
反対
自由貿易はしばしば、国内産業に反対されてきた。輸入品の価格が安いため、彼らの利益とマーケット・シェアが減ってしまうからであった。例えば、アメリカ合衆国が輸入する砂糖の関税を下げてしまったら、アメリカの砂糖生産者は低い価格と利益しか享受できない。一方、アメリカの砂糖を消費する消費者は安い価格で砂糖を購入することができる。経済学者が言うには消費者は必然的に生産者が失う以上の利益を得ることができる。何社かの国内の砂糖生産者は多くの利益を失うので、関税の解除に対して反対すれば、非常に多くの数の消費者は僅かばかりの利益しか享受できない。より一般的には生産業者はしばしば、国内の助成金と自国における輸入関税に賛成する。一方で、輸出市場に対しては助成金と関税には反対する。
社会主義者はしばしば、自由貿易に反対するが、資本家による労働者に対する最大の搾取を認めることになるからである。たとえば、カールマルクスが書いた共産党宣言には「資本家階級は。。。たった一つの良心のない自由。。。。自由貿易を提案してきた。一言で言えば、搾取のために。それは宗教的な、そして、政治的な幻想で覆われているが、それは赤裸々な、羞恥心のない、直接的な、野蛮な搾取に取って代わられる。」
「自由貿易」は多くの反グローバリゼーションのグループによって反対されてきた。いわゆる自由貿易協定は一般的に貧しい人たちに対して、経済の自由(economic freedom)を与えない。そして、しばしば、彼らをより貧しくしてしまうという主張に基づいている。「自由貿易」協定は実際上自由貿易であれ、政府主導の貿易であれ、多分、議論の余地がある。これらの反対者たちは取引が物質的に一般の人々に有害だと考えている。この取引が本質的に政府主導の貿易であるならば、自由貿易それ自体に対する直接の議論にはならない。例えば、アメリカから補助金を受けたトウモロコシがメキシコに自由にNAFTAによって輸出されれば、その価格は製造コストより遥かに安いので、ダンピングとなり、メキシコの農家に対して打撃を与えてしまう。勿論、そのような補助金は自由貿易に違反しているので、この議論が自由貿易に実際、逆らっている訳ではない。
自由貿易を支持する幾人かの経済学者が自由貿易のコンセプトと実践に疑念を表明しだした。例えば、プリンストン大学の経済学部の教授であるAlan S. Blinderはかっての連邦準備制度理事会の副議長であり、民主党の大統領候補のアドバイザーでもあるが、多くの経済学者と一緒に以前議論したことがあったが、自由貿易はアメリカとその貿易相手国を豊かにし、短期的には自国内で失業が増えるかもしれないが、全体のアメリカの国民純生産は比較優位の経済法則によって、長期的には上昇する。勝者の利益は敗者の損失を上回る。これは「創造的な資本家の破壊」と呼ばれてきた。
しかしながら、Jagdish Bhagwatiは新しいコミュニケーション技術によって、この10-20年の間に300-400万人のアメリカ人の仕事が脅かされるという。加えて、彼は自由貿易とか比較優位の考えを完全に拒絶している訳ではないが、職を失った労働者のためにより大きな保護貿易、改良された教育システムを主張し、それは貿易が仕事の数を変えたのではなくて、仕事のタイプを変えたのであるからだ。例えば、技術がコールセンターのインド人に安い賃金で、アメリカ人の仕事をさせてきた。こうしたことによって、さらに数千万人のアメリカの労働者は僅かばかりだが、仕事の不安定を経験し始めることになり、こうしたことは今までは製造業の労働者に対するものであった。この議論は「政府はグローバリゼーションの力を勇気づけるのかそれともそれを抑制しようとするのか。」である。ラテンアメリカは下手に実行してしまい、関税を1980年代と1990年代に削減してしまった。貿易保護主義の中国と南東アジアと比較してみるとわかる。Samuelsonによると、失うもの以上に得るものの必要な余剰を仮定することは間違えていると言っている。